Flamencofanインタビュー
Nao Hirayama
「ここでプーロなフラメンコを伝えたい」
(sábado, 5 de octubre 2024)
本場スペインに次ぐフラメンコ大国、日本。
その各地でフラメンコに惚れ込み
その魅力を伝えるために
活動を続けている人たちがいます。
今回は、福岡を拠点に舞台公演や教授活動を行う
フラメンコダンサーの平山奈穂さんにお話を伺いました。
聞き手/金子功子
Entrevista por Noriko Kaneko
福岡を拠点に日本各地でフラメンコダンサーとして活躍する平山奈穂さん。フラメンコを始めたのは、10歳の時でした。
「私は実家がお寿司屋なんですけど、福岡のエルカミーノ(*広島を中心に活動しているフラメンコスタジオ)を担当している大櫛佳世さんが常連でよく食べに来てくださってたんです。ある日自然な流れでフラメンコ一度見にいらしてくださいとお誘いいただき、母と一緒に見学に行ったんです。そこでフラメンコの足さばきを見て、母が「私できんけん、あんたしなさい」と(笑)。母は舞台とか好きなので、やらせてみてもいいかなと思って勧めたんでしょうね。そんな感じで、ちょっとした習い事として始めました」
もともと身体を動かすのが好きだという平山さん。小さい頃から子供会でエアロビクスをやったり、スポーツや走るのも得意だったそう。その活発さと運動神経の良さでフラメンコの舞踊団に加わることに。
「高校2年の頃から広島のエルカミーノ舞踊団に入って、広島に通い始めました。そこの白井先生が海外公演も行う人で、中国やカナダに行って舞台を踏ませてもらったり、韓国の済州島に行くビートル船で踊ったり、まだ10代のうちからそんな貴重な経験を積んでいるうちに、気づいたらフラメンコが仕事になっていました」
舞踊団活動を続ける傍ら、高校を卒業した後は短大へと進み、他の同世代の人と同じように就職。しかし仕事と舞踊団の両立は、想像以上の大変さでした。
「舞踊団活動で福岡から広島に通うのが大変だったので、就職を機に広島に1年半くらい住みました。でも初めての就職、初めての一人暮らしで、時間的にも体力的にもきつくて。仕事はアパレル販売で、最初からフラメンコをやっていることを伝えて入社したので、ライブや発表会の時などは店長さんが融通を利かせて仕事を休ませてくれました。いい職場だったんですけど、とにかく両立がつらくて、福岡が恋しすぎて。辞めて実家に帰るって会社に話したら「せっかくだからもうちょっと、福岡でも働きませんか?」と上司に言ってもらえて。その後、福岡でも2年くらい仕事を続けました」
福岡の実家に戻り、再び広島の舞踊団に通う生活へ。しかし胸の内では、10代で渡西したときの衝撃的な体験が忘れられず、フラメンコを学びに再びスペインへ行きたいという強い思いを抱いていました。
「最初にスペインへ行ったのは19歳の時で、エルカミーノのみんなで30人くらいの御一行様で行きました。当時はすごいバブリーな時代で、ピラール・カラスコを直接呼んでクラスをやってもらって。そこで大きなカルチャーショックを受けて、「お金を貯めてもう一回自分で勉強しに行こう」と決意しました。次のスペインは26歳でした。そこでビザの期限最長の3か月まで滞在し、それがきっかけでエルカミーノを辞めました」
単身で渡った二度目のスペイン。でも現地には頼れる知り合いもなく、知らない事ばかりだったそうです。
「スペイン留学は何の伝手(つて)も無くて。でもたったひとりだけ、エルカミーノが通訳として雇っていた現地の人がいて、その方の普通の友人のブラジル人女性を紹介してもらって、ホームステイで一部屋借りました。今でこそ、フラメンコはヘレスやセビージャ、カディス、マラガなどと言われてますが、私がスペインに行った当時はそういう情報が私には無かったんです。だから「フラメンコ=スペイン」、そして「スペイン=首都マドリード」という情報だけで、ずっとマドリードに滞在していました。3か月もいたのに、今考えると悔しすぎて。もったいないような、でも贅沢過ぎるような経験でした」
マドリードではアモール・デ・ディオスに通い、フラメンコの技術を磨きました。
「3か月間のマドリードはつらかったけど充実してました。最初はラ・トゥルコという先生が教えてくれました。クラスに知り合いもいないから、だれにも話しかけられなくて。でもあるとき日本語が聞こえてきて、それが石川の忠縄美貴子さんと、福岡の末松三和さんでした。末松さんの事は福岡で教室をやっているという情報は知ってたんですけど、お顔は知らなくて。でも勇気を出して声を掛けて、それが初めて日本人で絡んだ人です。偶然にも同郷の人と会えてびっくりしたけど、安心した瞬間でした」
この留学をきっかけに、平山さんは毎年マドリードに行くようになり、その頃に今のご主人と出会うことになります。
「彼はマドリードの日本食料理屋で働いていました。ある日、踊り手の正木清香さんとそのお店に行ったら彼がいた、という感じです。彼はアンダルシアには行ったことがないって言ってたので、もしセビージャに留学してたら出会えてなかったです。だから、出逢いってわからないですね。こないだモネオが福岡に来たときは、彼にアテンドをお願いしました。スペイン語がペラペラなので助かります」
スペイン人アーティストの招聘活動にも力を入れている平山さん。やりがいがある一方、その活動の裏では様々な困難があるそうです。
