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faroles para futuros flamencos 〜未来への道標〜 vol.2

viernes, 23 de febrero 2024)

 

大阪を拠点に活動し、劇場公演からタブラオライブまで日本各地で活躍する今人気急上昇中の若手フラメンコダンサー、出水宏輝さんのエッセイを2か月毎に全6回、1年間にわたりお届けします。

2回となる今回のテーマは、初めてのスペイン留学とあの大物アーティストとの出会いについて語っていただきました


文・写真/出水宏輝

Texto y fotos por Kouki Demizu


ファルキート(左)とレッスン時の写真/出水宏輝
ファルキート(左)とレッスン時の写真

連載第2回目の本日は「スペイン留学、そして初めてのソロリサイタル 〜前編〜」についてお話ししたいと思います。

(※伝えたい内容が多すぎたため、今回は「前編」としてスペイン留学を中心にお伝えいたします。)



フラメンコを始めた10歳のころからずっと「スペインへ行きたい」と思い続けていました。

本場に行かないとあかんだろうと。


それから5年。念願の初渡西を15歳ですることができました。当時は中学3年生、高校受験の筆記・面接試験が終わった翌日からスペインへ滞在するという、受験シーズンに普通では考えられないタイミングで行きました。スペインには10日ほど滞在する予定だったので、合格発表を見に行けず母親が行ってくれたことを今でも覚えています。受験結果は合格していたので現地でたくさんの方々にお祝いしていただいたことも鮮明に覚えています。その連絡が届いた時は、カルメリージャ・モントージャのクラスを受けていたときなので、彼女からも祝福のメッセージをもらうことができました。幸せだったなぁ。帰国前にはマドリードの「Corral de la morería」へフラメンコ鑑賞に行き、演目の最後には舞台にあげていただきセビジャーナスを踊るなんて場面も。


初渡西時のカルメリージャ・モントージャのレッスン/出水宏輝

(写真)初渡西時のカルメリージャ・モントージャ(右)のレッスン(合格発表を聞いたとき)


そんな初渡西から夢がどんどんと膨らんでいき、「スペインに長期留学したい」そう思うようになりました。でもスペイン留学をするとなったときに高校卒業してから自腹で行くよりも、大学に入学してから留学した方が「日本の社会には合っている」と思い、僕はスペイン語が学べる大学を探して、大阪にある摂南大学の外国語学部(現、国際学部)へ入学しました。

スペイン語コースで語学や文化を学び、留学へ行くことができる最も早い時期の大学2回の後期から無事に留学が決定! 留学先は大学との協定校である「サラゴサ大学(La Universidad de Zaragoza)」への語学留学。すなわち交換留学だったため、留学期間も含めて大学4年間で卒業ができる制度でした。


ただ、お金に余裕のなかった僕は奨学金を調べていました。そんなときに大学からのお知らせで、文部科学省が展開する官民協働海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN〜日本代表プログラム〜」の募集が開始されるとの情報が目に留まりました。それがどんなものか全く分からなかったので、とにかく説明会へ参加。

要約すると、留学プランを自分で設計して、それに対しての奨学金が返済不要でもらえるという制度でした。


「これなら、フラメンコ留学ができるかもしれない」

そんな、夢が広がる内容でした。すぐさま申し込みして、無事に書類審査に合格。次に面接も合格して、約5倍の倍率を通過して派遣が決定しました!

当時は渡航費20万円、授業料全額支給、毎月16万円の奨学金がもらえる制度でした。その金額と自分のやりたいことを加味して、1年間のうちに8ヶ月間をサラゴサ大学の語学留学、残りの4ヶ月間をセビージャでフラメンコ留学することが決定しました。


実は大学入学したての18歳の時から「20歳でフラメンコのソロリサイタルをしたい」と夢を描いていたのですが、フラメンコ留学が決定したので開催ができない。

「そうや! 帰国してから開催すればいいんや!」

そう思った僕は、この留学をソロリサイタル開催に向けた準備留学として行こう!と、そう決意して留学へ行きました。


留学先のサラゴサは学生には住みやすい街で、安全で、落ち着いていました。カフェや図書館も意外と多かったので、勉強に集中しやすい街でした。マドリードから少し北の方に位置するので、冬は寒く夏は涼しい、そんな街でした。


