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新・フラメンコのあした vol.40

  • 10 時間前
  • 読了時間: 4分

(lunes, 1 de junio 2026)

 

20年以上にわたりスペインで活動するジャーナリスト東敬子が、今気になるスペインフラメンコのあれこれを毎月お届けします。

今月は、今年3月にマドリードで上演されたメルセデス・デ・コルドバの劇場公演についてのリポートです。

  

メルセデス・デ・コルドバ

『オルビダダス(ア・ラス・シンソンブレロ)』

セントロ・ダンサ・マタデーロ(ナベ11)、マドリード、スペイン

2026年3月28日 

 

Mercedes de Córdoba

"Olvidadas (A las Sinsombrero)"

Centro Danza Matadero (Nave11), Madrid.

28 marzo 2026.


文/東 敬子

画像/宣伝素材、東 敬子

Texto por Keiko Higashi   

Fotos por promoción, Keiko Higashi

 


2606東_メルセデス・デ・コルドバ

 

タイトルにある「忘れられた女性たち(Olvidadas)」とは一体誰なのか。

踊り手メルセデス・デ・コルドバ (Mercedes de Córdoba) が2024年セビージャの「ビエナル・デ・フラメンコ」で初演した今作は、複雑なようでシンプル、深刻な中にもアイロニーを盛り込んだ斬新な演出が印象的な作品でした。

 

近代スペイン文学の中で最も稀有な1920年代、伝統と前衛を融合する画期的な作家、詩人らが一堂に介した世代が、いわゆる「27年世代」で、その中にはフラメンコ愛好家で有名なフェデリコ・ガルシア・ロルカ(1898−1936)も名を連ねます。

 

そしてその輝かしい天才グループには女性の作家や知識人も含まれ、当時の身だしなみであった帽子をかぶることを拒否するなど型破りな発想を押し出す彼女たちは、後に「帽子を被らない女性たち」と呼ばれました。つまり、この作品のタイトル「忘れられた女性たち」とは、彼女ら「27年世代」の「帽子を被らない女性たち」のことで、じゃあその輝かしい才能がなぜ忘れられたのかと言えば、それは当時のスペインの政治情勢の弊害に他なりません。内戦の混乱で作家、特に過激な思想と判断された作家にはロルカのように処刑される者もいて、国外逃亡も相次ぎ、「27年世代」は消滅の一途を辿ります。「女性たち」に至ってはその存在もろとも歴史のページから抹殺されました。

 

そして当時の自由な表現が許されなかった女性たちの苦悩を自分の肌身に感じ取り、作品を作り上げたのがメルセデス・デ・コルドバでした。

 

1980年コルドバ生まれの現在46歳。4歳でバイレを習い始め、6歳で映画「モントージャ・イ・タラントス」に出演。ハビエル・ラトーレ舞踊団に所属したのち、1998年より15年以上エバ・ジェルバブエナ舞踊団で活躍。2013年33歳に処女作を発表し、その後ソリストとして活動してきました。今回の「オルビダダス」では2025年にロルカ賞にてスペイン舞踊とフラメンコにおける「優秀作品賞」を受賞しています。

 

観る者を「オレ!」と言わせる迫力。その鉄火肌のバイレは非常に見応えがあり、今回も観客を大いに沸かせました。20年代当時の女性を演じる3人(アレハンドラ・クレオ、マルタ・カニサーレス、ポリーナ・ソフィア)の嘆きと、その横でその気持ちに突き動かされるメルセデスの激しい動揺。二つの時代が交差する様は、複雑な感情の交差であっても非常にシンプルに上手く構成されていたことで、観客に言わんとすることが良く伝わったのではと思います。このあたりはエバ・ジェルバブエナの影響が色濃く見えましたが、それは別に悪いことではない。むしろ、良い手法は受け継ぐべきでしょう。


2606東_mercedes de cordoba (c) keiko higashi
(c) Keiko Higashi

フアン・カンパージョのギターを中心に、ダブルベース演奏(ガル・マエストロ)やモダンな動きなどを取り入れながらも、ファンダンゴ・デ・ウエルバ、セギリージャ、グアヒーラ、ブレリアなど、バラエティに富んだ曲種でフラメンコの杭を地面に打ち付け、その味を打ち出すことは忘れませんでした。カンテのヘスス・コルバチョが女性に帽子ならぬバケツを頭から被せ、そのバケツをゴルぺで叩きながらコンパスを取るシーンはちょっとショッキングでしたが、その後メルセデスが逆に男性陣にバケツを被せる場面はおもしろかったです。

 

ではこの作品で足りなかった部分があるとすれば何だったでしょう。それは「女性たち」を演じたバイラオーラ達の重さだったと思います。自由を謳歌する現代の若者が、閉じ込められる苦しみをリアルに演じるのは中々困難なことです。メルセデスの想いは、彼女の踊りから十二分に伝わってきました。しかし、彼女たち3人からは、やはり「歴史の中の出来事」を演じているという「他人事」感を感じてしまう。苦しい、息ができないと悶える、その様が、私のような年齢の者には、「苦しむとはそういうことではない」と映ってしまうのです。

 

まあこれは、回を重ねるごとに改善されていく事でしょうから、今後に期待したいところではあります。


 

【筆者プロフィール】

東 敬子 (Keiko Higashi)/フラメンコ及びスペインカルチャーのジャーナリストとして、1999年よりマドリード(スペイン)に在住し執筆活動を続ける。

 

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