カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.56
- norique
- 2 日前
- 読了時間: 3分
(domingo, 11 de enero 2026)
文/エンリケ坂井
Texto por Enrique Sakai

Malagueña de Chacón ④
チャコンの生い立ち
アントニオ・チャコンは1869年5月16日、ヘレス市で非ジプシーの靴修理屋の息子として生まれた。
少年の頃から親の靴修理の見習いや、ヘレスはシェリー酒の工場が多い所なので樽作りの職人として働いていたが、生来の歌好きだったのでまわりの大人達、当然ながらヒターノ達の歌も聴き覚えて歌い始め、その才能を開花させていった。
後に「ギターの魔術師」と呼ばれたギターのハビエル・モリーナとは同じヘレスの近所同士であり、年も近かったのですぐに仲良くなって地元のカフェ・カンタンテでデビュー。
その後、武者修行と仕事探しを兼ねてアンダルシアの各地をハビエルとその兄であり踊り手のアントニオの3人で、当時の事なので殆ど徒歩で回り、各地の年寄りや歌知り達からその地に伝わるカンテを学びレパートリーを増やし、さまざまな知識を蓄えていった。
こうして1年近くの武者修行を終えたチャコンは、1883年頃(まだ10代半ば)ヘレスに戻り新たにカフェ・カンタンテと契約。同じ頃にカディスの偉大なカンタオールにして、多くのスタイルの創作者であるエンリケ・エル・メジーソと知り合い、この出会いはその後のチャコンの進む道、特に創作者としての姿勢に大きな影響を与えた事は容易に想像できる。
この後アンダルシアの都、セビージャに移ったチャコンは、やはり偉大なカンタオールとして歴史に残るシルベリオが作ったカフェと契約。この店「カフェ・デ・シルベリオ」での成功でチャコンは一躍有名になり、押しも押されもしない当代一流の歌い手となっていったのです。
それでは4つ目のチャコンのマラゲーニャを取り上げましょう。まずは歌詞から。
【Letra】
(a qué tanto me consientes,)
Si tú no me has de querer,
a qué tanto me consientes,
mátame ya de una vez
porque yo te perdono la muerte
que ya no quiero padecer.
【訳】
俺を愛してないんだったら
何でイヤだと言わないんだ?
いっそひと思いに殺してくれ、
生きていても仕方がない、
これ以上苦しめないでくれ。
※consentir ⇒容認する
※padecer ⇒悩む、痛手を受ける
自分を拒まないくせに愛してもくれない、そんな相手を自分は深く愛しているからいっそう苦しむ…という男の話でしょう。いろいろな悩みがあるものですね。

チャコンはこのスタイルをこの歌詞で二度録音しており、聴き比べてみると1908年録音のもの(アビチュエラのギター)の方がシンプルで解りやすいのでこちらを例に取り上げました。

【筆者プロフィール】
エンリケ坂井(ギタリスト/カンタオール)
1948年生まれ。1972年スペインに渡り多くの著名カンタオールと共演。帰国後カンテとパルマの会を主宰。チョコラーテらを招聘。著書『フラメンコを歌おう!』、CD『フラメンコの深い炎』、『グラン・クロニカ・デル・カンテ』vol.1~37(以下続刊)。2025年1月Círculo Flamenco de Madridから招かれ、ヘスス・メンデスと共演。
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