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新・フラメンコのあした vol.44

3 時間前
読了時間: 4分

(jueves, 1 de octubre 2026)

 

20年以上にわたりスペインで活動するジャーナリスト東敬子が、今気になるスペインフラメンコのあれこれを毎月お届けします。

今月は、今年7月にマドリードのサルスエラ劇場で上演されたスペイン国立バレエ団公演についてのリポートです。

 

スペイン国立バレエ団

『フラメンコ-ロック-アンダルス  /  メデア』

サルスエラ劇場、マドリード、スペイン

2026年7月19日 

 

Ballet Nacional de España

“Flamenco -Rock -Andaluz / Medea”

Teatro de la Zarzuela, Madrid, España

19 julio 2026

 

 

文:東 敬子

Texto por Keiko Higashi

画像:宣伝素材/東 敬子

Fotos por promoción / por Keiko Higashi

 

 

2610東_medea - BNE
medea

古典と新作、すなわち、過去と現在という二つの視点から未来を見つめる、それがルベン・オルモが監督に就任してから常に意識してきたスペイン国立バレエ団のあり方でした。

 

2026年7月11日から22日まで行われたサルスエラ劇場公演でもその視点は変わらず、今回も、世界初演となるラファエラ・カラスコ振付による『フラメンコ-ロック-アンダルス』と、1984年同劇場において同じく初演されたホセ・グラネーロ振付による『メデア』の意欲的なカップリングで、観客を沸かせました。

 

今公演の2作品は、それぞれが、それぞれの時代で「時代を先取りする」という意欲の元創られた作品だったと思います。

 

ホセ・グラネーロの名作として名高い『メデア』は、アントニオやアントニオ・ガデスなど、同舞踊団の監督を務めた名匠たちが作り上げた、登場人物たちの心情の饒舌な表現を受け継ぐと共に、マノロ・サンルーカルの素晴らしい音楽も伴って、それまでになかった自由な発想が見事に昇華した作品であったと言えます。コンテンポラリーを意識した(ちょっと舞踏っぽさも漂う)振付などは、今観てもその斬新さに目を見張ります。

 

甘やかな愛の表現が、苦い復習への猛りに変化して行くメデアの流れ。巻き込まれていく人々の戸惑いや怒りの表現。そこに組み込まれるフラメンコの役割が、観ていて良く伝わってくる。誰が何のためにそこにいて、何を考えているのか分かり、それぞれが一人の人間として存在している。決して主役と群集に陥らない。そこがこの作品の優れたところだと私は思います。

 

ギリシャ悲劇ですから、観ていてかなり重苦しい気分になるのは確かで、そこは好き嫌いが分かれるところですが、素晴らしいオーケストラの生演奏(マドリード州立管弦楽団)と共にドラマチックで見応えのある名作でした。

 

そして今回が初演となるラファエラ・カラスコ振付の『フラメンコ-ロック-アンダルス』も、現代フラメンコの一つのスタイルを表現すると共に、新しい試みを提唱しました。

 

ロック・アンダルースとは、1960-70年代のアンダルシア地方を中心に、フラメンコをロック風にアレンジして生まれたジャンルで、トリアーナ、アラメダ、スマッシュなどのグループが有名です。オルモ監督が、それらのムーブメントに想いを馳せ、提唱したのが今回の作品でした。

 

シャープでスタイリッシュな動きはラファエラ・カラスコそのものでしたが、今回は全て群舞で構成されており、動きの面白さもさることながら、フラメンコの群舞としての表現、ステージでの魅せ方が非常に斬新だったと思います。

 

舞台の上にはやぐらが組まれ、フラメンコギター(ベニート・ベルナル)、ギター(ホアンマ・モントージャ)、パーカッション(マヌ・マサエド)、そして歌い手のアンヘレス・トレダーノがそこから舞台を見下ろす形になります。アンヘレスが自身でアレンジを加えたロック・アンダルースを歌唱していく間、踊り手たちは群衆の動きを展開します。通りを思い思いに行き交う人々。色々な思いが交差する。一人で踊ったり、ペアになって踊ったり。しかし結局は、同じリズム・同じ動きに埋没する日常…。私は私たちの日々を空の上から見ているような気分になりました。

 

そして場面は徐々に変わって行きます。やぐらの上で歌うアンへレスの存在が徐々に大きくなり、踊り手たちは、ついに私たち観客に背中を向け、まるで彼ら自身がコンサートに熱狂する観客のようにやぐらを見上げ踊るのです。そしてそれによって私たち本物の観客たちも、アンへレスのコンサートを一緒に観ているような感覚に陥りました。

 

『メデア』で見た人々は、大勢でいてもそれぞれの「個」がはみ出ていた。しかしここでは、人々は、私たち個人は、集団の中で生きているということを再確認するような感覚がありました。この表現のコントラストを同時に見ることができたのは、なかなか興味深かったです。

 

2610東_BNE (c) Keiko Higashi 1c
©Keiko Higashi

 

【筆者プロフィール】

東 敬子 (Keiko Higashi)/フラメンコ及びスペインカルチャーのジャーナリストとして、1999年よりマドリード(スペイン)に在住し執筆活動を続ける。

 

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