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アーティスト名鑑 vol.38

  • 1 日前
  • 読了時間: 4分

(viernes, 21 de agosto 2026)

 

スペイン在住30年以上、多数の一流フラメンコ・アーティストらとも親交のあるフラメンコ・ジャーナリスト志風恭子が、歌・踊り・ギターそれぞれの代表的アーティストらのプロフィールをピックアップ。過去の取材で撮影した写真や、チェックしておきたい動画などもご紹介します。

 

文・写真/志風恭子

Texto y fotos por Kyoko Shikaze

 

 

*名鑑登場アーティスト一覧はこちらから

 

 

Manuel Soto Loreto

“Manuel Torre”

Jerez de la Frontera (Cádiz) 4 –12 -1880  Sevilla 21–7-1933

 

マヌエル・トーレ

本名マヌエル・ソト・レイトン

1880年12月4日カディス県ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ生まれ、1933年7月21日没


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書籍『Manuel Torres』より

カンテの歴史を語る上で欠かせないヘレスの巨匠の一人。力強く歌うシギリージャやソレアといったヘレスのヒターノらしい曲種だけでなく、マラゲーニャ、ファルーカ、グアヒーラなど幅広いレパートリーを持っていた。子供の頃から歌い、十代前半ですでに地元のカフェで歌ったという。1901年にはセビージャやマラガ、マドリードでも歌う。1908年に初めてSPレコードを録音。以後1930年までに51曲を録音。『ファラオの系統』と彼を評しレコードも持っていてよく聞いていたという詩人ガルシア・ロルカやファリャによる1922年のグラナダのコンクールにもゲスト出演している。トーレ塔という芸名は背が高かった父から受け継いだ。トーレスと複数形の場合も。


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ヘレス駅近くにあるその名もマヌエル・トーレ通りの一角にあるマヌエル・トーレの胸像。

 

【動画】

代表曲シギリージャ。これはカルロス・マルティン・バジェステルが出版したマヌエル・トーレスについての本付属のCD。SPレコードの掠れ音などを取り去ってクリアに聞こえる。

 

珍しいペテネーラの録音


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Pastora Rojas Monge

 “Pastora Imperio”

Sevilla 13-4-1885, Madrid 14-9-1979

 

パストーラ・インペリオ

本名パストーラ・ロハス・モンヘ

1885年4月13日セビージャ生まれ、1979年9月14日没

(1889年、1892年4月19日説もあり)


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母はバタ・デ・コーラで踊った最初の人と言われる、19世紀末に活躍したカディス生まれの踊り手ロサリオ・ラ・メホラーナ。その女性らしい上体の動きやバタ・デ・コーラやマントンなどの扱いなどをパストーラが受け継ぎ、マティルデ・コラルが学び、エスクエラ・セビジャーナとよばれるスタイルを確立した。いわばフラメンコ舞踊草創期と現在を結ぶ存在。セビージャ生まれだが、歌い踊り始め、あるてぃすたとなったのは1900年のマドリード。小説家や画家など知識人たちに愛されスターに。1907年にはパリ、翌年キューバ、メキシコでも公演。1914年にはファリャに作曲を依頼した『恋は魔術師』を初演、また『マリア・デ・ラ・オ』(1936年)など映画にも出演している。1959年舞台から引退。その後はタブラオ、ドゥエンデのオーナーとしてテレビなどにも出演。


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【動画】

1943年の映画『カネリータ・エン・ラマ』より。腕の動きが美しい。

 

歌うパストーラ・インペリオ。

 

2009年に放映された没後30年のニュース。映画やテレビ番組で踊っている場面やひ孫で女優のパストーラ・ベガが見せるファリャ、ルビンシュタインと一緒の写真なども。

 

1973年に放映されたスペイン国営放送の番組『ラ・ヘンテ・キエレ・サベル(人々は知りたい)』


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2006年にできたセビージャの中心街ベラスケス通りとオドネル通りの角にあるパストーラ・インペリオの胸像

 


Pedro del Valle Pichardo

“Perico el del lunar”

Jerez1894-17-3-1964

 

ペリーコ・エル・デル・ルナール

本名 ペドロ・デル・バジェ・ピチャルド

1894年5月17日カディス県ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ生まれ 1964年3月17日マドリード没


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このアルバムがなかったら今のフラメンコはなかったかもしれない。『アントロヒア・デル・カンテ・フラメンコ』はフラメンコの歴史で最も重要なアルバムと言ってもいいかもしれない。フランスで1954年に発売され4年後スペインでも発売されたこのアルバムのディレクションを務め、ギタリストとして全曲演奏したのがペリーコ・デル・ルナール。この2枚組(オリジナルは3枚組)のアルバムがペリーコのアンソロジーとも呼ばれる由縁だ、当時忘れられつつあった曲種をも広く収録し、70年たった今でもお手本とされている。ヘレスでギターを弾き始め1920年マドリードへ。ビジャロサでアントニオ・チャコンら巨匠たちを伴奏。50年代はタブラオ、サンブラで活躍。同じ名の息子もギタリストで何度か来日している。


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【動画(録音)】

珍しいソロ録音は1959年のもの。このシギリージャのほか全4曲で1枚のレコードに

 

ラファエル・ロメーロが歌うリビアーナ、セラーナを伴奏。これも 1959年の録音


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書籍『Perico del Lunar Un flamenco de Antología』より。真ん中がペリーコ。エスカセナ、マヌエル・パボンと。

 

【筆者プロフィール】

志風恭子(Kyoko Shikaze)/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。

 

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