(miércoles, 25 de diciembre 2024)
スペイン在住30年以上、多数の一流フラメンコ・アーティストらとも親交のあるフラメンコ・ジャーナリスト志風恭子が、歌・踊り・ギターそれぞれの代表的アーティストらのプロフィールをピックアップ。過去の取材で撮影した写真や、チェックしておきたい動画などもご紹介します。
今月は19世紀後半から20世紀前半に活躍したヘレス出身アーティストが揃いました。
文/志風恭子
Texto por Kyoko Shikaze
*名鑑登場アーティスト一覧はこちらから
Antonio Chacón García
“Antonio Chacón”
Jerez de la Frontera (Cádiz) 16-5-1869 – Madrid 21-1-1929
アントニオ・チャコン
本名 アントニオ・チャコン・ガルシア
1869年5月16日ヘレス生まれ、1929年1月21日マドリード没
スペイン語の敬称であるドンをつけてよばれる唯一の歌い手。カンテの父と呼ばれるのは、フラメンコ草創期の歌い手たち、シルベリオ・フランコネティやエンリケ・エル・メジーソらを聴き、学び、今あるカンテの基礎を整えたことによるものだろう。十代半ばですでにプロとしてセビージャなど各地で活躍。19世紀末の蝋管レコードに始まり、20世紀に入ってからのSPレコードなど、ラモン・モントージャらの伴奏で比較的多くの録音を残している。この写真の本にはCD3枚が付属しており、詳細な解説もついているのでおすすめ。
【動画】
マラゲーニャの録音(音声のみ)
チャコンのマラゲーニャをエンリケ・モレンテが歌った録音
ヘレスの街角にあるチャコンの銅像
Juana Vargas de las Heras
Juana "La Macarrona"
Jerez de la Frontera (Cádiz) 5-5-1870 – Sevilla 13-4-1947
フアナ“ラ・マカローナ”
本名フアナ・バルガス・デ・ラス・エラス
1870年5月5日ヘレス生まれ、1947年4月13日セビージャ没
初期のフラメンコ舞踊を代表する踊り手、フアナ“ラ・マカローナ”。父はギタリスト、母は歌い手というフラメンコ一家に生まれ、子供の時から踊り、セビージャやマラガ、マドリードのカフェ・カンタンテというタブラオの前身のようなフラメンコを見せる店で活躍。1889年のパリ万博に出演し、注目を集め、1891年、1893年にもパリで公演。1922年グラナダでマヌエル・デ・ファリャやロルカの尽力で開催されたカンテコンクールでも踊ったという。1933年にはラ・アルヘンティニータによる作品『カジェ・デ・カディス』に出演。彼女の踊りに学んだパストーラ・インペリオからマティルデ・コラルが学んだものが、今もフラメンコ舞踊の芯の一つとなっている。
Alfonso Groso画
【動画】
残念ながら彼女の踊っている映像はバレエダンサー、レオニード・マシーンが撮影したものがあるようだが、私が知る限りネット上で簡単に見ることはできないようだ。
1944年、映画で占いをするジプシー老女役を演じているところだという映像。
インターネットアーカイブにおける彼女の写真
Javier Molina Cundí
“Javier Molina”
Jerez de la Frontera(Cádiz)4-5-1868 - 26-6-1956
ハビエル・モリーナ
本名 ハビエル・モリーナ・クンディ
1868年5月4日ヘレス生まれ、1956年6月26日没
ヘレスのギターの源流と言える存在。8歳ですでにギターを弾いてお金を稼ぎはじめ、12歳で母を養うほどだったという。地元ヘレスやセビージャ、マドリードなどのカフェ・カンタンテで活躍。同世代のアントニオ・チャコンやマヌエル・トーレなどの伴奏で名を知られ、ニーニャ・デ・ロス・ペイネスの一座でも演奏している。後、地元ヘレスで教授活動を行い、その門下にはマヌエル・モラオやパリージャ・デ・ヘレスの他、ニーニョ・ヘロやヘラルド・ヌニェスらの師匠ラファエル・デ・アギラの名もあげられる。そのシギリージャやアレグリアスのファルセータなどは今も演奏され続けられている。
【動画】
数少ない録音の中からマヌエル・トーレのシギリージャ伴奏(音声のみ)
マノロ・サンルーカルがハビエル・モリーナに捧げたファルーカ(音声のみ)
【筆者プロフィール】
志風恭子(Kyoko Shikaze)/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。
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