top of page


カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.60
(lunes, 11 de mayo 2026) 文/エンリケ坂井 Texto por Enrique Sakai Malagueña de El Canario ② エル・カナリオの生涯 エル・カナリオ、本名ファン・デ・ラ・クルスについてはフェルナンド・デ・トゥリアナの「アルテとアルティスタ」や研究家のホセ・ブラス・ベガなどが書き残しています。 それによれば、マラガ県アロラ町に生まれたカナリオは生まれた町で若くしてデビュー、マドリードやセビージャのカフェ・カンタンテで活躍しましたが最初の頃は彼の歌うマラゲーニャは余り愛好家に受けなかったらしい。 それは彼のスタイルが当時としては新しくて従来の愛好家に受けなかったかも知れないし、その後カナリオが工夫を重ね今に伝わる素晴らしいスタイルを創り上げたという事かも知れない(そういう説もあります)。 カナリオのマラゲーニャは次第に洗練、完成され、マドリードのカフェ「エル・インペリアル」やセビージャの「エル・ブレーロ」といった一流のカフェ・カンタンテに呼ばれて活躍、大人気となるのですが、順風満帆に見え
5月11日読了時間: 3分


カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.59
(sábado, 11 de abril 2026) 文/エンリケ坂井 Texto por Enrique Sakai Malagueña de El Canario これまでメジーソ、トゥリニ、チャコンのマラゲーニャを取り上げてきましたが、この他にも多くの(40種類以上)個人の名前を付けられたスタイルが存在し、その中で現在も良く歌われるものにエル・カナリオのスタイルがあります。 カナリオとは鳥のカナリアのことで、庶民の間でもカナリアなどの鳥を飼ってそのさえずる鳴き声を楽しむ習慣が古くからあり、ちょっとした都市には鳥の市があります。 私が住んでいたマドリードのフライ・セフェリーノ通りはそういう市のたつ所で、日曜日の朝は市に集まる人々のざわめきと鳥の鳴き声に目覚めた事を懐かしく想い出します。 カナリオは又素晴らしい歌声を聴かせてくれるカンタオール達に付けられたニックネーム、そして芸名ですが、最も有名な歌い手としてはエル・カナリオとエル・カナリオ・チコ(小さい方のカナリオ)の二人がいて、ここで取り上げるのはエル・カナリオ、本名Juan d
4月11日読了時間: 3分


カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.58
(miércoles, 11 de marzo 2026) 文/エンリケ坂井 Texto por Enrique Sakai Malagueña de Chacón まとめ編 続、チャコンの後半生 チャコンは1912年にマドリードへの移住を決心し、首都を本拠として活動する事にしました。 当時から1980年頃まではアンダルシアのアルティスタ達がこぞって仕事や名声を求めて首都に移動し、マドリードはまさにフラメンコの中心地という雰囲気があった時代でした。 そしてチャコンの名声が不動のものとなるにつれ、彼のアルテを愛する人達、マヌエル・センテーノ、ペペ・デ・ラ・マトローナ、ペリーコ・デル・ルナール…etc.といった人達も続々とマドリードにやってきたのです。 活動は多岐にわたり、劇場公演、フェスティバル、カフェ・カンタンテ、コルマーオでは「ガブリエーレス」後には「ビジャ・ロサ」などでのフエルガ、時には国王のレセプションに招かれて歌っています。 その評判は南米にも届き、1914年船でアルゼンチンに渡りブエノス・アイレスを始めモンテビデオなどで30以上
3月11日読了時間: 3分


カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.57
(miércoles, 11 de febrero 2026) 文/エンリケ坂井 Texto por Enrique Sakai Malagueña de Chacón ⑤ 続、チャコンの生い立ち アンダルシアのカフェ・カンタンテで売れっ子になったチャコンは行く先々でカンテ研究を続け学ぶと共に自身の個性をより生かせる分野で多くの創作をしました。 具体的にはマラゲーニャ、グラナイーナ、タランタ、カルタヘネーラ、そしてカンティーニャ類のカラコレス、ミラブラーなどです。 特にマラゲーニャは当時ファン・ブレバなどの名手達がいましたが、彼らの多くがリズムを伴う民謡調だったのとは全く異なる、内なるリズムによる自由で叙情性に富んだものを次々と創りあげたのです。これにはメジーソの影響があった事が容易に想像できますが、それにしてもこれだけ多くのスタイルを、それも100年以上経っても色褪せない完成度の高いものを創り上げたのは偉大な才能だと言えるでしょう。これ程多くのマラゲーニャを作ったのは歴史上チャコンだけで、人々が彼の名前にドンの敬称をつけたのも自然な事だと
2月11日読了時間: 3分


カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.56
(domingo, 11 de enero 2026) 文/エンリケ坂井 Texto por Enrique Sakai Malagueña de Chacón ④ チャコンの生い立ち アントニオ・チャコンは1869年5月16日、ヘレス市で非ジプシーの靴修理屋の息子として生まれた。 少年の頃から親の靴修理の見習いや、ヘレスはシェリー酒の工場が多い所なので樽作りの職人として働いていたが、生来の歌好きだったのでまわりの大人達、当然ながらヒターノ達の歌も聴き覚えて歌い始め、その才能を開花させていった。 後に「ギターの魔術師」と呼ばれたギターのハビエル・モリーナとは同じヘレスの近所同士であり、年も近かったのですぐに仲良くなって地元のカフェ・カンタンテでデビュー。 その後、武者修行と仕事探しを兼ねてアンダルシアの各地をハビエルとその兄であり踊り手のアントニオの3人で、当時の事なので殆ど徒歩で回り、各地の年寄りや歌知り達からその地に伝わるカンテを学びレパートリーを増やし、さまざまな知識を蓄えていった。 こうして1年近くの武者修行を終えたチャコンは、
1月11日読了時間: 3分


カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.55
(jueves, 11 de diciembre 2025) 文/エンリケ坂井 Texto por Enrique Sakai 1990年マドリードで催されたチャコンを偲ぶコンサートのプログラム Malagueña de Chacón ③ 前回書いたフエルガでリソ神父を聴いて衝撃を受けた私は改めてチャコンのカンテに向かい合い、やっとチャコンの本当の魅力に目覚めていったのです。 ちょうどこの頃、私のレコードコレクションは時代に逆行してLPからSPレコードに重点を置くようになり、チャコンのSP盤を蓄音機で聴くようになった事から、生に近いチャコンの歌を味わう事ができるようになって目から鱗が落ちていったのです。 リソ神父は本名 Bartolomé Rizo(バルトロメー・リソ)で、愛好家達からは Pontífice del Cante(カンテの教皇)とも呼ばれチャコンを歌わせたら右に出る者はいないと言われた程の名人で、所属する教会を始め、ローマ、マニラ、メキシコでもミサ・フラメンカを催しフォスフォリート、バレア、クラタといったカンタオー
2025年12月11日読了時間: 3分


カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.53
(sábado, 11 de octubre 2025) 文/エンリケ坂井 Texto por Enrique Sakai Malagueña de Chacón ① エル・メジーソ、ラ・トゥリニと並んでよく歌われるのがチャコンのマラゲーニャですが、今回からその数...
2025年10月11日読了時間: 3分


カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.52
(jueves, 11 de septiembre 2025) 文/エンリケ坂井 Texto por Enrique Sakai ラ・トゥリニ マラゲーニャの女王と言われたトゥリニの物語は前回で一応終わり、今回はその録音についてです。自身は録音を残しませんでしたが、彼女のマ...
2025年9月11日読了時間: 3分


カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.47
(viernes, 11 de abril 2025) 文/エンリケ坂井 Texto por Enrique Sakai ランカピーノ Malagueña de El Mellizo③の後半 前回(vol.46)に書いた歌詞を繰り返しや、たびたび繰り返される感嘆詞のアイを...
2025年4月11日読了時間: 3分


カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.46
(miércoles, 12 de marzo 2025) 文/エンリケ坂井 Texto por Enrique Sakai Malagueña del Mellizo③ 前回のマラゲーニャ・デ・エル・メジーソは1929年録音でこの時アウレリオは42歳位。'35年出版...
2025年3月12日読了時間: 3分
bottom of page