アーティスト名鑑 vol.27
- norique
- 9月21日
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(domingo, 21 de septiembre 2025)
スペイン在住30年以上、多数の一流フラメンコ・アーティストらとも親交のあるフラメンコ・ジャーナリスト志風恭子が、歌・踊り・ギターそれぞれの代表的アーティストらのプロフィールをピックアップ。過去の取材で撮影した写真や、チェックしておきたい動画などもご紹介します。
文・写真/志風恭子
Texto y fotos por Kyoko Shikaze
*名鑑登場アーティスト一覧はこちらから
Antonio Fernández Díaz
“Fosforito”
Puente Genil (Córdoba) 3-8-1932
フォスフォリート
本名アントニオ・フェルナンデス・ディアス
1932年8月3日 コルドバ県プエンテ・ヘニル生まれ

2002年パコ・デ・ルシアのパストーラ・パボン賞授賞式にて。左からレメディオス・アマジャ、パコ、フォスフォリート、ライムンド・アマドール、ポティート
20世紀後半のフラメンコを代表する歌い手の一人、フォスフォリートは幼くして歌い始め、15歳の時にはロンダのフェスティバルにアントニオ・デ・プエンテ・ヘニルの名で出演していたという。1956年第1回コルドバのコンクールでの4部門全部で完全優勝し、一躍その名が広まり、フアン・バルデラマら内戦前から活躍のスターたちと肩を並べる存在に。パコ・デ・ルシアやフアン・アビチュエラらの伴奏で数多くの録音があり、その深い知識で、多くの後進たちのお手本となった。ヘレスのフラメンコ学会の賞をはじめ、コンパス・デル・カンテ賞、アンダルシア州のパストーラ・パボン賞、カンテ黄金の鍵など大きなフラメンコの賞はほぼ受賞。コルドバのフラメンコセンターもフォスフォリート・フラメンコ・センターとなっている。マラガ出身の踊り手と結婚して後マラガ県在住。

1989年マラガ県アラウリン・デ・ラ・トーレのフェスティバルで。ギターはエンリケ・デ・メルチョール。
【動画】
1972年国営放送のフラメンコ番組『カンテの祭儀と地理』でのフォスフォリート特集。フェスティバルのシーズンに同じ夜にいくつも掛け持ちする人気スターだった。彼がスタイルを築いたと言われるタラントに始まり、アレグリアス、エル・ポロ、ペテネーラ、シギリージャをフアン・アビチュエラの伴奏で。
1992年のソレア・アポラー。伴奏はマノロ・フランコ。
1993年のカンティーニャス。伴奏はマヌエル・シルベリア
Manuel Domínguez Marín
“Manolo Marín”
Sevilla, 1936
マノロ・マリン
本名マヌエル・ドミンゲス・マリン
1936年セビージャ生まれ

2019年セビージャ舞踊学院でのオマージュにて、クリスティーナ・オヨス、アナ・マリア・ブエノ、ホセ・アントニオらと
トリアーナに生まれ、子供の頃から独学で踊り始め妹とのデュオでプロとしての活動を開始。ソロとなってからは、グラン・アントニオの舞踊団やバルセロナやパリなどで活躍。1974年にセビージャに戻り、教室を開き多くの踊り手たちを送り出してきた。また、振付家としてもマヌエラ・バルガス、クリスティーナ・オヨス舞踊団、アンダルシア舞踊団、スペイン国立バレエ団などに数多くの作品を提供しているほか、セビージャ万博でのスペイン歌謡の大スターを集めた作品『アサバチェ』やテレビシリーズ『カルメンを探して』などの振り付けも手がけた。現在はスタジオをマヌエル・ベタンソスに譲り、悠々自適の生活だが、オマージュなどで舞台に上がるとアルテに満ちた素晴らしい足取りを見せてくれる。

1987年ペーニャでの教室発表会で
【動画】
1990年10月、ビエナルのヒラルディージョのコンクールに参加したホセ・ルイス・ロドリゲスの伴奏で踊るタラント。88年のビエナルでマリア・パヘスなどへの振付で一躍タラントを流行させたマノロの王道タラント。歌はアントニオ・サアベドラとフアン・レリダ。
2010年のビエナル、オテル・トリアーナでのタンゴ。歌はフアン・ホセ・アマドール。後半はこの作品を監督したセグンド・ファルコンのカンテソロ。
2020年2月スペイン国立バレエ団との『シンコ・トレロス』稽古風景

2025年9月、セビージャのペーニャ、トーレ・マカレーナにて
Juan Santiago Maya
“Marote”
Granada 28-5-1936 18-9-2002
フアン・マジャ“マローテ”
本名 フアン・サンティアゴ・マジャ
1936年5月28日グラナダ生まれ 2002年9月18日 没

独特の深くて太く強い音。エレガントでめちゃくちゃかっこいいのはその演奏だけじゃなく人としても、だった。祖父の薫陶を受け、幼くしてサクロモンテの洞窟で踊り手としてプロ活動を開始、後、ギタリストに転向。18歳でマドリードに移り、タブラオで活動を開始。以後、カルメン・アマジャ、マリオ・マジャ、アントニオ・ガデス、エル・グイト、フェルナンダ・デ・ウトレーラ、パケーラ・デ・ヘレス、フォスフォリートといった超一流のアーティストたちを伴奏。踊り手マノレーテの兄であり、彼の伴奏などで複数回来日している。日本在住のギタリスト、ぺぺ・マジャの父である。

1966年発売のフアン・アビチュエラとカップリングのギターソロミニアルバム。
【動画】
フェルナンダ・デ・ウトレーラ伴奏録音。このアルバムの6〜10がマローテの伴奏。1970年発表のアルバム『フェルナンダ・イ・ベルナルダ・デ・ウトレーラ(邦題;真情のカンテ、フェルナンダとベルナルダ)』から。
1987年スペイン国立バレエ団『ロス・タラントス』で伴奏をしている珍しい映像。踊っているのは弟マノレーテ。
3人のギタリストの一番左。

サビーカス、パコ・デ・ルシア、マローテ、フアン・アビチュエラ(1987年?)
【筆者プロフィール】
志風恭子(Kyoko Shikaze)/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。
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