サラゴサ留学時の写真/出水宏輝
サラゴサ留学時の写真

サラゴサは「La JOTA(ラ・ホタ)」が有名なアラゴン州の街。セビージャはセビジャーナスのお祭り「Feria(フェリア)」がありますが、サラゴサはホタを見ることができる「La fiesta de la Pilar(ラ・フィエスタ・デ・ラ・ピラール)」というお祭りがありました。毎日朝から晩まで、老若男女が街でフィエスタを楽しんでいる。それはスペインどこの街も同じでしたね(笑)


セビージャには夏場をメインに留学しましたので、それはそれは日焼けがすごい。元々焼けやすい体質で日々の外出で黒くなる僕にとっては、サクラクレパスの「まつざきしげる色」に匹敵するぐらいの黒さでした(笑)


少し話がそれましたが、セビージャでは主にファルキートに師事しました。サラゴサへ留学する前にセビージャでは「La Bienal de Flamenco Sevilla」が開催。ファルキートも公演するということで観に行き、終演後にアポを取りました。事前に連絡をしていたこともあったので、上手いこと話も進みクラスの話は無事完了。今思えば公演終わりにこんな話に付き合ってくれたファルキートには申し訳ない気持ちでいっぱいです。


そして迎えたファルキートの個人レッスン。彼の自宅にあるスタジオでさせていただきました。


フ…ファルキート

僕…出水宏輝


フ「何を学びたいんや?」

僕「あなたの空気感、フラメンコを学びたいです」

フ「ハハハ(笑)それはもちろん大事やけど、なんの曲を学びたいんや」

僕「アレグリアス。あなたのアレグリアスのように、空気がさわやかになるアレグリアスを学びたいです。できないだろうと思う。でもできなくても空気感を学びたいんです。そしてそのアレグリアスをソロリサイタルで使いたいんです」

フ「ソロリサイタルするんか?」

僕「はい!したいんです。そしてそのタイトルをあなた、ファルキートに決めてほしいんです」

フ「わかった。コンセプトを教えて」


といろいろと進んでいき、タイトルは後日発表するからということでアレグリアスの振り付け指導が始まりました。


それは難しい。簡単ではなくて振付を簡単に取れないのが悔しい。


でもそれ以上にあの時間は特別な時間でした。

濃厚で、新鮮で。

キツくも指導して下さいました。


フ「ファロリート、フラメンコで必要なものはなにか分かるか?」

僕「えーーーっと、パソと、ジャマーダと、レマーテと…」


ってあほな回答を。


するとファルキートは突然僕にタオルを投げてきました。


フ「今何した?タオル投げた時になにした?」

僕「よけた」

フ「それや。その行動が必要なんや。その行動、すなわち瞬発力。フラメンコでギターリストが違う弾き方したらどうする? 歌い手がいつもと違う長さの歌を歌ったらどうする? そのままの振付を踊る? そんなことはしたらあかん。必ずギターや歌に反応して、踊らないとダメ。アレグリアスだけじゃない、全曲に伝えれること」


そう言われて、初めて彼のレッスンで涙が出ました。

ここまで熱く教えてくれるアーティストって他にいるだろうか?

ますます好きになってしまった時間でした……。




出水宏輝プロフィール写真
©Shigeto Imura

【プロフィール】

出水宏輝(Kouki Demizu)/10歳の時に石川敬子フラメンコ教室にてフラメンコを始め、田中光夫氏にギター・カンテを、舞踊・パルマを棚原美和氏に師事。14歳のときにタブラオ ロス・ヒターノスで男性舞踊手としてプロデビュー。2014年、官民協働海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」の1期生として1年間スペイン留学。2018年第1回全日本フラメンココンクールで努力賞、2019年日本フラメンコ協会第28回フラメンコ・ルネサンス21「新人公演」で奨励賞、2021年第10回エルスール財団新人賞(フラメンコ部門)を受賞。

また、2018年摂南大学入学宣誓式にて、在学生300名以上とフラメンコのフラッシュモブを大阪城ホールにて実施。

現在、大阪を拠点としながら全国各地で精力的に活動している。


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