(sábado, 30 de marzo 2024)
去る3月9日に閉幕した第28回フェスティバル・デ・ヘレス。コロナ禍もほぼ収束し、かつての賑わいが4年ぶりに戻ってきた今年の模様を、長年にわたり取材を続けてきた志風恭子さんがリポートします。
文/志風恭子
Texto por Kyoko Shikaze
【INDEX】
今年もヘレスのフェスティバルが2月23日から3月9日までの16日間に渡って開催されました。フラメンコとスペイン舞踊に特化した世界で唯一のこのフェスティバルも今年で28回目。1997年春に始まったこのフェスティバルは、今やフラメンコ界にとってなくてはならぬ一大イベントとなりました。
もともと、コルドバのギターフェスティバルをお手本に、ヘレスの外から人を集める、ということを目的の一つとしていましたが、第一線で活躍する舞踊家たちの舞台だけでなく、彼らや高名な舞踊教授たちの短期クラスを開講し、その受講料には劇場入場料も含まれる、というシステムも好評で、毎年、世界中から多くのフラメンコを愛する人たちが集まってくるようになるまでにそれほど時間はかかりませんでした。
当初はフラメンコといえばカンテ、と思っている地元ヘレスの人たちはそれほど好意的ではありませんでしたが、現在ではフェスティバルに合わせて地元のライブハウスやタブラオ、タバンコと呼ばれる居酒屋などでも様々なイベントが開催され、スタジオでも外部から講師を呼んでクルシージョが開講されるなど、街を上げてのお祭りのようになってきています。
開幕はサラ・バラス
2月23日、今年の開幕を飾ったのはサラ・バラス『ブエラ(飛べ)』。今年没後10周年となったパコ・デ・ルシアへのオマージュで2月1日にマドリードで初演したばかりの新作です。
スペインで一般にも広くその名を知られるスターならではの舞台で、5人の女性ダンサーと男性ダンサー1人での群舞は衣装替えも多く、アバニコやバストンを使うなど変化もつけて、照明でギターの6本の弦を描くなど、エンターテイメントとして工夫しています。
全編に散りばめられたパコの名曲。サラのクリアなサパテオも得意のスカートを持っての回転やカレティージャ(高速サパテオで細かく前進していく技)も健在。彼女の作品を「商業的」という人もいます。実際、マドリードやバルセロナでロングラン公演を成功させているスター。ただ、フラメンコ/スペイン舞踊の“今”にはこれとはもっとちがう流れがあることを、この後の15日間で実感することになりました。
コンテンポラリーとフラメンコ
翌24日の昼間に、アタラジャ博物館で行われた公演『トレス・ピエサス』も“今のフラメンコ”を実感できるものでした。
出演はバルセロナ出身のホセ・マルドナードとメキシコ生まれのカレン・ルゴという二人のダンサーとギタリスト、チクエロの3人だけ。歌はありません。フラメンコの中心は歌、とはよく言われることですが、歌がなくとも、この公演はムイ・フラメンコで、コンパスの気持ちよさに、ちょっとしたひねりに、伝統的なフラメンコのポーズに、と思わずオレ。色を抑えたシンプルな舞台。椅子と絨毯を小道具にした彼らの踊りは精密で難度の高いパズルのようで、稽古を積み重ねてこそのものなのだと思うのだけど、それを簡単なもののようにさりげなくやっているところがまたすごいのです。そしてチクエロのギターの美しさ、それが踊り手二人の卓越した技術と層をなすようにして完成されている、という感じ。
この作品ではコンテっぽいこともしているホセですが、後日、メルセデス・ルイスの作品では伝統的なバイラオールとして見事にメルセデスをサポートしていたことを観るにつけ、フラメンコの伝統を学んで身につけているからこそ、伝統の形を崩していくこともでき、それが美しい作品にとなるのだなと実感したことでした。
