検索結果
空の検索で503件の結果が見つかりました。
- リレー連載:私とフラメンコ -新人公演を通して- 8
第8回 吉田芽生 【バイレ・ソロ部門 奨励賞】 (sábado, 12 de julio 2025) あなたにとってフラメンコとは何ですか――。 仕事として関わっている人、趣味として楽しんでいる人、自身の生きがいとして無くてはならない人など、その向き合い方は人それぞれ。 そうしたフラメンコへの思いを、昨年の日本フラメンコ協会主催「第33回フラメンコ・ルネサンス21『新人公演』」の入賞者の方々にエッセイとして綴っていただき、リレー連載という形式でご紹介します。 フラメンコとの出会い、新人公演を通して得たものや感じたこと、自身にとってのフラメンコへの思いなどを語っていただきました。 最終回となる第8回目は、バイレ・ソロ部門で奨励賞を受賞した吉田芽生さんです。 編集/金子功子 Edición por Noriko Kaneko [撮影]川島浩之 [写真提供]一般社団法人日本フラメンコ協会 私がフラメンコを始めたのは大学のクラブからでした。まさか今こんなにもフラメンコにどっぷりハマるとはその時の自分には全く想像できないことです。大学3年生の時にMaría Pagésの「Utopía」という作品を渋谷のBunkamuraで観た時は、フラメンコってなんてかっこいいんだ!と衝撃を受けました。それからというもの、インターネットでたくさんフラメンコの動画を見て、Marco Floresのファンになり、「いつかスペインでMarco先生のクラスを受ける!」と夢みたものです。 しかし私はもともとのんびりのおっとり、フラメンコの野生的な激しさは持ち合わせていませんでした。タブラオのお仕事をいただくようになってからも、観てくださった方からは「すごくきれいに踊るね」と。でもその後には(おっしゃらないけれど)「でも…」が付いている気がして、やっぱりフラメンコには向いてないのかな…とずっと思ってきました。そんな中、私の踊りの伸びしろを信じて根気強くご指導くださる井上圭子先生の存在は私のフラメンコ人生にとってなくてはならないものです。振りをそつなくこなすばかりでなかなか表現の域に入れない私にたくさんの大事な教えを与えてくださいました。 圭子先生のところにきて3年。まだまだバタデコーラは初心者ですが、人生の節目も重なり選んだアレグリアスは、練習もリハーサルも本番も、全てが自分にとっての大きな財産になるような時間でした。もちろんうまくいかないこともたくさんありました。なかなか自分の中に落とし込めずに圭子先生の前で泣いたこともあります。スペインから届いた衣装が短すぎて絶望的になった時もありました。しかしたくさんの方が手を差し伸べてくれて、支えて励ましてくれました。とにかくコツコツ地道にやること。これしかありません。細かいところを一つ一つ取り出してどうしたら良くなるのかひたすら追求する作業はなかなか辛いです。どうしたら素敵なシルエットになるか、そして私はミュージシャンにうねりや波を踊りで伝えるのがとても苦手なので、どうしたらこの動きが伝わるのか、スタジオにこもってひたすら考えやってみるその繰り返し。なかなか変われない自分にイライラしてモヤモヤして。それでも頑張れたのは、「今回こそ自分を超えてやる」という決意があったからだと思います。誰か背の高い人がただきれいに美しく舞台で踊っているのではない、観てくださっている方に小さな贈り物が届くような、心がちょっと温まるような、そんなアレグリアスを目指していました。それを奨励賞という形で評価して頂けたことは本当に光栄なことです。フラメンコの神様に「もうちょっと頑張ってみてもいいよ」と言ってもらえた気がします。 (写真)本人提供 多くのフラメンコを愛する人がイメージするようなフラメンコらしさは私には出せないかもしれません。しかし「めいちゃんの踊り方って他にはないよね」と言って頂けることも増えてきました。今年は夢だったフラメンコの入門クラスも開講し、バタデコーラの基礎も一から見直し、やりたいこともあって、またドキドキワクワク、フラメンコに向き合う一年になりそうです。 フラメンコは誰にでも、どんなスタイルでも、愛と敬意があれば広い海のように開かれているように感じています。向き不向きは自分が勝手に作り出した壁なのかもしれない。圭子先生の素敵なシルエットに恋をし、Angelita Vargasのソレアに胸を打たれ、Marco Floresの舞台を見て号泣し、「ごちゃごちゃだ」と言われるかもしれないけれど、そんなことない。私が好きなのはフラメンコのスタイルではなく、フラメンコそのものなのだと改めて感じる日々です。 私を導いてくださる圭子先生、貴重な学びの機会を与えてくださる方々、親身にアドバイスをしてくださる方々、いつも応援してくれる家族や友人に心から感謝しています。 【プロフィール】 吉田芽生(Mei Yoshida) /横浜市生まれ。大学のクラブでフラメンコを始める。 田中美穂氏、みのもはるか氏、そして現在は井上圭子氏に師事。 3度の渡西ではMarco Floresはじめ多数のアーティストに師事。 第3回「全日本フラメンココンクール」ファイナリスト 第33回フラメンコ・ルネサンス21「新人公演」にて奨励賞受賞 2025年4月より大船「松竹ダンスプラザ」にて入門クラスを開講中。 【新人公演とは】 一般社団法人日本フラメンコ協会(ANIF)が主催する、日本フラメンコ界の発展向上のため、次代を担うフラメンコ・アーティストの発掘および育成の場として、1991年から毎年夏に開催されている舞台公演。 プロフェッショナルへの登龍門として社会的に認知される一方、「新人公演は優劣順位をつけるためのものではなく、新人へのエールを送るために存在する」という当初からの理念に基づき、すべての出演者が主役であるとの考えから順位付けは行われません。 バイレソロ、群舞、ギター、カンテの各部門に分かれ、若干名の出場者に奨励賞、またはその他の賞が与えられます。 (*一部、ANIF公式サイトより引用) 〈参照URL〉 https://www.anif.jp/ctt_anif_event_shinjin.htm =====
- カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.50
