スペインNews 7月号・2025
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更新日:5 日前
(domingo, 6 de julio 2025)
文・写真/志風恭子
Texto y fotos por Kyoko Shikaze
6月末、スペインに熱波とのニュースが日本でも放送されていたようですね。オフィシャルの最高気温が40度超えで、それが何日か続きました。毎年のことで慣れているはずなのですが、やっぱり暑いのは暑い。特に最初の一撃はこたえます。日本に比べると湿度が低い分、日陰に入れば割と過ごしやすいのですが、日向はサウナみたいな感じです。なので、この時期にアンダルシアにいらっしゃる方は観光や買い物などは早起きして午前中に済ませ、スペイン時間でお昼食べた後の15時くらいから20時くらいまでは外に出ず、シエスタ、お昼寝をして、フェスティバルやタブラオなど見に出かけるなら夜、というのが正解。ちなみにこの時期、日の出は7時で日の入りは22時近いので、日本から来ると時差以上に体内時計が狂わされる感じがあるかもしれません。反対にスペイン人的には4時頃から明るくなる日本に慣れづらかったりします。

コルドバ駅前の温度計。13時過ぎの気温。通常、日陰で測られるオフィシャルよりも街頭温度計は高い温度を示します。
《INDEX》
【コルドバ県青少年フラメンココンクール】
そんな熱波襲来中の6月28日。コルドバ県主催の青少年フラメンココンクールの決勝が、県南部の、マラガ県、セビージャ県との県境に近いところにあるエンシナス・レアレスの街のオーディトリオで開催されました。盆地のコルドバに比べると標高が高いこともあって少しはしのぎやすかったですが、それでもアバニコ、扇子必須の暑さです。
今回で第22回となるこのコンクールの審査員に任命され、12、13日にコルドバ県庁のパティオの特設舞台での準決勝、決勝と、エル・ペレ、アルカンヘル、スペイン国立バレエ監督ルベン・オルモ、ハエン音楽学校フラメンコギター科教授ラウラ・ゴンサレスとともに、3日間、審査をさせていただきました。
14歳から35歳までのコルドバ県在住在学者を対象としたこのコンクール、準決勝初日にその舞踊のレベルの高さに圧倒されました。結果的に、この日の出場者4人が決勝進出となりましたが翌日の参加者たちもそれぞれがんばりました。何よりも18歳以下でもちゃんと一曲踊りこなしているのにびっくり。スペインの底力ですね。歌やギターではフラメンコらしさと技術のバランスが難しいところかな、と思いました。
またこのコンクールではオフィシャルの伴奏者もいるのですが、自分のギタリストと出場している歌い手も多く、その中には残念ながら伴奏者に足を引っ張られ自分の能力をちゃんと発揮できないまま終わってしまった感のある人もいたのは残念に思います。共演者選びからコンクールは始まっているのかもしれません。
さて決勝。いずれの参加者も準決勝以上の実力を発揮してくれました。コンクールなのに、審査員なのに、つい、オレ!と口にしてしまった瞬間もあったことを告白します。
審査の結果は以下のとおりです。
●カンテ/アントニオ・フェルナンデス・ディアス“フォスフォリート”賞
マリア・レジェス・イダルゴ
●ギター(ソロと歌伴奏)/ビセンテ・アミーゴ賞
メルチョール・デ・フアン・レジェス・ヒメネス

●舞踊14〜18歳/ブランカ・デル・レイ賞
ラウル・アルバ・クルス
●舞踊19歳以上/オルガ・ペリセ賞
ナタリア・ガルシア・カストロ
決勝に残っても優勝者以外には賞金も商品もなく、賞状だけという厳しい世界。でもルベン・オルモ監督が4人にスペイン国立バレエ団のレッスンに参加できるというベカを特別に贈ってくれました。より大きな目標に向かってがんばるためのモチベーションになりそうですね。

