アーティスト名鑑 vol.23
- norique
- 5月21日
- 読了時間: 5分
(miércoles, 21 de mayo 2025)
スペイン在住30年以上、多数の一流フラメンコ・アーティストらとも親交のあるフラメンコ・ジャーナリスト志風恭子が、歌・踊り・ギターそれぞれの代表的アーティストらのプロフィールをピックアップ。過去の取材で撮影した写真や、チェックしておきたい動画などもご紹介します。
文/志風恭子
Texto por Kyoko Shikaze
*名鑑登場アーティスト一覧はこちらから
María Dolores Amaya Vega
“Remedios Amaya”
Sevilla 1962
レメディオス・アマジャ
本名 マリア・ドローレス・アマジャ・ベガ
1962年 セビージャ生まれ

2018年 Bienal での『ヒターナ』公演で ©︎ Oscar Romero
初期のアルバムに収録された『タンゴス・デ・ラ・フロンテーラ』という曲にノックアウトされた。タンゴというとブレリアと並ぶ、宴につきものの、明るい曲というイメージなのだが、これは違う。どこか悲しみをたたえた、深みのある、ソレアのようなタンゴなのだ。
カマロン・デ・ラ・イスラを敬愛し信奉し、女カマロンと呼ばれるのは嬉しいけど勿体無いという彼女は父が踊り手で、10代前半でタブラオデビュー、17才でアルバム録音、22歳でユーロビジョン、ヨーロッパ歌謡祭のスペイン代表に、ととんとん拍子できたものの歌謡祭では一票も獲得できず表舞台からは姿を消したものの、1997年ビセンテ・アミーゴのプロデュースのアルバムが大ヒットし、復活を果たした。タンゴ、ブレリアを得意とするが、母がエストレマドゥーラ出身で歌が得意だったということもあるのか、特にタンゴやハレオがいい。カルメン、マルタ、ホアキーナら妹たちはラス・ペリグロスというコーラスグループを組む。そこに一時、娘サマラも加わっていた。

1991年 トリアーナのペーニャ・エル・ボージョにて。抱いているのはディエゴ・カラスコの長男でパーカッション奏者のアネ・カラスコ。右は妹ホアキーナ ©︎ Kyoko Shikaze
【動画】
1983年の国営放送での『タンゴス・デ・ラ・フロンテーラ』
1989年カナルスールのフラメンコ番組でブレリアを歌い踊る。ギターはカルロス・エレディア、コーラスにカルメン、マルタ、ホアキーナのラス・ペリグロ。ユーロビジョンで歌った曲も取り入れて歌っている。
2011年フラメンコ番組でブレリアを歌う。伴奏はフアン・ディエゴ。
2014年ヘレスのフェスティバルで、ホアキン・グリロの作品に出演。
Francisco Javier Álvarez Rico
“Javier Barón”
Alcalá de la Guadaira (Sevilla), 1963
ハビエル・バロン
本名 フランシスコ・ハビエル・アルバレス・リコ
1963年セビージャ県アルカラ・デ・ラ・グアダイラ生まれ
彼の踊りを見ると幸せになる。フラメンコ好きならだれでもそうなのでは? 心からフラメンコを愛し、全身でフラメンコを楽しんでいるのが伝わってくる。そんな踊りだ。難しいことをさりげなくやってしまうのでその凄さが伝わりにくい人かもしれない。
幼い頃からセビージャ市内のぺぺ・リオスのアカデミアで学び、後、マドリードに出て、シローらに学び、12歳の時にはルイシージョ舞踊団のソリストを務める。1981年スペイン国立バレエ団入団。退団後の88年、セビージャのビエナルでのヒラルディージョのコンクールで優勝し注目を集め、ソロで活躍。1994年にはサラ・バラスとともに新宿“エル・フラメンコ”に出演。97年に自らの舞踊団を立ち上げ、以後、数多くの作品を世に送り出してきた。中でも2002年の『ディメ』はフラメンコの歴史に残る名作。2008年にプレミオ・ナショナルを受賞。へーレン財団教授を務めるなどしたが現在は地元でスタジオを構えている。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

2007年マラガのビエナルで ©︎ Kyoko Shikaze

2006年 ヘレスのバルで、ディエゴ・カラスコと ©︎ Kyoko Shikaze
【動画】
1988年のビエナル、ヒラルディージョのコンクールでブレリア・ポル・ソレア。歌はグアディアナとカンカニージャ、ギターはペドロ・シエラとパコ・クルス。
1990年カナルスールのフラメンコ番組でアレグリアス。歌はボケロンとクーロ・フェルナンデス、ギターはパコ・クルスとフアン・マヌエル・フローレス。
2003年ヘレスのフェスティバルでの『ディメ』。パーカッションはマノロ・ソレール。
2022年古巣スペイン国立バレエ団でのワークショップの様子。
Manuel Franco Barón
“Manolo Franco”
Sevilla 1960
マノロ・フランコ
本名マヌエル・フランコ・バロン
1960年 セビージャ生まれ

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León
昔ながらの、一歩下がって歌をたてた伴奏をきかせてくれる実力派。1984年、ビエナルのヒラルディージョのコンクールでなみいるベテランを抑え、見事優勝し一躍注目を浴びた。
叔父マノロ・バロンやアントニオ・オスーナに師事。後、マティルデ・コラルの舞踊教室で伴奏を務め、15歳でプロとしてフェスティバルで演奏。1979年にラジオ・セビージャの賞を受賞、1980年に伴奏で初録音。ヒラルディージョ優勝後は、ソロアルバム『アルヒベ』を発表し、ソロでも活躍し1990年には来日も果たしている。が、その活動の中心となったのはカンテ伴奏。カリスト・サンチェスやホセ・ガランなどの歌い手たちや多くのセビジャーナスのグループのアルバムに参加しているほか、各地のフェスティバルなどでも活躍。またクリスティーナ・へーレン財団フラメンコ芸術学校やコルドバの音楽学校のフラメンコギター教授を長年務めた。2002年、2004年にはビエナルの伴奏賞を、2012年にはコンパス・デル・カンテ賞を受賞している。

ビエナルでセグンド・ファルコンの伴奏を © Archico fotográfico Bienal de flamenco / Claudia Ruiz Caro
【動画】
1999年カナルスールのフラメンコ番組で、ソロでブレリアを
2008年マドリードのフラメンコ祭でカリスト・サンチェスを伴奏。ティエントス
2024年ビエナルで
【筆者プロフィール】
志風恭子(Kyoko Shikaze)/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。
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