(viernes, 11 de julio 2025) 文/エンリケ坂井 Texto por Enrique Sakai Malagueña de La Trini ①のチャコン版 前回に書いた目の手術は1897年の事だと言われており、そうするとトゥリニは31才くらいですが、この不幸にもめげずアンダルシア各地で歌い続け「マラゲーニャの女王」と言われるようになります。 しかし次第に体は病魔に蝕まれて活動はマラガの地元に限られるようになり、舞台に出る代わりにマラガ市内に「カレータの小さな店」と名付けた自身の店を開き、通(つう)向きのフエルガでのみ歌うようになるのですが、フェルナンドはこの頃がトゥリニのカンテは最高の時期を迎えた…と書いています。 私が感じるのはこの文章は恐らく本当の事で、カンテが熟するためには強いアフィシオンを持って生きた長い人生経験が必要であり、例えばマイレーナやカラコールといった名人達のレコードを若い頃から年代順に聴いていくと、年齢を重ねることによって歌は深まっていくのが感じられるのです。 パストーラなどは天才ですから10代の最初の録音の時から既に技術もコンパス感の良さも深い味わいも完成しているように思いますが、やはり私が心から感動するのは後期の熟した歌です。 しかし反対の道を辿る歌い手がいるのも事実で、若い時は良かったのに段々と商業的、受け狙いになって品性を無くし歌が悪くなる…これはまさにアルテに対する姿勢がそういう結果をもたらすのでしょう。 トゥリニは老いて声も若い時のようには出なかったでしょうし技術も衰えた、しかし歌のクロウト達にとってそんな事は大切ではなく、魂の声を聴く事こそがカンテを聴く醍醐味なのだという事を知っているわけです。 トゥリニはそんな雰囲気の中で歌い、それが聴く人を感動させた…これぞフエルガの醍醐味!という幸せな瞬間だったのでしょう。 私にもそんな経験がたくさんあり、そうやってフラメンコ人間に育ったのです。続きは次号に。 今回取り上げるのは、トゥリニ①のアントニオ・チャコン版です。チャコンはこれを1908年にオデオンからカルタヘネーラNo3の2曲目に録音、それをエンリケ・モレンテが1980年「チャコンへのオメナヘ」と題した2枚組LPレコードに録音しました。チャコンのは入手が難しいのでモレンテ版を例に取りました。 以下はその歌詞です。 【Letra】 (ay, no me había de conocer...) Si me trataras de nuevo no me habías de conocer, porque tengo distinto genio y otro modo de querer más cariñoso y más bueno. 【訳】 もし再び俺を愛してくれるなら 以前の俺とは気付かぬだろう、 すっかり性格も変わって お前を愛するのも以前とは違う、 もっと優しく愛情深くなったのだ。 歌詞を読むと人間ってそんなに変わるかなぁ?と思いますが、反省があれば良しとしましょう。 このシリーズのトゥリニ①の楽譜と比べてみると、大きな形として今回の歌も同じ土台の上に立っている事に気付くと思います。こうした古いスタイルを掘り起こして再び蘇らせたモレンテのアフィシオンは素晴らしいと言えるでしょう。 【筆者プロフィール】 エンリケ坂井(ギタリスト/カンタオール) 1948年生まれ。1972年スペインに渡り多くの著名カンタオールと共演。帰国後カンテとパルマの会を主宰。チョコラーテらを招聘。著書『フラメンコを歌おう!』、CD『フラメンコの深い炎』、『グラン・クロニカ・デル・カンテ』vol.1~35(以下続刊)。2025年1月Círculo Flamenco de Madridから招かれ、ヘスス・メンデスと共演。 ※CD『グラン・クロニカ・デル・カンテ』シリーズを購入ご希望の場合は、アクースティカ( https://acustica-shop.jp/ )へお問い合わせください。(編集部) ======
- 中里眞央フラメンコリサイタル vol.2 Hacia Adelante Ⅱ
アシアアデランテ -揺れる心の羅針盤- (miércoles, 9 de julio 2025) フラメンコの歌と踊りの両部門で数々の受賞歴を持ち、昨年初開催となったソロリサイタルも大成功を収めた中里眞央さんの第2弾となるソロ公演が、新宿ガルロチで上演されます。 歌と踊りを通して揺れる心の行方をたどる――というコンセプトのもと、自分にしかできない表現を深く追求した舞台作品が期待されます。 中里眞央フラメンコリサイタル vol.2 Hacia Adelante Ⅱ アシアアデランテ -揺れる心の羅針盤- [日時] *全2回公演 2025年10月1日(水)開場18:00/開演19:00 10月2日(木)開場12:00/開演13:00 [会場] 新宿伊勢丹会館 ガルロチ(東京) [出演] 歌/踊り 中里眞央 ギター マレーナ・イーホ、斎藤誠 カンテ ディエゴ・ゴメス パーカッション 大儀見元 パルマ 佐藤浩希、小西みと ほか [後援] 公益財団法人スペイン舞踊振興MARUWA財団、スペイン大使館、インスティトゥト・セルバンテス東京、一般社団法人日本フラメンコ協会、一般社団法人現代舞踊協会 [チケット] 全席指定 ¥7,000 (1ドリンク込) ※軽食、追加のドリンクは別料金でご注文いただけます。 [予約フォーム] https://forms.gle/ELvA4SJH4AxGLF1b9 [問] mao567ticket@gmail.com =====
- スペインNews 7月号・2025
(domingo, 6 de julio 2025) 文・写真/志風恭子 Texto y fotos por Kyoko Shikaze 6月末、スペインに熱波とのニュースが日本でも放送されていたようですね。オフィシャルの最高気温が40度超えで、それが何日か続きました。毎年のことで慣れているはずなのですが、やっぱり暑いのは暑い。特に最初の一撃はこたえます。日本に比べると湿度が低い分、日陰に入れば割と過ごしやすいのですが、日向はサウナみたいな感じです。なので、この時期にアンダルシアにいらっしゃる方は観光や買い物などは早起きして午前中に済ませ、スペイン時間でお昼食べた後の15時くらいから20時くらいまでは外に出ず、シエスタ、お昼寝をして、フェスティバルやタブラオなど見に出かけるなら夜、というのが正解。ちなみにこの時期、日の出は7時で日の入りは22時近いので、日本から来ると時差以上に体内時計が狂わされる感じがあるかもしれません。反対にスペイン人的には4時頃から明るくなる日本に慣れづらかったりします。 コルドバ駅前の温度計。13時過ぎの気温。通常、日陰で測られるオフィシャルよりも街頭温度計は高い温度を示します。 《INDEX》 ・ コルドバ県青少年フラメンココンクール ・ セビージャの日本人フラメンカたち ・ 追悼ラモン・エル・ポルトゥゲス、サブー 【コルドバ県青少年フラメンココンクール】 そんな熱波襲来中の6月28日。コルドバ県主催の青少年フラメンココンクールの決勝が、県南部の、マラガ県、セビージャ県との県境に近いところにあるエンシナス・レアレスの街のオーディトリオで開催されました。盆地のコルドバに比べると標高が高いこともあって少しはしのぎやすかったですが、それでもアバニコ、扇子必須の暑さです。 今回で第22回となるこのコンクールの審査員に任命され、12、13日にコルドバ県庁のパティオの特設舞台での準決勝、決勝と、エル・ペレ、アルカンヘル、スペイン国立バレエ監督ルベン・オルモ、ハエン音楽学校フラメンコギター科教授ラウラ・ゴンサレスとともに、3日間、審査をさせていただきました。 