19歳以上部門のインマクラーダ・カルモナはバタの扱いが見事だったし、

18歳以下の部門のルシア・ビノスはマントンでのバンベーラ上手でした。

決勝参加者と審査員。左からメルチョール・デ・フアン、ラウル・アルバ、ルベン・オルモ、ナタリア・ガルシア、ルシア・ビノス、アルカンヘル、ラウラ・ゴンサレス、県文化担当官、インマクラーダ・ロペス、志風、エル・ペレ、マリア・レジェス、アントニオ・ヘスス、インマクラーダ・カルモナ、エンシナス・レアレス市長、コンクールのコーディネーターで司会も務めたアントニオ・アルコス。
なお、ギター部門優勝のメルチョール・デ・フアンは名手メルチョール・デ・マルチェーナのひ孫にあたり、現在コルドバの音楽学校在学中なのだとか。フラメンコ性が高い、歌をよく知っている歌伴奏はそんな環境ゆえかもしれませんね。準優勝のアントニオ・ヘスス・ゴメスはよくギターを鳴らしていたのが印象的でした。
この中からプロとして第一線で活躍する人が出てくることを心から願っています。
●志風とルベンのコンクール由来のトーク(スペイン語)
【セビージャの日本人フラメンカたち】
コルドバも暑けりゃセビージャも暑い。でも、6月の熱波が来る前にはセビージャ留学中の踊り手たちのライブを見ることもできました。
6月7日はアウロラ・リゲラという、歌うフルート奏者のリサイタルに出演する瀬戸口琴葉を見に、セビージャの老舗ペーニャ、トーレス・マカレーナへ。フルート演奏していたかと思うと歌い始めるアウロラも期待のアーティストだけど、瀬戸口のアレグリアスとソレアが良かった! 前に見た時よりもリラックスして自然体でフラメンコを楽しんでいるように見えました。今回は自分が主役じゃないの で肩の力が入っていない、とかもあるのかな。とにかく良かった。特にアレグリアスは任にあっているという気がしました。お客さんも大いに満足。良き夜となりました。
14日は、ロス・ヒターノス教会のそばにあるプエルタ・ソルというカフェバーへ。30年前から不定期でフラメンコライブを行なっているという店で、そういえばその昔、屋良有子、里有光子、髙木亮太のライブを見に行ったことがありました。
15年ぶりに来たのは、大城まどかと鬼頭幸穂のライブのため。一枚のマントンを二人で使い、カスタネットも駆使してのグアヒーラに始まり、大城のタラント、鬼頭のマントンのアレグリアス、最後は着物風の衣装で再びデュオで録音のファンダンゴ。こちらもカスタネットを使って。元スペイン国立バレエ団ウルスラとタマラのロペス姉妹のスタジオに通う二人。カスタネットを使いスペイン舞踊に傾いた意欲的な構成。意気込みがいい。ただ伴奏者が良かったらもっといい公演になったかも。大城のキリッとしたタラントも、鬼頭の華やかなアレグリアスもよかったですよ。もう一回伴奏者変えてやってくれると嬉しいな。
【追悼ラモン・エル・ポルトゥゲス、サブー】
6月16日、歌い手、ラモン・エル・ポルトゥゲスが亡くなりました。
本名ラモン・スアレス・サラサールは1948年、ポルトゥガル国境に程近いエストレマドゥーラ地方、ローマ遺跡で有名なメリダの生まれ。その昔、抜群の人気を誇ったポリーナ・デ・バダホスの甥で、弟にやはり歌い手のグアディアナ、息子たちにはギタリスト、“パケーテ”、パーカッション奏者のラモン“ポリーナ”、パコ・デ・ルシアのグループで活躍した“ピラーニャ”、アントニオ・カナーレス舞踊団で来日もしたサブーがいます。
その昔、1967年の新宿『エル・フラメンコ』開店時、最初のグループの一員として来日しています。
その時のプログラムにはルンベーロとあり、ギターを手にした写真が掲載されています。

舞踊伴唱を得意とし、劇場やタブラオの舞台で活躍しましたが、エストレマドゥーラ地方を代表とするアーティストで、土地の曲であるハレオやタンゴは絶品で、唯一無比の天才歌手カマロンにも影響を与えたといいます。

その死の余韻も冷めない中、6月23日には息子、サブーもなくなったそうです。まだ41歳。1999年、2000年のアントニオ・カナーレスの舞踊団の来日公演がプロとしての初めての仕事だったと聞いています。大きな身体でいつも恥ずかしそうにしていたのを思い出します。1984年生まれというから当時14歳かあ、中学生じゃないですか、シャイなのも当然ですね。

2000年のカナーレス舞踊団日本公演プログラムの写真から。もう一人のカホンはルキ・ロサーダ。
あれ以来あまり会うこともなかったので私の中ではまだ幼い顔のイメージが強く残っていて、それだけに余計ショックでした。お二人のご冥福を心よりお祈りいたします。
【筆者プロフィール】
志風恭子(Kyoko Shikaze)/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。
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