スペインNews 9月号・2026
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更新日:59 分前
(domingo, 6 de septiembre 2026)
文・写真/志風恭子
Texto y fotos por Kyoko Shikaze
8月は夏休み。その昔、スペインでは一か月の有給休暇をまとめて8月に取る人が多かったので、8月のマドリードはラッシュもなく、ホテルも大幅割引で、夏のフラメンコ公演を見がてらプール付きのホテルで束の間の夏休み気分を味わったりもしていたものですが、今や世界的な観光ブームで、ホテルはずーっと高いまま。混雑は多少緩和されているようですが、ほんと、マドリードやバルセロナのホテル料金がバカ高いのにはため息しかありません。かつての二倍、三倍当たり前。ホテルよりもカテゴリーの低いオスタルですら一泊100ユーロは今や普通。気軽に行けなくなってしまいました。それに比べると地方のホテルはまだまだお手頃なところも多いような。スペイン旅行するなら地方がおすすめです。
《INDEX》
・訃報
【カンテ・デ・ラス・ミーナス】
今年も行ってきました、はるばるムルシア、ラ・ウニオンへ。毎年8月の初めに開催されるカンテ・デ・ラス・ミーナス国際フェスティバルはスペインで最も有名なフラメンコ祭。前半は人気アーティストたちによるガラ公演、後半はコルドバについでスペインで2番目に古いフラメンコ・コンクールというプログラム。前半は地元のファンはもちろん、ムルシア周辺で夏休みを過ごしている人たちも多く訪れますが、後半のコンクールを目当てにスペイン各地からアフィシオナードたちがやってきます。毎年やってくるベテランも多く、セビージャからバスで9時間かけて行くのは、そんな彼らに会いたい、というのも動機の一つです。
今年、会場は大幅に改装されました。これまで正面入り口の正面にあった舞台が入って左手にと位置を変え、右手には階段状の仮設の座席が設置されました。収容人数は減ったそうですが、劇場風というか、後ろの席でも見やすくなっています。反面、前の方のはじの席は見にくいかもしれません。
今年で第65回というこのフェスティバル、7月29日から8月8日まで開催されました。29日の前夜祭ラ・ウニオンの日は入場無料とあって、地元の人が多く訪れます。毎年恒例の地元の楽団や合唱団、地元出身の歌い手で、ここのコンクールで2回優勝した唯一の女性、エンカルナシオン・フェルナンデスが息子アントニオ・ムニョスの伴奏でタランタやソレア、ガロティン、カーニャと歌い(1:08あたりから)、地元の舞踊教室生徒によるスペイン舞踊とフラメンコと続きました。
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※最初の元坑夫や坑夫未亡人のオマージュの部分、音声がありません。16分あたりからの楽団演奏以後はちゃんと聞こえます。

初日の開会宣言、プレゴンはムルシア知事フェルナンド・ロペスが、ムルシアはロルカ出身のギタリスト、メルセデス・ルハンのソロや歌い手エル・ランパの歌を交えて行われ、その後は優勝者ガラ。まずトロボという即興で歌のように語る、ラップの元祖みたいなコンクールの覇者が登場し、昨年のコンクールの覇者を讃えます。続いて、客席からプレゴンを歌いながらマヌ・ソト、アナ・ゴメスが登場。14〜18歳対象の舞踊コンクールで優勝したラ・ビチがソレマルティネーテを踊りました。

続いて、昨年の楽器部門優勝、ホセ・カルロス・エステバン・アンサがシギリージャとブレリアを見事な演奏で聴かせ、

舞踊部門優勝のサロメ・ラミレスは黒い衣装でタラント。

そしてグレゴリオ・モジャのミネーラ、彼が信奉するエンリケ・モレンテの名曲、エストレージャではピアノも参加。

最後はサロメのカンティーニャ。ここにもピアノが参加。


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二日目はアルカンヘル『アベセダリオ』。

カマロンやローレ・イ・マヌエル、レブリハーノといった先達の名曲を歌うという作品で、ゲストに踊り手パウラ・コミトレ。『ロマンセ・デ・アマルゴ』や『ヌエボ・ディア』のように、昔からのフラメンコファンなら口ずさめるだろうという、スペインなら、フラメンコ好きでなくても知っているような、カンシオン系の曲がほとんどで一般に親しみを持ってもらえそう。ゲストのパウラは2019年コンクールに出場して以来(優勝は逃しました)のラ・ウニオンだということでしたが、ソロで、金属製のカスタネットを使ってのファルーカも踊り、その実力で観客を魅了したことでした。アバニコやマントン、バタ・デ・コーラといった小物づかいも見事で、マティルデ・コラルが確立したセビージャの舞踊の伝統は彼女の中にも息づいているという感じ。特に最後、アンコールでアルカンヘルが歌ったファンダンゴ・デ・ウエルバをバタ・デ・コーラで、即興で踊ったのが素晴らしかったです。

