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【佐賀】樺澤 幸・充郎

Flamencofanインタビュー

 

Yuki Kabasawa y Mitsuo Kabasawa

「フラメンコの品ぞろえは幅広く、どんなリクエストにも応えたい」


(sábado, 19 de octubre 2024)


本場スペインに次ぐフラメンコ大国、日本。

その各地でフラメンコに惚れ込み

その魅力を伝えるために

活動を続けている人たちがいます。

今回は、佐賀のフラメンコスタジオ『ラ・アレグリア』をご夫婦で営む

踊り手の樺澤幸さんとギタリストの樺澤充郎さんにお話を伺いました。


聞き手/金子功子

Entrevista por Noriko Kaneko



A_2405_IV樺澤夫妻_©黒岩フォトオフィス
©黒岩フォトオフィス

――フラメンコとの出会いは。


幸:私は、23歳の時、ラテン音楽やスペイン音楽を演奏するグループのコンサートに行き、そこでエスパーニャ・カーニという曲を初めて聴きました。そのときにギターの音色にビビッと来て、「この音楽で踊りたい!」と思いました。その後に福岡でベニート・ガルシア氏のステージを見て「スペインに行こう!」と強く思いました。これらが私のフラメンコの出会いです。


充:私は大学に入学した時に、フォークギターの爪弾きがしたいと思っていました。友人がクラシックギターをやりたいというので、大学のギタークラブに一緒に見学に行くと、そこではクラシックの他にフラメンコもやっていて、部室の外の廊下で先輩たちがブレリアスの三重奏を演奏していました。「なんじゃこりゃー!」と衝撃を受け、そのまま入部しました。


――その後のお話も少し聞かせてください。 


充:大学のギタークラブでは先輩方に教えてもらって、その先輩方が卒業していなくなったら自分たちが後輩に教えて、大学4年間はそんな感じでした。卒業して仕事を始めてからは、ギターはそれほど弾いていませんでした。でも24歳のときに仕事で腰を壊して、「このまま仕事だけやってつまらない人生のまま死んでいくのは嫌だ!」、「それならもう一回ギターを真剣にやろう!」と思いました。そして都内で瀬田彰さんと原田和彦さんに習い始めました。その後スペインにも何度か短期留学をし、ギターを学びました。なかでもエル・カルボネーロにいちばん多く習いました。カルボネーロはヘレスの地元の子供たちにギターを教えていて、自分が今まで通って来なかったフラメンコギターの最初の大事な部分を教えてもらいました。


幸:私はフラメンコに出会った翌年の1999年から2000年の1年半くらいセビージャにいました。その時は主にコンチャ・バルガスに習っていました。この時の滞在は初めてのスペインで、フラメンコがあまりにも自分とかけ離れた存在と痛感し、何度もフラメンコをやめようと思ったりもしました。しかしそんな私に対してもコンチャが愛情深くフラメンコの魅力を教えてくれたおかけで、何とか続けることができました。コンチャ以外にはフンダシオン(*クリスティーナ・ヘーレン財団フラメンコ芸術学校)に通ったり、ラ・チョニにも習いました。スペインから帰国後は東京で暮らし始め、関口華恵さん、小島裕子さんに師事しながら、来日スペイン人アルティスタにも習っていました。


――おふたりが出会ったのはいつ頃ですか。


充:出会ったのは2004年で、ちょうど20年前です。瀬田さんの教室と関口さんの教室の合同のお花見の機会でした。


幸:そのとき彼が幹事をやっていて、参加費を渡したのが最初の出会いです。


――出会ってからご結婚されて、佐賀でスタジオを開くきっかけは何でしたか。


幸:佐賀でスタジオを始めたのは、2011年の東日本大震災がひとつのきっかけでした。東京にいたときは自分がクラスを持って教えたりはしていませんでした。そもそもフラメンコを仕事にするつもりも無く、ただ好きでやっていただけでした。関口先生からソロで踊る機会をいただいたりしましたが、自分から率先して何かをやるということは全然ありませんでした。スタジオを構えることになったのは、彼(充郎さん)のプロデュースです。


充: (幸に)「フラメンコをいつまでやるの?」と聞いたら「一生やる!」と答えたので、「それならばスタジオ付きの家があっても悪くないよね?」という軽い気持ちで始めました。


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フラメンコスタジオ『ラ・アレグリア』

――スタジオを開かれてからはいかがでしたか?


