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新・フラメンコのあした vol.27

  • norique
  • 5月1日
  • 読了時間: 4分

更新日:5月7日

(jueves, 1 de mayo 2025)

 

20年以上にわたりスペインで活動するジャーナリスト東敬子が、今気になるスペインフラメンコのあれこれを毎月お届けします。

今月は、昨年10月から11月にマドリードで開催された「スマ・フラメンカ2024」フェスティバルで上演されたアルフレド・ラゴスとベレン・マジャの公演についてのリポートです。

 

アルフレド・ラゴス&ベレン・マジャ

『ラ・ポエタ』

スマ・フラメンカ2024 フェスティバル

カナル劇場・黒の間、マドリード

2024年10月26日

 

Alfredo Lagos y Belén Maya,

“La Poeta”

Festival Suma Flamenca 2024

Teatros del Canal, Sala Negra, Madrid.

26 de octubre 2024

 

文:東 敬子 

画像:宣伝素材 / 東 敬子

Texto: Keiko Higashi

Fotos: Por promoción / Keiko Higashi


A_2505東ph_Alfredo lagos belen maya Andrej Vujicic

(写真左から)アルフレド・ラゴス、ベレン・マジャ、アンドレイ・ヴジシック


人は「ここまでか」という瞬間を実感した時、恐怖で汗を滴らせながらも、同時に不思議な解放感を感じるのではないでしょうか。もう苦悩する日々は終わるのだと言うような。

 

諦めや後悔に彩られた、主人公が感じるリアルな恐怖を、慟哭を、私達は目前にしながらも、最初はどうしても他人事のような、ちょっと冷めた「そんな事を言われても」とでも言いたげな、迷惑そうな表情を浮かべるばかりでした。

 

しかし本来なら踊り手が足音で描くであろうリズムの波が、パーカッショニストが打つ古いタイプライターの音で表現されたり、辛く重いサパテアードが、紐のついた鉛の球を床に打ち付ける音で再現され、私たちはハッとするのです。「身体を使う事が出来ないのであれば道具を使えば良い」。大きな弧を描いて規則的に床に打ち付けられる鉛の球の、すれすれでうごめく身体。球が当たって、彼女は怪我をしてしまうのではないか。ハラハラする私達をよそに、彼らは絶妙のタイミングで空間を操るのです。そうして私達は感情を超えた、めくるめくアートの世界へと導かれて行くのです。

 

空間の全てを包み込むような包容力に満ちたギターの音色に、押しては引く波の音に、彼女は身を置き、大地を踏み鳴らします。かつてのように一つのナンバーを長く踊ることはできなくても、ここには今の自分がいる。彼女はこれまで、様々な挑戦に挑み、自身を表現してきました。その時々の心の発露であったり、フラメンコにおける新たな身体表現の追求であったり。しかし今の彼女には、そんな、ある意味演じられた表現よりも、ありのままの切羽詰まった心情が露呈していました。「今すぐやらなきゃ無くなってしまうんだ」というような。人は何にでもすぐ慣れてしまう動物です。それがたとえ恐怖であっても。だからこそ、身体の無理を押してでも、今なんだと。

 

なんだか、井上陽水の歌の印象的なワンフレーズを思い出しました。「行かなくちゃ」を繰り返すその声に、その時の彼の衝動を実感する。彼女の動きにも同じ衝動を見ました。

 

そして私達の心は、哀れみや同情を忘れ、感動に打ち震えたのです。類稀なるアーティストである証明を、誰もが追求する「リアルな自分を曝け出す事」を、彼女が成し得た奇跡の瞬間を前にして。

 

やっと伸び揃った短髪。20世紀を代表する踊り手を父にもち、ニューヨークに生まれ、20代の頃から新時代のフラメンコの旗手として頭角を表し、今もなおその歩みを止めないバイラオーラ、ベレン・マジャは、最後のナンバーで、下は長く尾を引くバタ・デ・コーラ、上は白いサラシを胸に巻いただけの姿で、静かにステージの暗闇に現れました。

B_2505東ph_belenmaya alfredolagos (c) keiko higashi
© Keiko Higashi

「スマ・フラメンカ2024」での公演が世界初演となった今作品『ラ・ポエタ』。スイスに生まれ、アルゼンチンでその生涯をおくった詩人アルフォンシナ・ストルニの作品にインスピレーションを得て、ギタリスト、アルフレド・ラゴスが作り上げた世界観は、静かで深刻で、しかし決して涙を見せない強さと情熱を醸し出し、パーカッションのアンドレイ・ヴジシックのある種、客観的な冷静さを保つ音と共に絶妙なハーモニーを聴かせます。その音に見守られながら、ベレンは自分自身の人生を、想いを曝け出します。彼女はステージを踏み締め、観客をしっかりと見つめ、そして胸のサラシを取りました。

 

以前ロシオ・モリーナが胸をはだけて(彼女の場合は全裸でしたが)自分を表現したステージを見た事があります。もちろん、ロシオにとってもそれは自身の証しであり、勇気でもあったのでしょう。でもまだ30歳そこそこだった彼女のそれと、今回のベレンのそれを同じにはできない。

 

ベレンは必死に訴えてくれました。そして最後は、何かに解き放たれたように笑顔さえ浮かべて、観客の喝采に応えました。人って強い。私はこのフィナーレの瞬間に色々な記憶が感情が湧き上がり、溢れてくる涙を抑えきれませんでした。

 

【筆者プロフィール】

東 敬子 (ひがし けいこ)/フラメンコ及びスペインカルチャーのジャーナリストとして、1999年よりマドリード(スペイン)に在住し執筆活動を続ける。スペインに特化したサイト thespanishwhiskers.com を主宰。

 

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