一見、コンテンポラリーっぽいけど、フラメンコ、というのは3月5日に同じくアタラジャで行われたフランシスコ・イダルゴ『蝿とダイアモンド』。
この作品の場合は上演開始前から踊り手が客席に現れ、上衣を脱いだりして行くというオープニングはコンテというか実験演劇みたいな感じ。舞台に上がって(開演して)からも、最初は椅子を背負って歩いたりしているし、途中打楽器奏者がフランシスコの体を叩いてそれで踊ったりもするけど、タラントもタンゴ・デ・マラガもアバンドラオも全部きちんとフラメンコで、コンテ的要素や文法はフラメンコを生かすために使われ、あくまで主役はフラメンコ、というところに好感が持てました。
この作品でも、ギター(エレキベースも弾いてたけど)のアントニア・ヒメネスの存在も大きかったと思います。いい作品にはいい音楽は欠かせません。
3月3日ビジャマルタ劇場で上演されたダビ・コリアの『ロス・バイレス・ロバードス』は、昨年のワーク・イン・プログレスを経ての登場。
舞踊の流行病に想を得た作品で、超絶テクニックで踊り続けるダンサーたち。ただ、ファルーカを踊ったりはするし、サパテアードもするけれど、フラメンコおよびスペイン的要素の存在感が希薄で、普通のコンテンポラリー作品を観たような印象になってしまうのは彼らにとって損なような気がします。自分たちの一番の強みであるフラメンコを効果的に使ってこそ、他の部分も生きてくるのではないだろうか、などと思わされました。前作、『ファンダンゴ』との大きな違いはそこにありそうです。ダビ・ラゴスの見事な歌いっぷりも、BGMのように使われている気がして勿体無い。
サックスのフアン・ヒメネスは元々現代音楽の専門家で、現代音楽を踊ったラ・モネータ『ビンクロス』、ダビ・コリア、ウルスラ・ロペスと3公演に出演。フェスティバル直前までイスラエル・ガルバン新作パリ公演に出演していたそうで、どうすればこんなに違う作品を記憶できるのか知りたい気がします。
ヘレスの踊り手たち
ビジャマルタ劇場では、今年3人のヘレスの踊り手が登場しました。2月27日にはホアキン・グリロが、フラメンコ研究家ファウスティノ・ヌニェスと共に作り上げた作品『クチャロン、ウン・パソ・アトラス』を初演しました。
タイトルは、大さじ持ったら一歩下がる、という意味で昔、大鍋で作られた料理を皆で直接鍋から食べる時に、匙を持ったら一歩下がって他の人が鍋に寄れるように、という意味の言葉。日本で言うと同じ釜の飯を食った仲間、というのと通じるかもしれません。農業、鉱山、鍛冶屋ときびしい力仕事を、トリージャとホタ、タラント、マルティネーテで彩り、スケッチしてみせていくといった趣向の佳作。
クラシックのような音色のギターと芝居心のあるホセ・バレンシアの存在感のある声とのバランスも良く、グリロ恒例ブレリアも冗長となることなく堪能させてくれました。ガデス舞踊団のギタリストだったこともあるファウスティノの知識と経験が、グリロの意図や実力と結びつき良い作品が生まれたのですね。
3月8日、メルセデス・ルイスは、これまで作品の企画演出を手がけていたパコ・ロペス(フェスティバルの生みの親で今はオペラ演出で活躍中)抜きで制作した作品『ロマンセーロ・デル・バイレ・フラメンコ』を初演しました。
セビジャーナス、ファンダンゴ、シギリージャ、カンティーニャとフラメンコ曲を伝統的な形でストレートに集めたアンソロジー的作品ですが、ホセ・マルドナードを相手役にしたのが大正解。マルドナードは彼らしいモダンさを封印してクラシックに徹し、メルセデスを引き立てていました。シンプルにフラメンコ舞踊を楽しむ作品となっていたと思います。
3月4日にはベアトリス・モラーレスが、夫アグへータ・チーコと共に初めてビジャマルタに登場。