「福岡でスペイン人に習えるって、こんな貴重なことはないと思います。オルーコやボラが来月(6月)来てくれますけど、クルシージョだけじゃなく本当はライブもやりたかったんです。でも滞在日程とかギタリストの調達とか、この短期間じゃ難しいなと。九州はミュージシャンが多くないので、いざライブをやるとなると調達するのも経費などがすごくかかるんです。だから、お客さんが集まるかな、とか考えながら毎回命がけです」
大変な困難があったとしても、それでも平山さんが目指すのはプーロなフラメンコだと言います。
「フラメンコはやっぱり現地に行って学ぶことをできる限り続けていきたいです。自分は今、すごいプーロなフラメンコを勉強したいと思っています。そこは今枝(友加)さんとか、日本で活躍されている大好きな先輩の方々の影響が大きいですね。教室でも、できる限り本物に触れられるような機会を作ったり、まだまだですが自分の体験、経験をお話したりしたいと思ってます。もうすぐ発表会(6月1日)をやるんですが、クラスの数も多いので一人あたり4曲くらい出るんです(笑)。みんなやる気もあって、習いに来てくれて本当にありがたいしうれしいです」
好きなスペイン人の踊り手を尋ねると、目を輝かせて答えてくれました。
「私が一番好きなスペイン人は、今はヘマ・モネオなんです。彼女の踊りは自然で、軽く踊るんですけどちゃんと芯があって。この間呼んだモネオファミリーもですが、本物の人たちほど謙虚で、威張ってなくて、オルーコもボラもそうで、彼らのそういうところが好きです。また、ヘマが踊る曲種はソレア・ポル・ブレリアをよく見るんですが、振りや構成は毎回違うけど、だいたいソレア・ポル・ブレリアで。だから、この人はブレリア系とか、タンゴ系とか、この踊り手といえばこのヌメロだよね!みたいな踊り手に私もなりたいな、と思います。全然定まってませんが(笑)そういう意味では、最初がエルカミーノでよかったと思いますね。小物もパリージョも習ったので、今すごく役に立っています」
地元・福岡が大好きで離れがたい、という彼女に九州の魅力について聞くと、迷わず即答してくれました。
「魅力しかないです(笑)本当に住みやすい。余談ですけど、福岡市長がすごいんですよ。元アナウンサーなんですけどやり手で、福岡を盛り上げてくれています。九州は歴史もあるし、革新の方にも進んでいけるようなエネルギーと伸びしろがあるところですね。皆様ぜひお越しください! 福岡のちょっと残念なところは、タブラオがないことですね。今はホールしかないんです。フラメンコを踊る機会は確かに東京の方が多いし、刺激がありまくりです。なので東京でもらった刺激を、福岡に戻ってコロコロと磨く作業が近頃は好きになってます」
生まれ育った地元でフラメンコを続け、昨年からは頼もしいパートナーを得て新しい生活も始まりました。結婚して何か変わった事はあったのでしょうか。
「変わったんですかね、でも変わってないのかな?日常の負担はあまり変わってないです。もともと旦那さんも私も今まで自分の事は自分で、でやってきていたので、程よく支えてくれています。パートナーがいることで、いい意味で違う頭にできるようになりました。ひとりでいると思い詰めてしまうので、うまく切り替えが出来るようになって、そういう意味ではありがたいですね。また二人とも旅行が好きなので、一緒に旅行に行けるのは楽しいです」
今後の活動もますます充実していきそうな平山さん。日本でのフラメンコの今後にどう関わりたいか、尋ねました。
「大それたことは出来ないけど、地道に学びを満たす活動を続けていきたいですね。今回みたいにオルーコとかボラとかスペイン人のアーティストを呼んだりして、本物に常に触れていたいと思います。日本人として自分も学んでいる身だし、一緒に戦っている先輩たちとも関わりながら活動したいです。でも学びだけでは、一人の表現者としてそれだけじゃだめだと思うので、表にもがんばって立っていたいと思っています。2018年に初めてのソロリサイタルを開催したんですけど、その時が台風でハプニングも起こったりして、それがちょっとトラウマで…。でもまたソロ公演も、今後の予定に入れたいです」
描く未来図は、舞踊活動だけでなく教授活動についても広がります。
「実は秘蔵っ子がいまして。踊りよりも歌なんですけど、小学3年生でハスキーボイスで、私がクラスで歌っていたのをそのまま学びとってくれて、今度いよいよファンダンゴを一曲歌うんです。そういう子供たちの育成にも携わっていきたいですね。もっと頑張らないと、と思っています。留まらずに、深めたり進めたり、常に戦っていたいですね」
【プロフィール】
◆平山 奈穂(ひらやまなお)
1985年福岡生まれ福岡育ち。
両親のお陰でフラメンコに出会い、10歳から踊り始める。
広島本拠地エルカミーノ教室の舞踊団員として国内外にて様々な舞台を経験。
その後独立し渡西を繰り返し、多数のスペイン人アーティストに師事。
フラメンコの魅力に日々翻弄されながら、
2021年【Estudio N】を開設し、自身のフラメンコレッスンやイベント運営をしながら東京、大阪にもライブ出演のため精力的に活動中。
2017年 第9回CAFフラメンコ・コンクール優勝
同年 日本フラメンコ協会新人公演
バイレソロ部門「奨励賞」受賞
2018年 福岡アクロス円形ホールにて
初ソロリサイタル「El flamenco」開催
2019年 スペインSevillaにて
Miguel Pérez、Cristina Tovarと共演。
2021年 Estudio Nオープン
[平山奈穂フラメンコ教室]
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