14歳から35歳までのコルドバ県在住在学者を対象としたこのコンクール、準決勝初日にその舞踊のレベルの高さに圧倒されました。結果的に、この日の出場者4人が決勝進出となりましたが翌日の参加者たちもそれぞれがんばりました。何よりも18歳以下でもちゃんと一曲踊りこなしているのにびっくり。スペインの底力ですね。歌やギターではフラメンコらしさと技術のバランスが難しいところかな、と思いました。 またこのコンクールではオフィシャルの伴奏者もいるのですが、自分のギタリストと出場している歌い手も多く、その中には残念ながら伴奏者に足を引っ張られ自分の能力をちゃんと発揮できないまま終わってしまった感のある人もいたのは残念に思います。共演者選びからコンクールは始まっているのかもしれません。 さて決勝。いずれの参加者も準決勝以上の実力を発揮してくれました。コンクールなのに、審査員なのに、つい、オレ!と口にしてしまった瞬間もあったことを告白します。 審査の結果は以下のとおりです。 ●カンテ/アントニオ・フェルナンデス・ディアス“フォスフォリート”賞 マリア・レジェス・イダルゴ https://youtu.be/TE11HlKAkp0?si=CCFd58acLg8RFRjd ●ギター(ソロと歌伴奏)/ビセンテ・アミーゴ賞 メルチョール・デ・フアン・レジェス・ヒメネス ©︎ Toni Blanco ●舞踊14〜18歳/ブランカ・デル・レイ賞 ラウル・アルバ・クルス https://youtu.be/YeDGSoOVszU?si=L3lrRUkwxeSjQy_o ●舞踊19歳以上/オルガ・ペリセ賞 ナタリア・ガルシア・カストロ https://youtu.be/t7hdShA5VKw?si=T7Y0PICnuy9uiXTY 決勝に残っても優勝者以外には賞金も商品もなく、賞状だけという厳しい世界。でもルベン・オルモ監督が4人にスペイン国立バレエ団のレッスンに参加できるというベカを特別に贈ってくれました。より大きな目標に向かってがんばるためのモチベーションになりそうですね。 ©︎ Toni Blanco 19歳以上部門のインマクラーダ・カルモナはバタの扱いが見事だったし、 ©︎ Toni Blanco 18歳以下の部門のルシア・ビノスはマントンでのバンベーラ上手でした。 ©︎ Toni Blanco 決勝参加者と審査員。左からメルチョール・デ・フアン、ラウル・アルバ、ルベン・オルモ、ナタリア・ガルシア、ルシア・ビノス、アルカンヘル、ラウラ・ゴンサレス、県文化担当官、インマクラーダ・ロペス、志風、エル・ペレ、マリア・レジェス、アントニオ・ヘスス、インマクラーダ・カルモナ、エンシナス・レアレス市長、コンクールのコーディネーターで司会も務めたアントニオ・アルコス。 なお、ギター部門優勝のメルチョール・デ・フアンは名手メルチョール・デ・マルチェーナのひ孫にあたり、現在コルドバの音楽学校在学中なのだとか。フラメンコ性が高い、歌をよく知っている歌伴奏はそんな環境ゆえかもしれませんね。準優勝のアントニオ・ヘスス・ゴメスはよくギターを鳴らしていたのが印象的でした。 この中からプロとして第一線で活躍する人が出てくることを心から願っています。 ●志風とルベンのコンクール由来のトーク (スペイン語) https://youtu.be/m4-Qw_eBk-Y?si=nstWDN7Gv03lPehN 【セビージャの日本人フラメンカたち】 コルドバも暑けりゃセビージャも暑い。でも、6月の熱波が来る前にはセビージャ留学中の踊り手たちのライブを見ることもできました。 6月7日はアウロラ・リゲラという、歌うフルート奏者のリサイタルに出演する瀬戸口琴葉を見に、セビージャの老舗ペーニャ、トーレス・マカレーナへ。フルート演奏していたかと思うと歌い始めるアウロラも期待のアーティストだけど、瀬戸口のアレグリアスとソレアが良かった! 前に見た時よりもリラックスして自然体でフラメンコを楽しんでいるように見えました。今回は自分が主役じゃないの で肩の力が入っていない、とかもあるのかな。とにかく良かった。特にアレグリアスは任にあっているという気がしました。お客さんも大いに満足。良き夜となりました。 14日は、ロス・ヒターノス教会のそばにあるプエルタ・ソルというカフェバーへ。30年前から不定期でフラメンコライブを行なっているという店で、そういえばその昔、屋良有子、里有光子、髙木亮太のライブを見に行ったことがありました。 15年ぶりに来たのは、大城まどかと鬼頭幸穂のライブのため。一枚のマントンを二人で使い、カスタネットも駆使してのグアヒーラに始まり、大城のタラント、鬼頭のマントンのアレグリアス、最後は着物風の衣装で再びデュオで録音のファンダンゴ。こちらもカスタネットを使って。元スペイン国立バレエ団ウルスラとタマラのロペス姉妹のスタジオに通う二人。カスタネットを使いスペイン舞踊に傾いた意欲的な構成。意気込みがいい。ただ伴奏者が良かったらもっといい公演になったかも。大城のキリッとしたタラントも、鬼頭の華やかなアレグリアスもよかったですよ。もう一回伴奏者変えてやってくれると嬉しいな。 【追悼ラモン・エル・ポルトゥゲス、サブー】 6月16日、歌い手、ラモン・エル・ポルトゥゲスが亡くなりました。 本名ラモン・スアレス・サラサールは1948年、ポルトゥガル国境に程近いエストレマドゥーラ地方、ローマ遺跡で有名なメリダの生まれ。その昔、抜群の人気を誇ったポリーナ・デ・バダホスの甥で、弟にやはり歌い手のグアディアナ、息子たちにはギタリスト、“パケーテ”、パーカッション奏者のラモン“ポリーナ”、パコ・デ・ルシアのグループで活躍した“ピラーニャ”、アントニオ・カナーレス舞踊団で来日もしたサブーがいます。 その昔、1967年の新宿『エル・フラメンコ』開店時、最初のグループの一員として来日しています。 その時のプログラムにはルンベーロとあり、ギターを手にした写真が掲載されています。 舞踊伴唱を得意とし、劇場やタブラオの舞台で活躍しましたが、エストレマドゥーラ地方を代表とするアーティストで、土地の曲であるハレオやタンゴは絶品で、唯一無比の天才歌手カマロンにも影響を与えたといいます。 その死の余韻も冷めない中、6月23日には息子、サブーもなくなったそうです。まだ41歳。1999年、2000年のアントニオ・カナーレスの舞踊団の来日公演がプロとしての初めての仕事だったと聞いています。大きな身体でいつも恥ずかしそうにしていたのを思い出します。1984年生まれというから当時14歳かあ、中学生じゃないですか、シャイなのも当然ですね。 2000年のカナーレス舞踊団日本公演プログラムの写真から。もう一人のカホンはルキ・ロサーダ。 あれ以来あまり会うこともなかったので私の中ではまだ幼い顔のイメージが強く残っていて、それだけに余計ショックでした。お二人のご冥福を心よりお祈りいたします。 【筆者プロフィール】 志風恭子(Kyoko Shikaze) /1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。 =====