パトリシア・ゲレーロ作品の演出家やマリア・モレーノ作品の衣装を手がけた有名なデザイナーの協力を得るなどして制作した『デ・ラ・ナトゥラレサ・デル・アモール(愛の自然から)』で健闘しましたが、いかんせん、ベアトリスは現在の舞踊の潮流とは遠いところにあり、またあれもこれもと盛り込みすぎて焦点がぼやけてしまった印象でした。最後の、二人でのサルサ風の曲のデュエットなど、会場が午後のアタラジャだったらまた印象が変わったかもしれません。
ビジャマルタ劇場ということで、観る側も作品のクオリティに時に過剰な期待をしているということもあるように思います。
研究を舞踊に
フラメンコの歴史などを探求していき、それを作品に昇華する、と言うのも最近の傾向の一つではないでしょうか。先にあげたホアキン・グリロの作品も、その流れにあると言えるかもしれません。
3月6日、前アンダルシア舞踊団監督ウルスラ・ロペスが自らの舞踊団を立ち上げ制作した『コメディア・シン・ティトゥロ(題名のない喜劇)』は、アンダルシア舞踊団で上演した作品『蝶の呪い』の続編と言うべきもの。フラメンコ舞踊の歴史を同時代のフラメンコと関係のあるモダンダンスなども含めつつまとめたもので、ビセンテ・エスクデーロのシギリージャや、グラン・アントニオのマルティネーテ、エル・グイト、ファルーコのソレアといった、フラメンコ舞踊の歴史に深く刻まれた振り付けを再現しています。力作ではあるけれど、歴史をなぞるだけでなく、彼女ならではの視点のようなものがあっても良かったようにも思います。
この翌日7日の、エステベス/パーニョスの『コンフルエンシア(融合)』は、ロマンセやサラバンダ、ホタ、民謡、アフリカ由来の音楽など、フラメンコの源流やプリミティブなフラメンコを、フラメンコ、スペイン舞踊、コンテンポラリーなど自由に組み合わせ、踊っていく。そうすることで、フラメンコそのものの魅力も、未来の姿も垣間見えるような気がします。
5人のダンサーと3人のミュージシャンがとにかく素晴らしく、圧倒される作品です。ラファエル・エステベスは舞踊家ですが、研究家の顔も持ち、彼の探究心無くしてはこの作品はありえなかったことでしょう。大きな身体の彼の踊るフラメンコの味わいの素晴らしさ!
上記2作品とは毛色が違うのですが、探求が作品に、と言う意味で繋がりがあると言えるかもしれない作品が、メルセデス・デ・コルドバの『インフィニート(無限)』。
3月1日アタラジャで上演されたこの作品は、詩人で彫刻家で画家、若くして自死したマルガリータ・ヒル・ロエセの作品と偶然巡り会ったメルセデスが、彼女のことを知ってもらいたいという一心で制作に取り掛かったというもの。ヘレスでの公演はワーク・イン・プログレスということで、制作過程の一片を見せる、という感じで、マルガリータの姪とその人生や作品についてのおしゃべりがあったり。マルガリータの両親に宛てた遺書の話を聞いて、メルセデスが涙した後で踊ったタラントの奥深さ、強さ、厳しさ、絶望。メルセデスの思いが真実のものだからこその、鳥肌の立つようなパフォーマンスだったと思います。
なお、本作品の初演は今年のビエナルでだそうです。
フラメンコの今
3月1日、ビジャマルタ劇場で上演されたアルフォンソ・ロサとパトリシア・ゲレーロの『アルテル・エゴ』は、今年のフェスティバルの観客賞を受賞した作品です。非常に洗練された形で、フラメンコのエッセンスを、超絶テクニックで、余すことなく伝えてくれました。
二人の踊り手、ミュージシャン(ギターがフランシスコ・ビヌエサ、歌にイスマエル・エル・ボラ、アンヘレス・トレダーノ)、全員が全編、舞台に出ずっぱり。ソレアからカーニャへ、タンゴ・デ・マラガからマリアーナへ、というようにフラメンコ曲がシームレスにつながっていきます。
