【新連載】EL CARTERO スペイン旅行記 2016 /1
- norique
- 9月27日
- 読了時間: 5分
更新日:10月6日
[期間]2016年2月14日~3月14日
(sábado, 27 de septiembre 2025)
昨年2024年10月に闘病の末この世を去ったカンタオール、瀧本正信さん。
日本のフラメンコ界に本場のカンテの種をまき、強い信念と歯に衣着せぬ率直な物言いで周囲に大きな刺激を与え、何人もの後進を育て多大な功績を残しました。
約10年前に瀧本さんが教え子たちとともにスペインを巡った旅行記が、当時メンバーの一人として同行した、現在歌い手として活躍する金高荘子さんの手により記されていました。
現地で出会った様々な人たちとの、フラメンコへのアフィシオン(愛情)に溢れた交流の記録を、たくさんの写真とともにご紹介します。
【金高荘子さんより】
ここに綴る旅の記録には、今はもう会うことのできない大切な友人たちも登場します。
彼らを偲び、心からの感謝と祈りを込めて記します。
また、時の流れの中で、この記録に登場するお店のいくつかはすでに営業を終えています。
失われたものへの想いと共に、ここに残された記憶を紡ぎました。
当時の旅を歩む"El Cartero"こと瀧本正信氏の姿を思い浮かべながら読んでいただければ幸いです。
文・写真/金高荘子
Texto y fotos por Soko Kanetaka
【第1回】
◆2月14日 羽田発エールフランス
~PARIS経由
~9:00 am MADRID 着
El Cartero武者修行(?)の旅に同行するのは、
瀧本正信"El Cartero"カンテ教室の有志9名。

シャルル・ド・ゴール空港で乗り換え。

◆2月15日 Madrid 到着!
ホテルへチェックイン後Barで決起会をして、マドリードの街を散策。

Madridに行ったら行ってみたいと話していたCASA PATASの前を通り、アモール・デ・ディオスのあたりまで行ってみることに。

Carteroのずっと以前からの知人であるEnrique Pantojaは確かこの辺に住んでるはず。
「Enrique Pantojaに会えんかな~、会えたらええんやけどな~」
と、話しながら歩いてAnton Martinあたりまで来た時、私達とすれ違ったおじさんが!なんと!
Enrique Pantojaだった!
「エンリケ~ !!!」
突然のCarteroの叫び声に全員びっくり。

再会を喜び合い、アモール・デ・ディオスに一緒に行くことになった。
Carteroは歩きながらSoleáを唄い、Enriqueはその度に「Oleeee~!」
アモール・デ・ディオスの中を案内していただく。

CarteroがSoleáとMartineteを唄うと、EnriqueはOleee!とハレオ。Carteroのカンテを喜び、「最近はそういうプーロなフラメンコをやる人が少なくなってしまった。日本人も大勢ここに習いに来る。私はいつも愛情を持って教えるけれど、ここで学んだことを忘れてしまう人が多くて寂しい」などと、最近のスペインでのフラメンコ事情をぼやきながら、二人で熱くフラメンコを語りあっていた。
クラスでギターを弾かせてもらえないか?と、Carteroがお願いすると、そこにたまたま居合わせたテレサ西塚さんが、
「それなら明日、みなさんでブレリアクラスやってもらったら?」と提案してくださった。
◆夕方 「CASA PATAS」へ
この日の踊り手はMistela。
CarteroはMistelaと、なんと20年ぶりの再会だそう。
何年か前に新宿のナナで会ったという人がCarteroのことを覚えていて声をかけられ挨拶をしていた。
ライブの前に食事をし (ちょっと高め。ライブ込みで1人50ユーロ。でもとても美味しかった)
その後、奥のライブ会場へ案内される。映像でしか見たことのない舞台にみんなワクワク。
Mistelaの踊りは美しく正確で気持ちが良かった。コンパス心地良くちょっと睡魔に襲われたけど(時差ボケ&お腹もいっぱいで…)素晴らしい時間だった。
◆2月16日 Enrique Pantojaクルシージョ
生徒9人全員参加。
テレサ西塚さんも同席してくださり、楽しすぎるBuleríaのクルシージョとなった。
Enriqueが唄う。Carteroも唄って弾く。
EnriqueはCarteroのギターにOleee!とハレオしながら、汗だくになりながら、私たちにフラメンコを見せてくれた。その間別室にいた人達が何人もクラスを覗きにきてはCarteroの唄とギターに驚いていた。
クルシージョの後、Entiqueが下の階のBarで一緒に飲もうと誘ってくれた。
Carteroが再びギターを弾きはじめフエルガが始まる。Enriqueは、近くで飲んでいた若者達にも仲間に入れと誘う。そして「今日は特別な日だ」などと言いながら、Carteroのギターで沢山唄ってくれた。
Soleá、Bulería、Farruca、Alegrías、Sevillanas…。

私たち生徒も勉強中のカンテを唄った。緊張しながら唄う私達だったが、Enriqueのハレオは本当に気持ち良く、まるで会話をするかのよう。導かれるように唄えてしまう。カンテの未知の楽しさを知った気がした。
彼があまりにもフレンドリーに接して下さるので、かのEnrique Pantojaだということを忘れそうになるが、やっぱりすごい人なんだと思う瞬間が何度もあった。
ホセ(大西)はこの日、何度ブレリアを踊ったかわからないほど大活躍だった。


クラス帰りの踊り手さん達が何人も通りかかっては Enriqueに挨拶をし、そのままパルマやハレオで参加する。どの人からもEnriqueへの敬意が感じられた。そしてみんなFlamencoが大好き。
ふと見るとMerche Esmelardaがそこにいて、素敵オーラに感激してしまった。
◆クルシージョの後、Carteroが今回どうしても行きたかったという場所に向かった。
Carteroが10年以上前に通いつめていたというBar Solea 。
(これが当時のヤングなCarteroとお店の様子↓)
店を探しウロウロするが見つからない。記憶違いか?と近所の人に尋ねてみると、何年か前に閉店したとのことだった。
私たちはCarteroからその店でのアフィシオナードたちとの話を色々聞いていて、今回そこに行くのをとても楽しみにしていた。 なくなっていたとは本当に残念。
がっかりしてホテルに帰った。

【筆者プロフィール】
金高荘子(Soko Kanetaka)/幼少期から音楽に触れ、学生時代にはロックなどのバンド活動を通し音楽に親しむ。2002年にフラメンコと出会い、2010〜2024年に瀧本正信氏に師事。短期渡西を繰り返しながら現在も研鑽を重ねている。
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