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アーティスト名鑑vol.4

(miércoles, 18 de octubre 2023)


スペイン在住30年以上、多数の一流フラメンコ・アーティストらとも親交のあるフラメンコ・ジャーナリスト志風恭子が、歌・踊り・ギターそれぞれの代表的アーティストらのプロフィールをピックアップ。過去の取材で撮影した写真や、チェックしておきたい動画などもご紹介します。


文/志風恭子

Texto por Kyoko Shikaze

エンリケ・モレンテ

2007年8月Málaga en Flamencoにて。©︎Kyoko Shikaze


Enrique Morente

Enrique Morente Cotelo

Granada 25-12-1942 – Madrid 13-12-2010


エンリケ・モレンテ

本名エンリケ・モレンテ・コテロ

1942年12月25日グラナダ生、2010年12月13日マドリード没


歴史、伝統を熟知し、新たな地平を切り拓いた、20世紀後半/現代フラメンコを代表する歌い手。10代でマドリードに移り、ペペ・デ・ラ・マトローナら、内戦前から活躍するベテラン歌手たちの薫陶を受ける。タブラオや舞踊団での伴唱を経て1967年アルバムを録音。以後20枚以上をリリース。77年発表のアルバム『ドン・アントニオ・チャコンに捧げる』でプレミオ・ナショナル受賞。古典に始まり、新しいメロディを作り、ロルカやマチャード、サン・フアン・デ・ラ・クルスら詩人たちの作品を歌い、オーケストラとやブルガリアン・ボイスなどとも共演するなどし、フラメンコに時代の風を取り入れ、革新をもたらした。代表作に、ロックバンドらと共演した96年発表の『オメガ』などがある。妻は元踊り手のペロータ、長女エストレージャ、次女ソレア、長男キキ、と子供三人とも歌い手として活躍。

エンリケ・モレンテ

2010年8月ラ・ウニオンのフェスティバルで。伴奏はラファエル・リケーニとダビ、セレドゥエラ、パルマで息子キキと義弟に当たるアントニオ・カルボネル ©︎Kyoko Shikaze


【ビデオ】

RTVE RITO Y GEOGRAFÏA

スペイン国営放送の伝説的フラメンコ番組でのエンリケ・モレンテ編。ギター伴奏はマノロ・サンルーカルです。


1990年放映されたエンリケ・モレンテ『イエルマ』。伴奏には義弟モントジータ、エル・ボラ、パケーテと90年代のマドリードを象徴するようなギタリストたち。


エンリケ・モレンテ

2010年8月ラ・ウニオンにて©︎Kyoko Shikaze


 
マノロ・サンルーカル

2007年6月セビージャ県アラアルのフェスティバルで。彼へのオマージュでの挨拶。©︎Kyoko Shikaze


Manolo Sanlúcar

Manuel Múñoz Alarcón

Sanlúcar de Barrameda, 21-11-1943 – Jerez de la Frontera 27-8.2022


マノロ・サンルーカル

本名マヌエル・ムニョス・アラルコン

1943年11月21日サンルーカル・デ・バラメーダ生、2022年8月27日ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ没


パコ・デ・ルシア、セラニートとともに現代フラメンコギターを牽引した名手。父はパン屋でアマチュアのギタリストで、弟イシドロもギタリストでマノロの第2ギターを長らく務めた。13歳でペペ・マルチェーナ一座のギタリストとしてプロに。後、パケーラ・デ・ヘレスの伴奏やマドリードのタブラオで活躍。1967 年に最初のソロ録音を発表し、71、73 年発表の『フラメンコ・ギターの世界とかたち』シリーズでソリストとしての名が不動のものに。74年 には『カバジョ・ネグロ』という曲が大ヒットした。以後も78年にはオーケストラとの共演作を発表、84年にはスペイン国立バレエの名作『メデア』の音楽を手掛けるなど多彩に活躍した。 代表作『タウロマヒア』は闘牛をテーマにしたアルバムで、ホセ・アントニオら多くの人が振り付けている。2000年にはカルメン・リナーレスとの共演作をリリース。学究肌で完璧主義。後進の指導にも熱心でビセンテ・アミーゴやフアン・カルロス・ロメロらもその門下。コルドバのギター祭でも晩年までクラスを持っていた。

マノロ・サンルーカル

2010年8月ラ・ウニオンのフェスティバルで©︎Kyoko Shikaze


【ビデオ】

代表作アルバム『タウロマヒア』に収録されたロンデーニャ『オラシオン/祈り』。繊細さと深み。


マノロについてのドキュメンタリー。


マノロ・サンルーカル

2001年6月30日 フランス、ヴィエンヌのジャズ・フェスティバルでのジョイントコンサートにて。©︎Kyoko Shikaze

 
マリオ・マジャ

1991年日本公演プログラム。マリオのサイン入り。


Mario Maya

Mario Maya Fajardo

Córdoba 23-10-1937 – Sevilla 27-9-2008


マリオ・マジャ

本名マリオ・マジャ・ファハルド

1937年10月23日コルドバ生、2008年9月27日セビージャ没


フラメンコに現代舞踊や演劇の要素を加えた新しいスタイルを生み、またその舞踊団からはイスラエル・ガルバン、ラファエラ・カラスコをはじめ、多くの舞踊家/振付家たちが育っている。幼い頃からグラナダの洞窟の舞台に立ち、若くしてマドリードに出、タブラオやピラール・ロペス舞踊団で活躍。ニューヨーク生活を経て、カルメン・モーラ、エル・グイトとのトリオ「マドリード」を結成しタブラオやフェスティバルなどに出演。1974年の『セレモニアル』、76年『カメラモス・ナケラール』を皮切りに、『アイ・ホンド』『アマルゴ』など歴史に残る名作を世に送り出してきた。後、アンダルシア舞踊団創立時の監督も務めた。

マリオ・マジャ

2003年5月コルドバ、グランテアトロにて。左からロベルト・ヒメネス夫妻、一人おいてフォスフォリート、マリオ、下はマティルデ・コラル。©︎Kyoko Shikaze


【ビデオ】

カナルスールが彼の半生を短くまとめたもの。映画『フラメンコ』で見せたマルティネーテのオリジナル版や今も後進たちに引き継がれる椅子に座ってのサパテアードなども見ることができる。


その死を悼んでの番組。82年の『恋は魔術師』やレッスン風景などとともに、市役所に安置された遺骸にお別れを告げに訪れたマノロ・サンルーカルやイスラエル・ガルバンのコメントなども。


マリオ・マジャ

1992年日本公演のプログラムより。


【筆者プロフィール】

志風恭子(Kyoko Shikaze)/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。


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