- リレー連載:私とフラメンコ -新人公演を通して- 7
第7回 常盤直生 【バイレ・ソロ部門 準奨励賞】 (sábado, 5 de julio 2025) あなたにとってフラメンコとは何ですか――。 仕事として関わっている人、趣味として楽しんでいる人、自身の生きがいとして無くてはならない人など、その向き合い方は人それぞれ。 そうしたフラメンコへの思いを、昨年の日本フラメンコ協会主催「第33回フラメンコ・ルネサンス21『新人公演』」の入賞者の方々にエッセイとして綴っていただき、リレー連載という形式でご紹介します。 フラメンコとの出会い、新人公演を通して得たものや感じたこと、自身にとってのフラメンコへの思いなどを語っていただきました。 第7回目は、バイレ・ソロ部門で準奨励賞を受賞した常盤直生さんです。 編集/金子功子 Edición por Noriko Kaneko [撮影]川島浩之 [写真提供]一般社団法人日本フラメンコ協会 フラメンコとの出会いは28歳の時、ふと見に行った小松原庸子先生の公演でした。どの演目も大変素晴らしかったのですが、その中でもパティオのブレリアを見た時に何故か涙が止まらなくなってしまい、居ても立ってもいられずフラメンコの門を叩きました。 当時は会社員として忙しく生活しながら、フラメンコを自分の人生においてどう位置付けるか、迷いながらも気付けばどっぷりとその魅力に取り憑かれていました。 フラメンコの好きなところは、一言ではとても言い表せませんが…生身の人間から発せられるエネルギーに圧倒される瞬間、なのかもしれません。素晴らしい公演に出会うと、エネルギーが会場全体に充満して身体中に電気を帯びるような瞬間があって、それを追体験したくてフラメンコの片隅に身を置いているのだと思います。 新人公演は私にとっては随分遠いもので、憧れることすら出来ない、ただ仰ぎ見るばかりの舞台でした。 しかし身近な先輩達が挑戦しているのを近くで見ていて、大変なことを乗り越えて舞台で輝く姿に心を打たれ、自分の中で少しずつ想いを育てていきました。そして初めて一歩踏み出したのがコロナ禍での新人公演でした。 2度目は補欠繰り上げで1ヶ月半前に急遽出演が決まりました。しかしその後はしばらく煮詰まっていました。進む方向性がわからなくなり、自分の殻を破れず苦しい時期がしばらく続き、次回出るかどうかすごく悩みました。 自分の中で何かを変えなければいけない、そんな思いがずっと心にあり、3度挑戦しての今回は、今まで持っていたものを全て解体し、一からソレアに向き合って行きました。 自分はどんなソレアを表現したいのか、どんなフラメンコが好きなのか、スタジオに数時間籠って一つも進まないで帰ることもしょっちゅう。こんなにも一曲に集中して己と向き合う作業は、苦しくも贅沢な時間でした。 当日の本番前は自分の気持ちの持って行き方を探りながら、練習室で動かずイメージだけしたり、かと思えば急に動き出して感覚を確認したり。楽屋ではヨガマットを広げてストレッチをしたり(同室の皆さんすみません汗)心と身体を繋げることに時間を使っていました。 本番後は2階席から後半の皆さんを観ていました。さっきまで自分が立っていた舞台を今度は観客側から観ていると、自分があそこで踊ったなんて信じられないような不思議な気持ちになりました。 そして出演者の皆さんの素晴らしい踊りを観ながら、ふと自分の進んだ道が正しかったのだろうかと不安に駆られたり、色んな想いが去来して、この日で一番感情が揺れ動いたのはこの時だったかもしれません。 (写真)本人提供 受賞を知った時は、自分の進もうとしてる道は間違ってなかったんだ、と勇気をもらった気持ちでした。準奨励賞ということで少し悔しい気持ちもありますが、そう思えたこと自体成長したのかな、なんて思います。 しばらく実感も今ひとつなかったのですが、たくさんの方にお祝いしていただいたり、私よりも喜んでくれてる方もいて、そんな中で少しずつ実感していくことが出来ました。そしてこの賞に背中を押してもらったんだと思いもっと頑張らなければ!と奮起しているところです! 新人公演を通して、私にとってフラメンコは人生そのものになりました。 今はフラメンコを始めたばかりの時みたいに、またフラメンコが楽しくてワクワクしています。ここからがスタートだと思って、さらにフラメンコの深みに突き進んでいきたいと思います! 【プロフィール】 常盤直生(Nao Tokiwa)/ 横浜市出身、生粋のハマっ子。愛犬家。 28歳の時に踊り未経験でフラメンコを始める。松彩果氏に師事。 2024年9月 日本フラメンコ協会主催「第33回新人公演バイレ・ソロ部門」にて準奨励賞受賞 2025年7月 常盤直生フラメンコ教室開講 精力的にライブや公演活動に参加、来日スペイン人のレッスンを受けるなど生のフラメンコの空気の中に触れて日々勉強中。 【新人公演とは】 一般社団法人日本フラメンコ協会(ANIF)が主催する、日本フラメンコ界の発展向上のため、次代を担うフラメンコ・アーティストの発掘および育成の場として、1991年から毎年夏に開催されている舞台公演。 プロフェッショナルへの登龍門として社会的に認知される一方、「新人公演は優劣順位をつけるためのものではなく、新人へのエールを送るために存在する」という当初からの理念に基づき、すべての出演者が主役であるとの考えから順位付けは行われません。 バイレソロ、群舞、ギター、カンテの各部門に分かれ、若干名の出場者に奨励賞、またはその他の賞が与えられます。 (*一部、ANIF公式サイトより引用) 〈参照URL〉 https://www.anif.jp/ctt_anif_event_shinjin.htm =====
- フラメンコ公演『TSUNA 〜鬼の腕〜』
