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  • カンテフラメンコ 奥の細道 on WEB No.24

    (lunes, 8 de mayo 2023) 文/エンリケ坂井 Texto por Enrique Sakai WEB版の2回目。あの究極アナログのエンリケ坂井がWEBで!と驚くあなた。人間は変わる(進化とは言わないが)、その見本だ。 今回取り上げるのは……。 CD「グラン・クロニカ・デル・カンテ」vol.27より ㉔ Niño Gloria(ニーニョ・グローリア)の Alegrías(アレグリアス) 意外なことにSPレコード時代(1898~1956年)のアレグリアスの録音は、他の曲種に比べるとかなり少ない。 ファンダンゴやカンテ・ボニートの時代が長かったのもあって、カンティーニャス系のカンテは現在ほど盛んに歌われていなかったのだろう。 残されたアレグリアスの中で私が特に好きな何枚かのレコードの中の1枚は、グラン・クロニカvol.27の20曲目に収録したニーニョ・グローリアのアレグリアスだ。 時にフィエスタとかフィエスタ・ヒターナと題されたことからも察せられるように、この時代のアレグリアスは現代のものよりエネルギッシュでスピードも速く生き生きと歌われる。ひとつ目の歌詞を見てみよう。 (letra) (te está criando mí...) Desde chiquita en la cuna te está criando mí, y yo que sea tu amante desde la hora en que nací. (お前は私のために育つ…) 揺り籠の中で赤ん坊の時から お前は私の為に育ってきた、 そして私は生まれた時から お前を愛する為に生きてきた。 (coletillo) Dame la manta, patrona, y antes que venga el patrón, por la mañana cantando que la jota de Aragón. 奥さん毛布をください 夜が明けてご主人が アラゴンのホタを歌いつつ 帰ってくる前に…。 コレティージョ(女性形のコレティージャ、またはフゲティージョjuguetilloとも言う)は4行詞の歌詞に付けられたお囃子。コレティージャは「言い足し」の意があるので本来こちらの方なのだろうが、歌詞の方を女性と見立てて男性形で言ったのかもしれない。 意味はいろいろ取れるが、使用人の男が寒いから旦那が帰ってくる前に優しい奥さんに毛布をくれるように頼んでいる、または奥さんの恋人が旦那が帰ってくる前に逃げなくちゃいけないけど外は寒いからマントを…と言っているのかも。いろいろな解釈の仕方があるので歌う人、読む人の想像力でそれぞれ理解すれば良いと思う。 さてこのひとつ目のアレグリアスは、分類としてはカンティーニャ類の中のホタ・デ・カディス(またはホティージャ・デ・カディス)、つまりアレグリアスの先祖である北スペインのホタの姿を色濃く残している12拍子で長調の歌であり今でも普通に歌われている。 普通アレグリアス・デ・カディスは1拍目くらいから始まって10拍目あたりで1フレーズが終わるが、この歌は6拍と12拍の強いアクセントに合わせていくカンティーニャの乗りでグローリアは自由に、力強く歌っていて聴いていてとても心地良い。 カンティーニャの乗りについて詳しく説明するスペースは無いので、いずれ別の機会に少しずつできたらと思う。グローリアの名唱を楽しんでほしい。 【筆者プロフィール】 エンリケ坂井(ギタリスト/カンタオール) 1948年生まれ。1972年スペインに渡り多くの著名カンタオールと共演。帰国後カンテとパルマの会を主宰。チョコラーテらを招聘。著書『フラメンコを歌おう!』、CD『フラメンコの深い炎』、『グラン・クロニカ・デル・カンテ』vol.1~32(以下続刊)。 ※CD『グラン・クロニカ・デル・カンテ』シリーズを購入ご希望の場合は、アクースティカへお問い合わせください。(編集部) >>>>>