それを踊る二人の超絶テクニック、アルフォンソの非のつけどころのない姿勢、回るごとに違うニュアンスがある回転の美しさ、間合いの良さ。全ての動きにセンティードがあって、ディテールが詰まっているのです。一昨年のフェスティバルで上演された『フラメンコ。エスパシオ・クリアティーボ(創造空間)』で振付を手がけたエステベス/パーニョスに学んだことが今回の作品にも生かされています。パトリシアの小気味のいい踊り、動きが止まるところのかっこよさ。ソロもいいが、二人の掛け合いも息があっていて素晴らしかったです。いま、この時の、二人ならではのフラメンコ。最後に見せた史上最も複雑で難しい(であろう)セビジャーナスに至るまで、二人の才能を、スタイリッシュに魅せてくれました。
彼らの踊りは現代的だけど、そこに伝統のフラメンコも透けて見えてくるのです。非常に複雑難解なことをいともたやすくやっているように見えるのがすごいし、粋。そして薄暗がりのようでいて表情も動きもきちんと綺麗に見える絶妙な照明(オルガ・ガルシア)。文句なく、今年の作品ナンバーワンです。
スペイン舞踊、ボレーラ…
誤解されがちなのですが、ヘレスのフェスティバルはフラメンコのフェスティバルではなく、フラメンコ舞踊とスペイン舞踊のフェスティバルなのです。フラメンコに押されて、現在では見る機会が少ない、エスクエラ・ボレーラや民族舞踊などの作品も登場します。
今年は、マヌエル・リニャン『ビバ』やアントニオ・ナハーロ舞踊団で活躍中の若手、ダニエル・ラモスがボレーラからシギリージャ、クラブ風ダンスまで踊る初のソロ作品、『コントラクエルポ』が2月28日アタラジャで上演されました。
ボレーラといえば、これまでも数々の作品でバレリアーノ・パーニョスが名人技を見せてきましたが、ダニエルも素晴らしい。カスタネットやマントンも使い、でも、リニャンやナハーロ、ルベン・オルモといった先輩方の影響は顕著だけれど、真似に終わっていないのは見事です。
同じく28日、ビジャマルタ劇場では、カルロス・ロドリゲスが豪華なゲストとともにピカソへのオマージュを踊る『エテルノ』で、絶品のボレーラやホタ、エスティリサーダを堪能できました。
スペイン国立ダンスカンパニー監督ホアキン・デ・ルスがスペイン国立バレエ団ソリスト、エステラ・アロンソとみせたファンダンゴが白眉!ボレーラはクラシックバレエとの共通点が多いのですが、ボレーラならではの斜めの構えなどもちゃんとしていて脱帽。繊細で、ただひたすら美しく、酔いしれました。
またホタの貴公子、ミゲル・アンヘル・ベルナも登場し、スペイン舞踊の多彩な魅力を改めて感じさせてくれました。これで音楽がもう少し良ければ……。作品は二部構成だったのですが、二部は昔の創作ダンス、みたいな感じで、私的にはボレーラ、ラ・ルピのフラメンコに、ホタとスペイン舞踊満載の一部だけで十分でした。
そしてマヌエラ
昔からのフラメンコファンは、きっとファルキートとマヌエラ・カラスコ、二人の公演を楽しみにしていたことでしょう。ファルキートは息子フアン・エル・モレーノとの『アルマ・ヌエバ』で3月2日に登場。息子との共演のせいか、いつもより、下向きがちな姿勢が気になりました。また踊りでも、踊りの途中で決めポーズの後拍手をねだるようなポーズもあったり。ビデオを入れたり、新しさを出そうとしているのだとは思いますが、成功しているかどうかは微妙なところではないでしょうか。キーボードなどどう考えても新しい響きではなく、90年代風に思えてしまうのです。
マヌエラ・カラスコは最終日、引退ツアー公演の第一弾として新作『シエンプレ、マヌエラ(いつもマヌエラ)』を初演。