(miércoles, 2 de julio 2025) [日時]2025年4月16日(水) [会場]渋谷区文化総合センター大和田6階 伝承ホール 写真/佐藤尚久 Fotos por Naohisa Sato 文/金子功子 Texto por Noriko Kaneko 毎回独自の視点でテーマを選び舞台作品を創作するフラメンコ舞踊家、公家千彰の劇場公演が行われた。 今作のテーマは、平安時代中期の武将、源頼光の四天王の筆頭として活躍した武将、渡辺綱(わたなべのつな)。その華々しい鬼退治ぶりは『御伽草子』などでも語り継がれているという。公家にとっても縁があるこの人物が今年、2025年に没後千年という節目の年を迎えるにあたり、その鬼退治の物語を作品の主軸にしたと言う。 作品はストーリーの展開に沿って5章で編成される。 渡辺綱(公家)と幼馴染であった茨木童子(奥濱)は、金色の瞳を持っていたことから周囲に虐げられ、その果てに鬼へと変わり果ててしまう。 その後、鬼退治を命じられた綱は仲間と共に、酒吞童子(エル・プラテアオ)をはじめ次々に鬼たちを討ち取るが、茨木童子は腕を切り落としたものの、とどめを刺すことができなかった。 切り落とした鬼の腕は持ち帰りその力を封印したが、綱の母の姿に化けた茨木童子によって奪い返されてしまう。腕を取り返し本来の力を取り戻した鬼に翻弄された綱は、挙句の果て大切な仲間を刃にかけてしまう。 孤独になった綱は意を決し、最後の鬼退治へと向かう。そして目的を果たし、鬼たちは黄泉の国へ旅立ち、邪悪な魂も浄化されるという願いを込めて舞台は幕を閉じた。 (写真)鬼の腕を見張っていたのだが… 今作の見どころはやはり、主役の公家と奥濱との二人の場面だ。幼馴染という間柄だったのに討つ者討たれる者という関係性に変わり、仲睦まじい時代から対決の場面まで、それぞれの葛藤や苦しみを渾身の踊りや迫真の演技で表現。また二人ともパリージョの名手でもあり、その腕前も素晴らしかった。 部下の役として出演した小谷野と山下も、公家と共に鬼退治のメンバーとして多くの場面で躍動感のある表現豊かな踊りを披露した。 ミュージシャンたちは演奏だけでなく、鬼役として配役も行われた。鬼退治の場面でひとりずつ討ち取られていく演出はなかなかユニークだった。 津軽三味線の二人は作品の鍵となる場面で深みのある音色を響かせ、物語の世界観を見事に演出した。 また歴史的史実がベースになっていることから、語り役として自身もフラメンコやパリージョに親しむ活動写真弁士の山崎バニラを起用。物語の時代背景や状況設定を理解するのに大きな助けとなった。 最後の鬼退治の場面では、観客にも加勢してもらうためにカスタネットを持参するよう告知があり、会場のあちこちからパリージョが鳴り響いていた。観客が参加する面白い演出だったが、やるのであればもう少し人数が多かった方が、もっと迫力が出て盛り上がったのではないかと思う。 渡辺綱の物語を通して、千年という時を経ても変わらない人間の本質や、戦いの無い世の中を願う思いなどをこの作品に込めたと公家は言う。 ひとつの物語や題材をどのようにフラメンコで表現するか、その構成や演出は舞踊家の腕の見せ所だろうし、その創作過程は産みの苦しみを伴うものの、まさに作品作りの醍醐味だろう。 日本の歴史や文化といった固有の題材をフラメンコで表現するとき、そこで発揮されるユニークなアイデアや独創性にはあっと驚かされることも多い。一見フラメンコと結びつかないような題材から思いがけない傑作が誕生する可能性は、十分にある。 【プログラム】 第一章 砕かれた魂 ~Alma rota~ ・越天楽 ・Polo ・Zambra 第二章 "大江山の鬼退治" 毒を盛る ~Veneno~ ・Bulerías de “Pepe Maya” ・Amma immi ・津軽甚句 ・Tangos ・祇園小唄 ・Tango de Triana 第三章 一条戻橋 ~En el puente~ ・Martinete 第四章 鬼の腕 ~Mano de Demonio~ ・Tanguillo ・六段~小山貢隼オリジナルソロ ・Siguiriyas 第五章 最後の鬼退治 ~Al final~ ・Taranta ~ Soleá por Bulerías ・Finale 【出演】 (踊り)公家千彰 奥濱春彦 小谷野宏司 山下美希 (ギター)ぺぺ・マジャ"マローテ" カルロス・パルド (カンテ)ミゲル・デ・バダホス エル・プラテアオ (津軽三味線)小山貢隼 小山隼乃 (フルート)Mashiro (語り)山崎バニラ =====
- リレー連載:私とフラメンコ -新人公演を通して- 6
第6回 諸藤ふみ 【バイレ・ソロ部門 奨励賞】 (sábado, 28 de junio 2025) あなたにとってフラメンコとは何ですか――。 仕事として関わっている人、趣味として楽しんでいる人、自身の生きがいとして無くてはならない人など、その向き合い方は人それぞれ。 そうしたフラメンコへの思いを、昨年の日本フラメンコ協会主催「第33回フラメンコ・ルネサンス21『新人公演』」の入賞者の方々にエッセイとして綴っていただき、リレー連載という形式でご紹介します。 フラメンコとの出会い、新人公演を通して得たものや感じたこと、自身にとってのフラメンコへの思いなどを語っていただきました。 第6回目は、バイレ・ソロ部門で奨励賞を受賞した諸藤ふみさんです。 編集/金子功子 Edición por Noriko Kaneko [撮影]川島浩之 [写真提供]一般社団法人日本フラメンコ協会 フラメンコを始めたきっかけは、軽い気持ちで体験レッスンに参加したのが最初です。 私はダンス未経験で、当時は右も左もわからずでした。ダンス心もなく、コンパスや体の動かし方がちんぷんかんぷんでした。 まさか、ここまで長く続くフラメンコとの関係の始まりになるとは夢にも思っていませんでした。 フラメンコを学ぶうちに、フラメンコはカンテ、ギター、バイレとの三位一体であり、スペイン・ヒターノの歴史や文化も奥深いものだと知っていきました。 フラメンコをもっと知りたい観たいの気持ちで、ライブやクルシージョに通うようになり、自分の憧れるフラメンコが少しずつ見えてくるようになりました。 そんな中、現在所属しているスタジオの主宰である奥野裕貴子先生、SIROCO先生と出会い、私のフラメンコ人生はガラッと変わったと思います。 フラメンコを続けていくうちに、新人公演は憧れの舞台となりました。 挑戦したのは今回で4回目になります。 結果が出ない悔しさも重なり、挑戦すること自体に迷いや不安が生まれた時期もありました。 それでもやっぱり「この舞台を目指したい」という気持ちが消えることはなく、4度目のエントリーを決めました。 カンテはフアン・ビジャール・イホさん、ギターは徳永健太郎さん、パルマはSIROCOさんと、最高のメンバーにお願いすることができました。 当日のリハーサルでは、普段ならしないようなミスをしてしまい内心かなり動揺していました。 でも本番にフアン・ビジャールさんのサリーダを聴いた瞬間に、全てが吹っ飛びました。 恐れも、不安も、自分を良く見せたいというエゴも全部消えていきました。 終わった後に不思議な幸福感があった舞台でした。 そんなことは初めてで、そんな舞台に奨励賞という結果を頂けたことはとても嬉しかったです。 フラメンコの魅力は、人の感情や生き様がむき出しになる瞬間にあると思います。その奥底から湧き上がるような爆発力に、私は心を奪われ続けています。 私にとってフラメンコは、異文化であり、畏敬の対象であり、そして果てしないものです。 学べば学ぶほど、自分の知らなさに気づかされます。 でも、その奥深さがあるからこそ、続けていきたいと思えるのかもしれません。 どこまで行っても完成はなく、常に学び、人生と共に変化し続けられる場所が、私にとってのフラメンコです。 新人公演に挑戦するという過程で、たくさんの学びがありました。 遠回りと思えたことも、今は無駄なことは何もなかったと思います。 