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アーティスト名鑑vol.19

(martes, 21 de enero 2025)

 

スペイン在住30年以上、多数の一流フラメンコ・アーティストらとも親交のあるフラメンコ・ジャーナリスト志風恭子が、歌・踊り・ギターそれぞれの代表的アーティストらのプロフィールをピックアップ。過去の取材で撮影した写真や、チェックしておきたい動画などもご紹介します。

 

文/志風恭子

Texto por Kyoko Shikaze

 

*名鑑登場アーティスト一覧はこちらから

 

 

José Soto Soto 

“José Mercé”

Jerez de la Frontera 19-4-1955

 

ホセ・メルセ

本名 ホセ・ソト・ソト

1955年4月19日ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ生まれ

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2007年 La Unión

マヌエル・ソト・ソルデーラの甥。子供の頃から歌い始め、13歳でマドリードへ。タブラオなどで活躍。1977年初のソロアルバム『バンデーラ・デ・アンダルシア』を録音。ガデス舞踊団でも歌い、1981年の映画『血の婚礼』にも出演している。1986年コルドバのコンクールで優勝。マドリードのタブラオにスター格で、また各地のフェスティバルなどに出演。声、音程や感覚の良さを買われてか、マノロ・サンルーカルのアルバムや公演にも出演。1998年にビセンテ・アミーゴのプロデュースでリリースしたアルバム『デル・アマネセル』が大ヒット。ヒットチャートに名を連ねるような人気歌手となり、皇太子(現国王)の結婚式にも招待されるような有名人に。幅広いレパートリーを持つ巧い歌い手で、モライートの伴奏で彼を聴くのが好きだった。今はアントニオ・イゲーロが主に伴奏している。


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2007年 La Uniónでモライートの最高の伴奏で歌う。


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2010年 Ronda


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2016年 La Unión

 

【動画】

モライートの伴奏でシギリージャを歌う1996年.カナルスールのフラメンコ番組にて。


大ヒットした『アイレ』のビデオクリップ


フラメンコ曲以外のカバーも多く、ここではマミーブルーをフラメンコ風に歌ってます。


 

Cristina Hoyos Panadero

Sevilla 13-6-1946

 

クリスティーナ・オヨス

1946年6月13日セビージャ生まれ

 

1992年バルセロナ五輪開会式で真紅の衣装で登場したクリスティーナ・オヨスはスペインを代表する舞踊家の一人。類まれな表現力、柔らかで自在なブラソで世界を魅了してきた。アデリータ・ドミンゴやエンリケ・エル・コホに学び、15歳からタブラオで踊るようになる。1965年にはニューヨーク万博スペイン館で半年間踊り、帰国後はマドリードへ。1969年からアントニオ・ガデスの相手役を長年務め、78年にはスペイン国立バレエ団創設時のプリンシパルとなる。ガデスとともにカルロス・サウラ監督映画『血の婚礼』『カルメン』『恋は魔術師』、ガデス舞踊団退団後、1989年自らの舞踊団を旗揚げ、パリで初演。また映画『アンダルシアの恋物語』などにも出演。2003年、アンダルシア舞踊団監督に就任。2006年にセビージャに舞踊博物館をオープン。1975、76年には新宿『エル・フラメンコ』出演のため来日したのを始め、ガデス舞踊団で3回、自分の舞踊団でも7度来日している。個人的には昔、ヘレスのフェリアで明け方、フィエスタも終わりかけという時に踊ってみせたブレリアが忘れられない。アウエーでも周りを圧倒してしまうものすごい存在感、フラメンコ性。あれこそ名人技。

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左から夫フアン・アントニオ・ヒメネス、クリスティーナ、マティルデ・コラル、マイテ・プルポン。2003年セビージャにて ©︎ Kyoko Shikaze


2011年東京 真夏の夜のフラメンコのリハーサルの合間に ©︎ Kyoko Shikaze


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2016年、マティルデの映画の ©︎ Kyoko Shikaze

 

【動画】

カナルスールの彼女についてのドキュメンタリー。


2003年アンダルシアの日のガラ番組、作品『ティエラ・アデントロ』のブレリア。


五輪開会式での様子


 

Enrique Jiménez Ramírez

“ Enrique de Melchor”

Marchena(Sevilla)15-7-1951  Madrid 2-1-2012

 

エンリケ・デ・メルチョール

本名エンリケ・ヒメネス・ラミレス

1951年7月15日マルチェーナ(セビージャ)生まれ、2012年1月2日マドリード没

 

父は伴奏の名手として知られたメルチョール・デ・マルチェーナ。12歳でマドリードに移り住み、15歳でタブラオ『ロス・カナステーロス』でデビュー。1971年にはパコ・デ・ルシアのアルバム『霊感』に参加、翌年の日本公演にもパコの兄ラモンとともに来日。1979年にはヘレスのフラメンコ学会のプレミオ・ナショナル受賞、また新宿『エル・フラメンコ』に妻で踊り手のホセーラの伴奏で出演。安定感のある伴奏には定評があり、エル・レブリハーノやホセ・メネセ、ホセ・メルセなどの歌い手たちとの共演でフェスティバル、録音で活躍。ソロも1977年からトータル8枚をリリースしている。伝統に現代的感覚を加え、心地よい、耳に残るメロディをも作り上げることのできる得難い才能の持ち主だった。早逝が惜しまれる。

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2007年  ©︎ Kyoko Shikaze

 

【動画】

1991年 カナルスールのフラメンコ番組でのタンゴ。フルートでフアン・パリージャ、パーカッションにラモン・ポリーナ。親しみやすいメロディが聞かれる。


1999年のタンゴ


2008年カナルスールの番組でのシギリージャのソロ

 

【筆者プロフィール】

志風恭子(Kyoko Shikaze)/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。

 

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