エストレマドゥーラのハレオで始まり、ゲストのヘスース・メンデスが歌うカーニャ、母そっくりの娘マヌエラのアレグリアスとつづき、最後の極めつきはソレア。これがものすごかった。
ソレアといえばマヌエラ、マヌエラといえばソレア。だからもちろん期待もしていたのだけれど、その期待をはるかに超えてくる素晴らしさ。言葉にならない思いをフラメンコで語ってくるのです。真っ直ぐ心に飛び込んでくる。少なくとも40年以上の長きに渡り、マヌエラに歌い続けているエンリケ・エル・エストレメーニョとの絆、昨年亡くなった夫への敬慕、自分の中のどうにもならない思い、そういったものが、観ているこちらの心の奥底に眠っていた、言葉にならない感情と結びつき、滂沱の涙。フラメンコはやっぱり最高!と高揚した気分で家路へとついたのでありました。
試行錯誤の時代
と、今年も素晴らしい舞台がたくさんありましたが、全体として思ったのは、絶対的な正解のない時代、試行錯誤を繰り返すことでそれぞれの正解を見つけていくのだな、と言うことです。
1980年代まで、フラメンコの踊り手は良い踊りができればそれで十分でした。アントニオ・ガデスやマリオ・マジャのように、舞踊団を作り作品を発表する人は少数派でした。それが90年代から、セビージャで2年に1度開催される世界最大のフラメンコ祭ビエナルが出演者側からのオファーを中心にプログラムを組むようになり、踊り手側には、フラメンコを上手に踊るというだけではなく、企画をたてる、作品を作る能力も必要とされるようになったのです。作品/企画を持ち込まない限り、踊る機会は減少の一方です。もともとただ踊るだけでは飽き足らない、表現したいという欲求を持った踊り手には良いきっかけとなったことでしょう。また世界市場を考えた場合も、作品をオファーできるというのは利点です。しかし良い踊りを踊ることだけを追求してきた人にとっては大問題です。踊りの実力と、作品を創作する能力、制作する能力は別物なのです。誰もがガデスのように踊りも、振り付けも、演出や照明デザインも、と全てをできるわけではありません。にもかかわらず、作品という体裁を整えなければなりません。当初は他の踊り手と組んだり、生徒を入れて、自分はいつものレパートリーを踊るなどしていた人も大勢いました。そのうち、演出家を入れたり、他ジャンルのダンサーやミュージシャンをゲストに呼ぶなどする人も増えてきました。
そして今、フラメンコにベースをおきながらもフラメンコに縛られず自由な発想で創作していくイスラエル・ガルバンの登場と成功もあってか、誰もが自由に自らの発想/考えを形にしていくように見受けられます。コンテンポラリーダンスや演劇的な手法やテクニックもおそれずに使いこなし、自分のフラメンコを、自分の世界を描こうとしているのだと思います。ダンサー自身などが、舞踊学校時代に学んだフラメンコ以外の舞踊に熟練している場合も多いというのもあるでしょう。演出家なども無しで一人で全部ディレクションしていくことも多いようです。ただ、他ジャンルに絡めとられてしまうケースや、色々な要素を入れすぎて何が主役かわからなくなってしまうことなどもあるように思います。演出家やゲストを使うにも、何をしたいかという根本のところを自分でしっかり捕まえていないとダメなのだと思います。
また、一人でスタジオにこもっているだけではなく、仲間たちや他の踊り手の舞台を見ていくことも必須なのではないでしょうか。ヘレスのフェスティバルでは、オフィシャルのクラスの講師陣だけでなく他のスタジオでクラスをしに来たアーティストたちも劇場にやってきます。セビージャから公演だけを見に来るアーティストもいます。たくさんの舞台を見ることで学べることは無数にあると思います。