まだまだ道半ばですが、またいつかあの舞台のような幸福感を感じることを夢見て、フラメンコを学び続けていきたいと思っています。 【プロフィール】 諸藤ふみ(Fumi Morofuji) /2007年フラメンコに出会い、京都にて始める。奥野裕貴子氏、SIROCO氏に師事。2019年全日本フラメンココンクールで優勝という快挙を成し遂げる。そして、2020年スペイン・セビージャの老舗タブラオ『Los Gallos』に出演を果たし、日本フラメンコ界の歴史の1ページにその名を残した。現在関西を中心に活躍し、また京都校ロス・タラントスにて講師を務め育成にも力を入れる。 【新人公演とは】 一般社団法人日本フラメンコ協会(ANIF)が主催する、日本フラメンコ界の発展向上のため、次代を担うフラメンコ・アーティストの発掘および育成の場として、1991年から毎年夏に開催されている舞台公演。 プロフェッショナルへの登龍門として社会的に認知される一方、「新人公演は優劣順位をつけるためのものではなく、新人へのエールを送るために存在する」という当初からの理念に基づき、すべての出演者が主役であるとの考えから順位付けは行われません。 バイレソロ、群舞、ギター、カンテの各部門に分かれ、若干名の出場者に奨励賞、またはその他の賞が与えられます。 (*一部、ANIF公式サイトより引用) 〈参照URL〉 https://www.anif.jp/ctt_anif_event_shinjin.htm =====
- ファッションSnap:立川フラメンコ2025編
(miércoles, 25 de junio 2025) フラメンコは踊るのも楽しいけれど、素敵な衣装を見るのもまた楽しいもの。 今回のフラメンコ・ファッションSnapでは、立川フラメンコ2025のセビジャーナス・パレードの会場で撮らせていただいた写真や、教えてもらったファッションのポイントなどをご紹介します。 写真・編集/金子功子 Fotos y edición por Noriko Kaneko ●赤と白の鮮やかなコントラストがひと際目を引いたルミさん。実はスタッフとして参加していて、パレードの前のオープニングステージでちょうど踊ってきたところだったそうです。 「(ステージでは)アレグリアスという明るい曲を踊ってきました。アレグリアスには喜びという意味があるので、紅白でめでたく、と赤と白でまとめました。帽子は夏っぽい陽気に合わせてコルドベスでなく麦わら帽子で。でも普通のままではちょっとと思って、衣装に合わせてフラメンコっぽい布を巻いてみました」 ●フラメンコダンサーの片野佳加さん(写真中央)と生徒さんたち。右の彼女は、黒ベースの衣装に鮮やかなピキージョ&エプロンとの組み合わせ。ピキージョのパイピングの色に揃えて選んだ黄緑のイヤリングが可愛い。 左の彼女はフラメンコを始めたばかりだとか。何も分からないのでいろいろ調べて研究したとのこと。ファルダはメルカリで購入、家にあったきれいなショールを合わせて上品な組み合わせに。 中央の片野さんは、フラメンコではちょっとレアな青の花柄ツーピース衣装。お祭りなので髪にいっぱい飾りなど付けてきたのですが、写真でお見せできなくて残念。 ●フラメンコダンサー鵜野沢武美さん(写真右)の衣装は、アトリエグラシアさんでオーダーしたもの。ムイフラメンコなオレンジ×黒のデザインで、大小の水玉生地を組み合わせたりフリルの間にレースをはさんだりと、さりげない工夫がオシャレ。マンサニージャさんでかつて購入した大好きな緑のシージョとのコントラストもきれい。 左側の女性は、先生でもあるフラメンコダンサー堀江朋子さんから譲り受けた衣装。生地の柄が人物画というなかなか個性的なデザイン。ポイントは、日焼けしないように背中を隠すために着たというチャレコ(ベスト)。後ろ身ごろの水玉が印象的! ●東京・国分寺のスタジオマグダレーナの生徒さんたちとフラメンコダンサー川田久美子さん(写真中央)。「毎年参加していますが、今日は天気も良くて例年以上にさわやかで過ごしやすいので、いつも以上にみんなで張り切って盛り上げたいと思います」と川田さん。 ●赤の双子コーデがオシャレなお二人。 ●今回初参加の横浜青葉台ボンボンフラメンコ教室の皆さん。写真中央は主宰のフラメンコダンサー、ボンボンこと津幡友紀さん。 ●東京・国立のチャフェイフラメンコ教室の生徒の皆さん。現地で初めてお会いした方もご一緒に。 ●フラメンコダンサー土合幸江さん(左から二番目)と歌い手の土井康子さん(一番左)も参加。 ●フラメンコダンサー松下ひろみさん(一番右)と主宰する教室スエニョフラメンコの生徒さんたち。 ●フラメンコダンサー島崎リノさん(一番右)と主宰するフラメンコスタジオDaiDaiの生徒さんたち。 ●ジャマキートこと山本将光さん(一番右)のグループ。息子さんで同じくフラメンコダンサーの涼さん(中央)も参加。 ◎立川フラメンコ2025の特集記事はこちらから =====
- わが心のスペイン vol.19
(jueves, 26 de junio 2025) 南房総と南スペインで田舎暮らしを楽しむ、石井崇が描くスペインの情景。 『マヨルカ島のオリーブ畑』 スペイン中どこにいってもオリーブ畑が見受けられます。 マヨルカ島は平地が少なく、海岸の傾斜地を使って畑が見受けられますが、 ほとんど石垣を摘んで大事に育てています。 スペイン人はオリーブの漬物と油無しには料理にならないのかもしれません。 ( 写真はフェレイローラ村 ) 【プロフィール】 石井崇(Takashi Ishii) /画家。1942年東京・京橋生まれ。東京芸術大学卒業後、1975年単身スペインに渡り、村祭りを回るテキヤ業などでしのぐ。セビリア郊外アルカラ・デ・グアダイラに居住。1989年よりグラナダ・アルプハーラ(Alpujarra)地方にあるフェレイローラ村(Ferreirola)にアトリエを構え、今はフェレイローラ村と南房総館山をふたつの故郷とし、田舎暮らしを楽しんでいる。著作は「おれたちがジプシーだったとき」、「詩画集プラテーロとわたし」、「スペイン四季暦」、「南スペイン、白い村の陽だまりから」、画集「イシイタカシの世界」など。2004年「館山親善ふるさと大使」に任命、全国大学フラメンコ大会を企画。 ホームページ「イシイタカシの世界」 http://www.oliva2004.net/index.html =====
- 特集:立川フラメンコ 2025
