カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.55
- norique
- 2 日前
- 読了時間: 3分
(jueves, 11 de diciembre 2025)
文/エンリケ坂井
Texto por Enrique Sakai

Malagueña de Chacón ③
前回書いたフエルガでリソ神父を聴いて衝撃を受けた私は改めてチャコンのカンテに向かい合い、やっとチャコンの本当の魅力に目覚めていったのです。
ちょうどこの頃、私のレコードコレクションは時代に逆行してLPからSPレコードに重点を置くようになり、チャコンのSP盤を蓄音機で聴くようになった事から、生に近いチャコンの歌を味わう事ができるようになって目から鱗が落ちていったのです。
リソ神父は本名 Bartolomé Rizo(バルトロメー・リソ)で、愛好家達からは Pontífice del Cante(カンテの教皇)とも呼ばれチャコンを歌わせたら右に出る者はいないと言われた程の名人で、所属する教会を始め、ローマ、マニラ、メキシコでもミサ・フラメンカを催しフォスフォリート、バレア、クラタといったカンタオールやマヌエル・カーノ、ビセンテ・グラナイーノ、セラニートなどのギタリスト達と共演しています。
但し神父ですから歌手としての商業活動はせず、夜な夜な神父の服を脱いでフエルガの場に顔を出す生臭(なまぐさ)坊主でしたが、そのカンテは本物でした。しかし聖職者故かレコードを残す事が出来なかったのは残念!
1990年にはマドリード貯蓄銀行主催の「チャコンを偲んで」という大きなコンサートにセラニート、オスカル・ルイスといったギタリストを従えて出演、それまでは知る人ぞ知る存在でしたから一般のフラメンコファンを驚かせたのです。
この神父さん、頭の形や横顔もチャコンそっくりで、もちろん声もそっくり。そういえば友人のオスカルの結婚式に出席した折に歌ってくれたプライベートなDVDのテープが我が家のどこかに眠っているはずで、これが私の持っている唯一の彼の録音なのです。
前回に続いてチャコンのスタイル③です。いくつか歌詞がありますが、ここではよく歌われるものを書きます。
【Letra】
(y allí fueron mis quebrantos, )
En un hospital la vi
y allí fueron mis quebrantos,
quién me había de decir
mujer que yo la quise tanta
Iba a tener tan mal fin.
【訳】
会えたのは病院のベッド、
それは私の苦悩の始まり、
誰が私に言えただろう?
これ程私が熱愛した女性が
こんな最期を迎えるなんて…。

このスタイル③で歌われるもうひとつよく知られた歌詞も書いてみよう。
Yo en mi〈vía〉negaré /que te quise con locura /mira qué cariño fue /que siento la calentura /que tuve por tu querer./
俺の人生の中でお前を/狂気の様に愛したのを消してしまいたい、/お前との恋の中で持った/強くほとばしる熱い想い、/何て強く愛したことか!/
このように愛する人の死や、当時の社会の縛りから来る苦しみに満ちた愛など、かなり深刻な内容の詞で、歌もカンテ・ホンドのクラスに入るといっても過言ではありません。

【筆者プロフィール】
エンリケ坂井(ギタリスト/カンタオール)
1948年生まれ。1972年スペインに渡り多くの著名カンタオールと共演。帰国後カンテとパルマの会を主宰。チョコラーテらを招聘。著書『フラメンコを歌おう!』、CD『フラメンコの深い炎』、『グラン・クロニカ・デル・カンテ』vol.1~36(以下続刊)。2025年1月Círculo Flamenco de Madridから招かれ、ヘスス・メンデスと共演。
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