ちなみに、ヘレスのフェスティバルの魅力の一つにアーティストとアフィシオナード(ファン)の距離の近さがあると思います。劇場公演終演後、近くのバルには公演を見ていたアーティストがおり、しばらくすると舞台に出ていたアーティストもやってきます。いい公演だと、そのアーティストが拍手で迎えられることがあったり、夜が更けてブレリア一節始まることもないことではありません。
短期クラス/クルシージョ
今年は36のレギュラークラスと1日だけの集中クラスが5クラス開講され、全てが満員となりました。レギュラークラスは土曜から日曜までの7日間、入門初級クラスで1時間50分、中級向上クラスで2時間20分のクラスが毎日行われる集中クラスです。レベル分けはされてはいるというものの自己申告なので、生徒のレベルにばらつきがあって生徒も先生も大変、という話も耳にしますが、普段レギュラークラスを開講していないアーティストも多いので、憧れのアーティストの近くで学べるまたとない機会でもあり、多くの人が何かをもらって帰途についたことと思います。
日本人の活躍/オフ・フェスティバルなど
今年で13回目となったライブハウス、ラ・グアリダ・デル・アンヘルでのオフ・フェスティバルには、カプージョ・デ・ヘレス、フアナ・ラ・デル・ピパ、ディエゴ・デル・モラオらご当地ヘレスの人気アーティストや、ラファエル・カンパージョ、エル・フンコなど第一線で活躍する踊り手から地元舞踊教室の生徒まで、幅広いプログラムが組まれていました。
ここでの日本人の出演はもう恒例といっていいでしょう。今年も2月25日、野上裕美がセルヒオ・ゴンサレスと共演したのを皮切りに、27日には石川慶子、川本典子がフアン・ポルビージョと共演。29日には佐藤浩希と中里眞央がアントニオ・マレーナ親子との共演で出演。中里はカンテ・ソロでタンゴとシギリージャを歌い、佐藤もソレアとシギリージャを踊りました。3月5日はエンリケ・エル・エストレメーニョ、ニョニョ親子のプロデュースで『日本からヘレスへ』公演。松下幸恵、安井理沙、林結花、宇根由佳、荒濱早絵、山下美希、景山綾子と7人が出演。それぞれの個性が感じられる一夜でした。最終日9日には萩原淳子が5日の公演でパルメーロを務めたフアン・マテオスが出演しました。他にも、萩原はタバンコ・エル・パサへ、野上は長嶺晴香とともにタバンコ・クルス・ビエハのコンクールにも出場しています。
日本人がフラメンコを踊る、ということが、少なくともヘレスのフェスティバル界隈ではもうごく普通のこととして受け入れられていると感じます。これもヘレスのフェスティバルの成果の一つかもしれません。
また、小林亮はアルバム発表記念コンサートをペーニャ、ラ・ブレリアで公演。小林の公演は満員御礼。アンドレス・ペーニャらヘレスのアーティストも出演し大いに盛り上がりました。ヘレスの地で、ヘレスのアルティスタに囲まれて弾く小林も、東京公演時よりもヘレス度がアップしているようで、最後に踊ったブレリアのパタイータに至るまで完璧な公演。フェスティバルの本公演にもいくつかゲスト出演していたヘスースも、リラックスした熱唱だったし、アンドレスのクラシックな、古き良きフラメンコの香り高い踊りも最高でありました。
この他にもここラ・ブレリアをはじめ、ヘレス市内のペーニャやタブラオなどでも有料のイベントが行われたり、オフィシャル以外のイベントやクルシージョも増えています。これから行こうと思う人はそれらも含めて要チェックです。
【筆者プロフィール】
志風恭子(Kyoko Shikaze)/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。
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