(miércoles, 25 de junio 2025) 2025年4月28日(月)前夜祭/29日(火祝)メインイベント 文・写真/金子功子 Texto y fotos por Noriko Kaneko 前日の雨模様から一転、本番当日はすっかり晴れ上がり爽やかな陽気となったGWの前半、第23回 となる立川フラメンコが開催されました。 メインイベントとなる路上でのセビジャーナス・パレードには、約500人にのぼる参加者が集合。色とりどりの衣装に身を包み、生演奏によるセビジャーナスを楽しみました。沿道は大勢の人が行き交い、立ち止まって初めて観るフラメンコを楽しむ一般の人や、出演している仲間に声を掛けたり写真を撮る人もいたりと、とても賑やかな様子でした。 * セビジャーナス・パレードのファッションSnap特集はこちらから。 もう一つの注目イベント、屋外特設ステージで行われるフラメンコライブ「堀江朋子と仲間たち」では、今回初めてスペイン人アーティストが出演。折よく来日中の踊り手エレナ・ラ・モレとカディスの歌い手のエミリオ・フロリードの二人が加わり、本場スペインの香りをたっぷりと届けてくれました。 ステージ正面にセッティングされた客席はもちろん満席。ステージや客席の回りも黒山の人だかりで、ライブ中はあちこちからハレオ(掛け声)や拍手が上がり盛大に盛り上がりました。 《スペシャルステージ「堀江朋子と仲間たち」》 踊り:堀江朋子 土方憲人 エレナ・ラ・モレ 歌:エミリオ・フロリード ギター:北岸麻生 堀江朋子/タラント 土方憲人/アレグリアス エレナ・ラ・モレ/ソレア *ライブの最後に行われたフィン・デ・フィエスタ(Fin de Fiesta) フラメンコライブは屋外特設ステージ以外にも、ライブハウスなど3カ所で行われ、どこもたくさんの観客で立ち見も出るほどに。また昨年に続いて駐車場ビルの屋上には、スペイン・セビージャの春祭りで並ぶ小屋を意味するカセタ(caseta)風のスペースをオープン。テーブルエリアでは飲食を楽しんだり、またステージエリアでは愛好家たちが自由に踊ったり歌ったりと、リラックスした時間をみなさん楽しんでいました。 (写真)ライブハウス会場でのステージ (写真)駐車場ビル屋上にオープンしたカセタのステージエリア 開放的な青空の下、仲間や友人たちとワイワイおしゃべりしながらフラメンコを楽しめるって、やっぱり最高! まだ参加したことのない人は、ぜひお友達を誘って足を運んでみては? [立川フラメンコ2025公式サイト] https://flamenco-tachikawa.tokyo/ 主催:立川南口すずらん通り商店街振興組合 共催:立川南口いろは通り商店街振興組合 後援:立川市、立川市商店街振興組合連合会、立川商工会議所、 (一社)立川観光コンベンション協会、(一社)日本フラメンコ協会、スペイン大使館観光部、公益財団法人日本スペイン協会 協力:立川南口商店街連合会、JRAウインズ立川、東京都信用農業協同組合連合会、在日本大韓民国民団西東京地方本部、多摩都市モノレール(株)、立川フラメンコ倶楽部セビージャ、大原簿記公務員医療福祉保育専門学校立川校、星槎国際高等学校、ほか =====
- アーティスト名鑑 vol.24
(sábado, 21 de junio 2025) スペイン在住30年以上、多数の一流フラメンコ・アーティストらとも親交のあるフラメンコ・ジャーナリスト志風恭子が、歌・踊り・ギターそれぞれの代表的アーティストらのプロフィールをピックアップ。過去の取材で撮影した写真や、チェックしておきたい動画などもご紹介します。 文/志風恭子 Texto por Kyoko Shikaze *名鑑登場アーティスト一覧は こちらから ラ・マカニータ(カンテ) フアナ・アマジャ(バイレ) チクエロ(ギター) Tomasa Guerrero Carrasco "La Macanita" Jerez de la Frontera, 6-1968 ラ・マカニータ 本名トマサ・ゲレーロ・カラスコ 1968年6月 ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ生まれ ©︎ Kyoko Shikaze 1992年セビージャ万博アンダルシア館にて ヘレスのカンタオーラといえばこの人。誰よりもフラメンコな響きを持つ声でヘレスらしいフラメンコを堪能させてくれるマカニータ。サンティアゴ街出身で、4歳で歌い踊る姿がスペイン国営放送の伝説的フラメンコ番組『リト・イ・へオグラフィア・デル・カンテ』に収録されている。自然にプロの歌い手としての道を歩み、マヌエル・モラオ主宰の子供たちのグループでスペイン中を周る。ヘレスのビジャンシーコ(クリスマスソング)集『アシ・カンタ・ヌエストラ・ティエラ・エン・ナビダ』シリーズに数多く参加するなどして頭角をあらわし、1989年に初のソロアルバムをリリースしたのを皮切りにこれまで7枚のソロアルバムを発表。カルロス・サウラ監督の映画『フラメンコ』にも出演。2009年にはフアナ・ラ・デル・ピパ、ドローレス・アグヘータとの『ムヘレス』にも参加。 【ビデオ】 『リト・イ・へオグラフィア・デル・カンテ』の少年少女特集。 26分30秒あたりから登場しブレリアを歌い踊る。このほかにもモライートやレメディオス・アマジャら多くのアーティストの子供時代の姿を見ることができる。 https://www.rtve.es/play/videos/rito-y-geografia-del-cante/rito-geografia-del-cante-ninos-cantores/5500924/ アンダルシアの放送局、カナルスールのフラメンコ番組でブレリアを歌う。伴奏はニーニョ・ヘロ。1991年。 https://youtu.be/Au65uiYhTwc?si=tmrqSBagk0G-1J-G 2002年のソレア。伴奏はディエゴ・デ・モラオ。 https://youtu.be/02zxZ20Nlnk?si=JnY29HdZdX1CYgc4 2004年のタンゴ。伴奏はビジャンシーコのシリーズで長らく共演したパリージャ・デ・ヘレス。 https://youtu.be/e7obJHDR4ck?si=d3nIOxeerSSrwOo2 ©︎ Kyoko Shikaze 1992年セビージャ万博アンダルシア館にて Juana García Gómez “Juana Amaya” Moron de la Frontera(Sevilla) 7-11-1968 フアナ・アマジャ 本名 フアナ・ガルシア・ゴメス 1968年11月7日セビージャ県モロン・デ・ラ・フロンテーラ生まれ 子供の時から踊り始め、9歳、13歳の時にはコンクール優勝し、ビエナルにも出演。14歳でマリオ・マジャに見出され、相手役として初来日。後、クンブレ・フラメンカ舞踊団でクリストバル・レジェスやアントニオ・カナーレスと共演したりと舞台経験を積む。96年の劇団クアドラの『カルメン』に主演するなど活躍。現在もセビージャで教授活動の傍ら、各地の舞台で活躍。娘ナサレ・レジェス(父はクリストバル・レジェス)も踊り手。なお、アマジャは母方の苗字で、ディエゴ・デル・ガストールやカルメン・アマジャにも繋がる血筋なのだとか。 ©︎ Kyoko Shikaze 1997年 Los Gallos Sevilla 【ビデオ】 1989年のロマンセ。歌はクーロ・フェルナンデス、フアン・レリダ、ルイス・フェルナンデス、ギターはカルロス・エレディア。 