3日目はここのコンクールで優勝経験のある二人による作品『クエルポ・ミネラレス』。フエンサンタ“ラ・モネータ”は2003年、ルシア・アルバレス“ラ・ピニョーナ”は2011年の優勝。オープニングの二人での、マントンを使ってのタラントは見応えがありました。その後はピニョーナの『セントラル』の構成を借りる形で、モネータはシギリージャ、ピニョーナはソレアとそれぞれのソロも堪能させてくれました。それぞれ、ソロでの舞台もいいけれど、こういうコラボレーション、もっと観たいものです。大御所も若手も、他者との共演でより輝く、改めて自分を知るということもあるのでは、と思ったことでした。
4日目はマドリード共同体スペイン舞踊団による『ビアへ・アル・アモール・ブルホ』はオルガ・ペリセにエステベス&パーニョスという素晴らしい舞踊家の振り付けながら、まとまりがなく、頭の中がクエスチョンマークでいっぱいに。オルガ振り付けのファリャの『7つのスペイン民謡』と『ドビュッシーの墓のために』、エステベス&パーニョスによる『恋は魔術師』という構成だというのも、プログラムもなかったのでWEB検索して知るという…急に誰か死んだ風になったのは墓のために、という曲だったからなのね、と思うなど。ホタやエスクエラ・ボレーラもあるんですが、スペイン国立やナハーロ舞踊団には遠く及ばず…難しいですね。

5日目は彼を主人公としたドキュメンタリー映画や、人気歌手との共演もあって、今、スペインで最も人気があるギタリスト、ジェライ・コルテス『ポプラール』。日本にもロシオ・モリーナの伴奏で行ったので覚えている人もいるかもしれません。昨年ラ・ウニオンのコンクールで優勝したサロメ・ラミレスをはじめとする6人の歌って踊る女性たちとの共演で、タイトル通り、ポピュラーな感じ。照明もスタイリッシュで通常のギターリサイタルとは全く趣きが違います。いろんなフラメンコが、いろんなアプローチがありますね。


そしてガラ最終日は、これも現在スペインでトップの人気を誇るイスラエル・フェルナンデス。

この日亡くなったぺぺ・アビチュエラに1分間の黙祷が捧げられ始まったリサイタル、タランタ、カルタヘネーラに始まり、ソレア、ティエント、ディエゴのソロ、イスラエルがピアノで弾きがたるグラナイーナ、そしてシギリージャ、ブレリア。ディエゴ・デル・モラオの伴奏が最高でした。アネ・カラスコのカホンも秀逸。ヘレスのアイレに支えられているのですね。
8月5日からは6、7月にスペイン各地で行われた予選を勝ち抜いたコンクール準決勝が三日間。その最終日、金曜深夜に決勝進出者が発表され8日に決勝が行われました。
結果は以下の通り。
大賞/ランパラ・ミネーラ ラファ・デル・カジ
1993年コルドバ生まれ。父も歌い手。タブラオを主に活躍。2022年コルドバのコンクールでも優勝しておりラ・ウニオン、両方のコンクールで優勝というのは初めてのことだそう。コルドバのタブラオ、エル・パニュエロを踊り手アナ・ラトーレらとともに運営。

楽器部門 優勝 カルロス・ナオ/フルート
バレンシア出身。11歳の時から音楽院でクラシックを学び、フラメンコを志したそう。


準優勝 オスタリンダ・スアレス/フルート
昨年に引き続き、惜しくも準優勝。

舞踊部門 優勝 ルシア“ラ・ブロンセ”
セビージャ出身。アンダルシア舞踊センターやへーレン財団で学び、アンダルシア舞踊団にも在籍。現在はタブラオで活躍中。

準優勝 スサナ・サンチェス
グラナダ出身のベテラン。

ギター部門 優勝 パブロ・バリオヌエボ
ラ・ウニオン出身。祖父はこのフェスティバルの産みの親。音楽学校や地元の先輩、アントニオ・ムニョスらに学んだという。


準優勝 ピノ・ロサーダ
マドリード出身、ギタリスト、ディエゴ・ロサーダの息子。舞踊伴奏中心にタブラオなどで活躍中。

マリアノ・コンデ特別賞(16歳から25歳のギタリストが対象)
パブロ・カンポス
グラナダ出身。2002年生まれの24歳。今年、決勝に進んだ3人のギタリストのうちの一人。