幸:スタジオ・オープンに合わせて踊りの生徒さんを募集したところ、幸いにも15名ほどの方がいらしてくださいました。その時から今でもずっと続けてくださっている方も何名かいらっしゃいます。有り難いことです。その後も少しずつ新しい生徒さんが来てくださってフラメンコを楽しまれています。


充:スタジオを開いた当初は、佐賀にはカンテが誰もいなかったため、県外の方にお願いをしないとフラメンコができませんでした。このことが理由でイベントなどを依頼されてもお断りせざるを得ないこともしばしばありました。そのため、まずは自分たちも含めて「歌える人を育てよう!」と思い「カンテ研究会」というものを立ち上げました。これはカンテのクラスではなく「お題の音源をよく聞いてできる限り真似してみよう」という時間です。これがきっかけで歌い始めた踊りの生徒さんもいます。更にカンテの質を向上させる目的で、2017年からは広島のヘスス・エレディア氏に毎月来てもらい、歌とカホンを教わっています。おかげで今では県外から人を呼ばずとも地産地消でフラメンコができるようになりました。来月(6月)にはギターと歌、カホンの“踊りなし”の「音楽会」を開催します。この「音楽会」も今回で3回目となりました。過去の音楽会では「踊りがなくても楽しいね」「リズムが面白い」などとのお声をいただきました。


――ヘススさんのクラスの情報は、SNSのX(旧ツイッター)でよく拝見していました。そちらでは、「今日は何の日」というテーマでも連日投稿されていますね。


充:一昨年くらいから始めているのですが、実は今、空前のダンスブームらしいのです。ヒップホップやK-POPなどが流行っているようです。とはいってもフラメンコに関しては無風です! ブームに少しも乗っかっていないなと痛感しました。それなら何でもいいからフラメンコについて発信してみようかと思い立ち始めた次第です。でも一般的にSNSなどで文章が長いとなかなか読んでもらえません。写真を付けて短い文章で毎日投稿すれば誰かに見てもらえるかなと思い、Xを主として発信しています。


――ところで、コロナ前までは佐賀フラメンコフェスティバルを開催されていましたね。


幸:はい、「フェリア・デ・アブリル(セビージャの春祭り ※以降フェリア)をイメージしたお祭りを佐賀でもやろう!」ということで開催していました。しかし9回目の2020年はコロナの影響で中止せざるを得ませんでした。


――始めたきっかけは。


幸:もとは、春にきれいなお花が咲く広場があって、そこでセビジャーナスを踊りたいという方がいたのがきっかけです。その翌年はちょうどフェリアの時期にテレビ局が企画したイベント内でのフラメンコ・ステージを頼まれて行いました。3回目からは自分たちが主催でやるようになりました。最後の開催となった2019年は出演者が200人以上にもなりました。その半分以上は県外からの方たちで、このフェスティバルが九州のフラメンコの交流の場となっていました。


――生徒さんたちには、フラメンコのどんなことを伝えたいですか。


幸:月並みですけれど、フラメンコの楽しさや面白さを伝えていきたいですね。歌・ギター・踊り・パルマが合わさって1つの音楽をつくっていくのってシンプルに面白いと思います。


充:例えば東京のような都会ではコアなことをやってもよいかもですが、ここ佐賀では幅広く且つ基本的な事を大事に伝えていきたいです。自分個人として伝えたいこともありつつ、でもリクエストが来たらどんなことにでも応えられるように、フラメンコの品ぞろえは幅広く用意しておきたいと思っています。「ここに来たら、フラメンコは何でも揃っているよ」という感じで。



【プロフィール】

◆樺澤 幸(かばさわ ゆき)

佐賀市出身。 23歳でフラメンコ舞踊を始め、1999年にセビージャへ長期留学。その後も短期留学を繰り返す。 上京後、関口華恵氏、小島裕子氏、来日中のスペイン人に師事。2011年に佐賀市にスタジオ「ラ・アレグリア」を開設。佐賀県にスペインの芸術・文化を広めることをライフワークとしている。

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©黒岩フォトオフィス

◆樺澤 充郎(かばさわ みつお)

群馬県出身。千葉工業大学在学中にフラメンコギターを始める。卒業後、瀬田彰氏、原田和彦氏に師事。2009年にヘレス・デ・ラ・フロンテーラへ短期留学。その後も短期留学を繰り返す。エル・カルボネーロ、ニーニョ・ヘロ、ミゲル・イグレシアスらに学ぶ。2015年6月より拠点を佐賀に移し、ギター教室を開講している。

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©黒岩フォトオフィス

[ラ・アレグリア]


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