https://www.youtube.com/watch?v=WVO_4rUfTaQ 1999年のシギリージャとタンゴ。シギリージャの後にタンゴっていうのはカナーレスがよくやっていた。一緒に踊っていたこともあったから、その影響かも。 https://youtu.be/MYMnuyRkyig?si=ka51cZ_GWChGStDw 2008年のソレア。 https://www.youtube.com/watch?v=TW4NpDxha_c ©︎ Kyoko Shikaze Japón 1991 Juan Gómez Gorjón "Chicuelo" Barcelona, 16-8-1968 チクエロ 本名 フアン・イグナシオ・ゴメス・ゴルホン 1968年8月16日 バルセロナ生まれ ©︎ Kyoko Shikaze 2018 Jerez ソロ、歌伴奏、舞踊伴奏。作曲もフラメンコ作品だけでなくミュージカルや映画音楽も手掛け、ジャズミュージシャンやワールドミュージックとも共演を重ねるマルチな才能で活躍する得難い存在。12歳でギターを習い、19歳でバルセロナのタブラオ“カルメン”のレギュラー、アンヘリータ・バルガスやベレン・マジャ、ジェルバブエナなど数多くのアーティストを伴奏。また、同郷のドゥケンデやミゲドゥケンデの歌伴奏も長らく務めたほか、エンリケ・モレンテやカルメン・リナーレス、マイテ・マルティンらの歌伴奏、チャノ・ドミンゲスらジャズミュージシャン、ヨーヨーマとも共演。ソロアルバム3枚の他、ジャズピアニスト、マルコ・メスキダとの共演でも3枚、また歌伴奏でも多数の録音がある。長年、小島章司作品の音楽監督を務め、数えきれないほど来日している。 【ビデオ】 2003年アンダルシアの放送局フラメンコ番組『ジャマ・ビバ』でブレリアを演奏。 https://youtu.be/sEjVDE1xXBo?si=t81LF1GlOq_06Uzu 2010年ミゲル・ポベーダを伴奏 https://www.youtube.com/watch?v=-VoAcVDzQbo 2016年マドリードのサラ・ガルシア・ロルカでドゥケンデのタンゴを伴奏。 https://www.youtube.com/watch?v=CZVeNlo5G7g 2024年国営放送の音楽番組より。ソロでアレグリアス。 https://youtu.be/N50ZDsRlvAg?si=Yi2uDv762i58uzhh ©︎ Kyoko Shikaze 2010 La Unión con Miguel Poveda, Juan Ramón Caro 【筆者プロフィール】 志風恭子(Kyoko Shikaze) /1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。 =====
- Dr.ファロのフラメンコ・クリニック vol.4
(viernes, 20 de junio 2025) 大阪を拠点に活動し、劇場公演からタブラオライブまで日本各地で大活躍中の若手フラメンコダンサー、ファロリート(Farolito)こと出水宏輝さんが、フラメンコを愛する皆様の様々なお悩みに、親切&丁寧にアドバイス。 その処方箋は、もしかしたらあなたの役にも立つかもしれません。 尚こちらのクリニックは、2か月毎に診察いたします。 文/出水宏輝 Texto por Kouki Demizu ©小河貴士 Q1. 踊るための体づくりとしてどんなことをされていますか? 特に意識して鍛えている部位や、効果的なストレッチなどあれば教えてください。 (ペンネーム NNさん) ▶︎ 踊るためにこれしてる!ってことをしたことないので、回答になるかわかりませんが…(笑) 体幹トレーニングは必ずやってます。前回の内容とも重なるところがありますが、プランクをしたり身体の主軸にラインを通すように心がけています。 胴体を引き上げる時に肩やブラソが目立たないように、肋骨などから引き上がれるように「身体で呼吸」することを心がけています。 できるだけ、ストレッチは寝る前とフラメンコシューズを履く前には必ずやるようにしています。身体を伸ばすことをメインとして、腕・肩・首まわり・肩甲骨・骨盤・脚なども伸ばすようにしています。 ===== Q2. レッスンで習った振り付けを格好良く真似することが苦手で、他のクラスメイトが上手くみえて落ち込みます。 スペインで修行中、落ち込んだりしましたか?もしあれば、どうやってモチベーションを保ったか知りたいです。 (ペンネーム おぐらトースト子さん) ▶︎ 真似するのではなくて、先生が何を伝えたいのか、を考えることが大切かと思います。 この振付は ・なんで?その流れでやってきたの? ・ブラソつくときの胴体の流し方はどうやって? なんでもいいのでそういうものを分析したあとに、自分への問いかけを行うべきかと思います。 ・自分ならどうできる? ・自分に合うものは何なのか。 それを考えていると、周りを見ている余裕がないかと思います。 スペインでレッスンを受けるときも、そういう内容で落ち込んだりはしなかったので常に過去の自分との戦いかと思います! ポジティブなのかネガティブなのかわかりませんが、体重が増えたり身長が伸びたりしても「成長」だと考えるようにしています…(笑) 【アナタのお悩み募集中!】 フラメンコについて何かお悩みはありませんか?ソロや群舞の踊りの事はもちろん、パルマやコンパス、練習方法や留学のことまで、ファロさんがナイスな!?アドバイスを処方してくれます。 ご質問を採用させていただいた方には、500円のギフトカードをプレゼント☆ 練習生・プロ・セミプロ問わず、ファロさんにお悩み事を診察してほしい方は、質問内容・お名前(&ペンネーム)・電話番号をご記入の上、 info@flamencofan.net までご質問お待ちしています!(編集部) ©Shigeto Imura 【プロフィール】 出水宏輝(Kouki Demizu) /10歳の時に石川敬子フラメンコ教室にてフラメンコを始め、田中光夫氏にギター・カンテを、舞踊・パルマを棚原美和氏に師事。14歳のときにタブラオ ロス・ヒターノスで男性舞踊手としてプロデビュー。2014年、官民協働海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」の1期生として1年間スペイン留学。2018年第1回全日本フラメンココンクールで努力賞、2019年日本フラメンコ協会第28回フラメンコ・ルネサンス21「新人公演」で奨励賞、2021年第10回エルスール財団新人賞(フラメンコ部門)を受賞。 また、2018年摂南大学入学宣誓式にて、在学生300名以上とフラメンコのフラッシュモブを大阪城ホールにて実施。 現在、大阪を拠点としながら全国各地で精力的に活動している。 ☆活動情報はこちらから。 https://lit.link/farolitoflamenco =====











