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スペイン発☆フラメンコ・ホットライン

(miércoles, 3 de enero 2024)

 

文/志風恭子

Texto por Kyoko Shikaze

 

 12月のセビージャはクリスマスムード一色。最近の調査によるとスペインでは国民の半数以上がカトリック信者で、そのほかの宗教の信者は3%のみ(そのほかは無宗教など)だそうなのだけど、多様性の時代ということで、最近は “Feliz Navidad”クリスマスおめでとう、という挨拶から、宗教色を抜いた祭日おめでとう”Felices Fiestas”的な言い方をする人も増えている印象です。

 クリスマスにはケーキを食べてプレゼントをもらい、大晦日にはお寺で除夜の鐘を撞き、元旦は神社にお参りする、いかにも日本人な人生を送ってきた私は、カトリック要素満杯なスペインのクリスマスも楽しんでいるので、ついクリスマスおめでとう、と言ってしまうのですが、そろそろ考えなくてはいけないのかもしれません。


【サンボンバ】

2401志風ニュース 2023サンボンバ Instituto Andaluz del Flamenco

Instituto Andaluz del Flamenco

 

 クリスマスにつきものなのがビジャンシーコ。ビジャンシーコとはスペイン語でクリスマスソングのこと。昔からこの時期、タブラオのフィナーレでもブレリアやルンバのリズムで歌われたりしていたものですが、最近は、ヘレスのクリスマスの集いであるサンボンバが一般にも広く知られるようになり、今はヘレスのアーティストたちのグループによる公演だけでなく、各地のフラメンコ・アーティストによるクリスマスコンサートも「サンボンバ」と呼ばれるようになっています。

 本来サンボンバとは、底の無い壺に皮などを貼って真ん中に棒を通し、その棒をこすって摩擦音を出す楽器のこと。ヘレスで一般に広く行われていた、この楽器を使って調子を取りながら家族やご近所など、内輪でクリスマスソングを歌い踊る宴もサンボンバと呼ばれていたのです。そこで歌われていた曲を集めたアルバムが1982年からヘレスの銀行によってリリースされるようになり、毎年、新曲や伝統曲に想を得たものなどが次々と発表され、ヘレスのクリスマスソングは独自の発展を遂げました。

 そんな背景もあったのか、身内の宴だったものが人気を呼ぶようになったのは20年くらい前からでしょうか。今では、クリスマスシーズンには各地から多くの観光客がサンボンバを目的に訪れ、またヘレスのビジャマルタ劇場では複数の公演が行われ、色々なグループがスペイン各地でも公演するようになりました。

 

 今年はアンダルシア州フラメンコ研究所主催のサンボンバも、メッカのヘレスはもちろん、ヘレスにも近いアルコス・デ・ラ・フロンテーラやグラナダのアランブラ劇場、セビージャの民俗博物館などでも行われました。

2401志風ニュース 2023サンボンバ 民俗博物館

セビージャ民俗博物館での公演。ラファエル・デ・ウトレーラのグループ/Instituto Andaluz del Flamenco


【訃報】

2401志風ニュース ペドロ・ペーニャ フラメンコギタリスト

©Kyoko Shikaze


 12月20日、レブリーハのギタリスト、ペドロ・ペーニャが亡くなりました。84歳でした。

 母は歌い手マリア・ラ・ペラータ、弟に歌い手エル・レブリハーノ、息子はギタリストのペドロ・マリア・ペーニャ、ピアニストのドランテスというフラメンコ一家。さらに言えば、フェルナンダやペドロ・バカンらも親戚というとんでもない名門。70、80年代、アントニオ・マイレーナやテレモートをはじめ、数々の歌い手たちを伴奏、欠かせない存在でした。自身も歌もよくし、また詩集やフラメンコについての本を執筆するなど多方面で活躍しました。


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 11月29日、ヘレスのギタリスト、ホセ・ルイス・バラオが亡くなりました。享年85歳。名前を聞いたこともないという人も多いかもしれません。彼はレコード録音や劇場公演などの表舞台で華々しい活躍をみせた人ではありません。でも、今あるヘレスのフラメンコを支えた一人なのです。

 ヘレスの名手ハビエル・モリーナ、名教授ラファエル・デル・アギラに師事した彼は、ギタリストとしてマドリードやバルセロナで活動後、ヘレスに戻り、1981年マヌエル・ロサノ“カルボネロ”とともにギター教室を開きます。ここから多くのギタリストたちが巣立っていきました。アルフレド・ラゴス、ボリータ、フアン・ディエゴ、ハビエル・パティーノ、マヌエル・バレンシア、サンティアゴ・ララ…ディエゴ・デル・モラオも最終、数回通ったといいます。

 ヘレスから数多くの素晴らしいギタリストが生まれてくるのは偶然ではなく、良い先生がいたから、なのです。その前の世代、パリージャやモライート、ニーニョ・ヘロ、ヘラルド・ヌニェスらにはラファエル・デル・アギラがいたように、現在活躍中の若い世代はバラオとカルボネロの教室があったからこそ巣立ってきたのです。

 同じことは舞踊でもあって、やはり今年亡くなったフェルナンド・ベルモンテがアルバリスエラ少年少女舞踊団を作ったことでホアキン・グリロやドミンゴ・オルテガら舞踊家たちも育っていったのです。

 もともとヘレスがフラメンコ揺籃の地で、フラメンコに親しんでいたというのはあるにせよ、名教授なくては才能もプロとなるまでには育ちません。バラオ先生のご冥福をお祈りします。

2401志風ニュース ホセ・ルイス・バラオ

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 12月27日には同じヘレスの歌い手、アントニオ・アグヘータスも亡くなりました。ドローレス・アグヘータスの弟。子供の頃から舞台に上がっていたものの、ドラッグや盗みで14年の月日を刑務所で過ごしました。服役中に受刑者のカンテコンクールで優勝しCDを録音。出所後はビエナルやヘレスのフェスティバルなどにも出演し、3枚のアルバムを録音しています。安らかに。


2401志風ニュース_アントニオ・アグヘータ


【筆者プロフィール】

志風恭子(Kyoko Shikaze)/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。


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