  • リレー連載:私の新人公演 -2022年の挑戦- 3

    第3回 鬼頭幸穂 【バイレソロ部門/奨励賞】 (viernes, 5 de mayo 2023) フラメンコを志し、さらに高みを目指すために目標として掲げられる大舞台、新人公演。 昨年の入賞者に、挑戦へのきっかけや本番までの道のり、自身の経験や思い、これから挑戦する人に伝えたいことなどを語ってもらいました。 第3回目は、バイレソロ部門で奨励賞を受賞した鬼頭幸穂さんです。 編集/金子功子 Edición por Noriko Kaneko 私が新人公演に挑戦しようと思ったきっかけは、今のままでいいのか?という思いからでした。コロナの影響で減っていたライブは少しずつ戻ってきていましたが、これからの自分への不安や様々な気持ちとずっと向き合うことができないでいました。 そんな中、とあるライブで「コンクールを受けた方がいい」と言う助言を受け、まず自分が本当はどうしたいのかを考えるきっかけができました。そして、勇気が出ないだけで本当はそういう事に挑戦したいと思っている自分がいることに気付きました。大袈裟かもしれないけどいつ自分が踊れなくなるかわからないこの激動の時代に、今自分ができる事は全部しようと思い、新人公演挑戦の決断をすることができました。 出演が決まってからは本当にあっという間に時間が過ぎていきました。自分の振付構成、体の動かし方、表現方法全てに自信が無く、常に疑問を感じては考え、それでも答えが出ることはありませんでした。焦る気持ちや不甲斐なさに怒りを感じ、踊ることを苦痛に感じるようになってしまいました。このままではいけないと思い、少し休んで自分はフラメンコのどこが好きなのか、何がしたくて踊り続けてきたのか考え直し、その答えが出てからは少しだけ前向きに取り組むことができました。もちろん自信の無さや不安が一掃されたわけではありませんでしたが、「私の好きなフラメンコ」を作ることに注力することができました。そして段々良い評価を受けることよりも、見てくださった方々が純粋に楽しかった!と思っていただけるような7分間にしたいという思いに変化していきました。 とは言っても前日は緊張して、一睡もできないまま本番当日を迎えてしまいました。 一睡もしていない状態で正直コンディションは良くなく、ゲネプロや練習時間、ヘアメイクなどの時間は極力体に負担のかからないように過ごしていました。 自分の出番は後半の部が始まってから間もなくだったので、前半の部の終わりかけからは落ち着いていられず、ずっとソワソワして何をしていたのか思い出せないほど極度の緊張感の中にいました。 舞台袖には行くべき時間よりも早く行ってしまい、地べたにしゃがみ込んでいました。その地べたのゾッとする様な冷たさは未だに覚えています。担当してくださるミュージシャンの方々と舞台袖で会話をして我に返りつつも、出番が目の前まできていることにまた血の気が引いていきました。ぎりぎりまで「なんでこんな大舞台に立とうなんて決めてしまったのだろう…」と思いましたが、いざ暗転になり自分の立ち位置まで来ると、諦めなのか開き直ったのか「代わりに踊ってくれる人はいない、このソレア・ポル・ブレリアを踊れるのは自分だけだ」と思うことができました。本番中はとにかく集中力を切らさない、そのことだけ考えていました。 終わった後は絵に描いたように膝から崩れ落ちたのを覚えています。達成感があったかどうか問われると、正直強烈な疲労感の方が強かったように感じますが、直後の記念写真ではとてもいい表情をしていたのできっと達成感や、やり切ったという気持ちもあったのだと思います。 結果発表の日は朝から食事が喉を通らず、発表時間ではないのにメールを何度も確認していました。夜の19時半に結果発表のメールが届き、受賞者の中に自分の名前を見つけた時は、全身金縛りにあったように体が動かなくなってしまい、喜びはもちろんですが衝撃と戸惑いの気持ちがありました。 フラメンコ界の多くの素晴らしい方々が持っている「新人公演の奨励賞」を自分も頂き、これからそれを背負って踊っていかなければならないという事をなかなか受け入れられずにいました。ですがその後頂いた沢山の賛辞の言葉や沢山のライブを通じて、今までと変わらず努力を続けて成長をしてくことに変わりはない、と思うことができました。 新人公演は、お教室の発表会やライブと比べるとかなりハードルは高いかと思いますが、私は新人公演でしか得られないものがあるのだと思います。フラメンコ的に成長できるのはもちろん、私自身は人としてもタフになれたと思います。大きなことを決断することはとても勇気のいることですが、それだけで大きく成長できるのだと、この新人公演を通じて学ぶことができました。そして新人公演がこれからも多くの人にとってそれぞれの素晴らしい経験になることを、心から願っています。 サポートしてくれたミュージシャンのみなさんと 【プロフィール】 鬼頭幸穂(Yukiho Kitou)/1998年生まれ名古屋市出身。幼少よりフィギュアスケートを始め、6歳よりフラメンコを加藤おりはに学ぶ。19歳でセビージャに1年留学。ダビット・ペレス、ハビエル・エレディア等に学ぶ。2022年第3回全日本フラメンココンクールファイナリスト。第31回新人公演にて奨励賞、ANIF会員賞を現地、配信共にトリプル受賞。 【新人公演とは】 一般社団法人日本フラメンコ協会(ANIF)が主催する、日本フラメンコ界の発展向上のため、次代を担うフラメンコ・アーティストの発掘および育成の場として、1991年から毎年夏に開催されている舞台公演。 プロフェッショナルへの登龍門として社会的に認知される一方、「新人公演は優劣順位をつけるためのものではなく、新人へのエールを送るために存在する」という当初からの理念に基づき、すべての出演者が主役であるとの考えから順位付けは行われません。 バイレソロ、ギター、カンテ、群舞の各部門に分かれ、若干名の出場者に奨励賞、またはその他の賞が与えられます。 (*一部、ANIF公式サイトより引用) >>>>>