カンテ部門III
・低アンダルシアのカンテ トナ、シギリージャ。ソレアレス、カーニャ、ポロ、リビアーナ、セラーナス。
セバスティアン・クルス(ソレア)
ウエルバ出身。

・低アンダルシアのカンテ ブレリア、カンティーニャス、タンゴス、ティエントス、ペテネーラ、ファルーカ、ファンダンゴ・ペルソナレスなど
ラファ・デル・カジ(カンティーニャ)

カンテ部門II
マラガ、グラナダ、コルドバ、ウエルバの歌、アンダルシアのファンダンゴ由来の他の歌。
・マラゲーニャ、グラナイーナ・イ・メディア・グラナイーナ、グラナダ、ウエルバ、ルセーナのファンダンゴ、ベルディアーレス、ロンデーニャス、ハベーラ、ハベゴーテ、そのほかのフラメンコの要素のある、地方ファンダンゴ。
ラファ・デル・カジ(マラゲーニャ)
カンテ部門I
・ムルシアーナとその他のカンテス・ミネーロス(タラント、レバンティーカ、ファンダンゴ・ミネーロ、カンテス・デ・マドゥルガーなど
イサベル・リコ(レバンティーカ)

・タランタス
ベルナルド・ミランダ
コルドバ出身。

・カルタヘネーラス
セバスティアン・クルス

・ミネーラス
ラファ・デル・カジ
審査員特別賞 マヌ・ソト/
コンクールだけでなくフェスティバルを通じての貢献により。
受賞者のみなさん、おめでとうございます。
【決勝のビデオ】
【訃報】
2026年8月は悲しい月でもありました。
8月3日に日本在住の歌い手マヌエル・マレーナの急逝のニュースが届いたかと思えば、4日にはギタリスト、ぺぺ・アビチュエラが、18日にはプロデューサー、リカルド・パチョンが、そして27日には歌い手エンリケ・ソトが亡くなりました。67歳とまだ若いマヌエルが突然倒れ、急逝したのもショックでしたが、昨年、ラ・ウニオンで、名誉賞であるカスティジェーテを受け、一緒に楽しく過ごしたぺぺが亡くなったというのはとても信じられませんでした。
1944年グラナダ生まれ。サクロモンテでギタリストとしてのキャリアをはじめ、後、マドリードへ。ぺぺ・マルチェーナからカマロンまで数多くの歌い手たち、踊り手たちを伴奏。1968年には開店まもない新宿『エル・フラメンコ』にも奥方アンパーロ・ベンガラ、踊り手タティ、歌い手カニェータらとともに来日している。歌い手エンリケ・モレンテとの名コンビを経て、ソロアルバムも録音。伝統的なフラメンコに固執しない開かれた感覚は息子でギタリストのホセミ・カルモナへも受け継がれている。

【動画】

リカルド・パチョンは1937年セビージャ生まれ。フラメンコ・ロックのスマッシュ、ローレ・イ・マヌエル、パタ・ネグラ、カマロン・デ・ラ・イスラ『レジェンダ・デル・ティエンポ』と新しい感覚のフラメンコを数多くプロデュース。エレキギターやドラムスなどとの共演は当時、旧来のフラメンコファンの顰蹙を買うなどもして、レコードを返品した人もいたそうですが、現在ではごく普通のこととなっているのはご存知の通り。先見の明があったのでしょうね。先述のアーティスト以外でもディエゴ・カラスコやマカニータなどのアルバムのプロデュースも行いました。
ディエゴ・カラスコとアルバム『ア・ティエンポ』録音中に

エンリケ・ソトは1952年ヘレス生まれ。歌い手マヌエル・ソト“ソルデーラ”の長男。弟に歌い手ビセンテ、パルメーロだった故マヌエル“ボー”、ケタマのオリジナルメンバー、ホセがいます。家族で移住したマドリードで歌い手としての道を歩み始め、タブラオを主な舞台として活躍。日本へも何度もやってきて多くの踊り手たちを伴唱しました。エバ・ジェルバブエナやビセンテ・アミーゴのグループで活躍していたことを覚えている人もいるでしょう。その真摯な歌いっぷり、優しい人柄そのままの舞台が深く心に残ります。安らかに。
【動画】
【筆者プロフィール】
志風恭子(Kyoko Shikaze)/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。
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