  • アントニオ・ガデス舞踊団公演『カルメン』

    (jueves, 4 de mayo 2023) 2022年10月22日(土)~23日(日) 東京文化会館大ホール [主催] MIYAZAWA&Co.、サンライズプロモーション東京、CIC 文/金子功子 Texto por Noriko Kaneko 写真/大森有起 Foto por Yuki Omori アントニオ・ガデス舞踊団の代表的な作品のひとつであり、日本でも高い人気を誇る『カルメン』が昨年10月に上演された。6年ぶりとなる今回の来日公演は2日間全3公演で行われ、かつて一世を風靡したガデス人気は今も健在で、場内は大勢の観客で賑わっていた。 『カルメン』の舞台初演は1983年。この舞台版は、ガデスが映画監督カルロス・サウラと共同で映画版と並行して制作したもので、映画の公開と同じ時期に初演を迎えた。以降、世界各国でのべ2,000回以上も上演され、スペイン舞踊の最高峰であり、ガデスの最高傑作と称される作品となった。 音楽面では、すでに世界的に人気の高いビゼー作曲による同名のオペラで有名なハバネラや闘牛士の歌などの楽曲に加えて、グアヒーラやブレリア、タンゴ、マルティネーテといったフラメンコの曲種を織り交ぜて構成される。物語としては、「舞台『カルメン』を上演する劇団」を演じるという劇中劇の形式で脚本が書かれ、舞踊団員らによるレッスン風景から舞台が始まり、オペラ作品のストーリー展開とともに原作であるプロスペル・メリメの小説の要素を主軸とし、登場人物らが各場面を踊り演じ、物語は展開していく。 その中でやはり際立つのは、主役カルメンの存在感だ。印象的な赤いドレス姿で登場し、自信たっぷりに踊り皆の注目を集める。周りの男たちに色目を向け、男が寄ってきてはあしらう様は噂通りの悪女っぷり。タバコ工場での女工との対立シーンは挑発的で緊迫感があり、また自分の虜にしたドン・ホセと愛を交わす場面では、ハバネラの音楽の中ホセに近づいては離れ、妖しく美しく舞いながらまた近づいてと、自由奔放な愛に生きる姿を表現した。 それとは対照的に、女工を殺め捕らえたカルメンを逃がした罪で牢獄へ入れられてしまうドン・ホセ。囚われの身を象徴するように3枚の鏡に囲まれ、哀愁に満ちたギターの旋律を踊る姿は端正でありながら痛ましさが滲む。また、男たちとの賭博の場面からカルメンの夫との決闘に至るシーン、カルメンを争い闘牛士と対峙する場面などでは、踊りやステップのキレ味はもちろん、演出の展開もスピード感があり見応えがあった。 群舞についても、舞踊団のレッスン風景やフィエスタの場面、また闘牛場で花形闘牛士の登場に沸くシーンなど、音楽面や構成、フォーメーションなど巧みに計算された演出。フラメンコ通はもちろん、初めて観る人や様々なジャンルの舞台芸術が好きな人にも楽しめる内容になっていた。 休憩無しの約1時間半強の舞台は、夢中で見入るうちにあっという間であった。高い舞踊技術と磨き抜かれた表現力が凝縮された、完成度の高い舞台芸術を生で鑑賞できるというのは、とても幸せなことだ。新型ウイルスの脅威もようやく収束に向かいつつあり、海外アーティストらによる来日公演も少しずつ増えてきている。コロナ禍以前と比べると、日本への招聘公演は戦争や為替の影響も加わりより大変になったと聞くが、素晴らしい芸術は観る者に大きな感動と活力を与えてくれる。 日本のみならず世界中のファンから愛され続ける、ガデスの『カルメン』。次回は何年後になるか分からないが、再びこの作品が日本の観客を魅了する機会を楽しみにしている。 【キャスト&スタッフ】 カルメン  エスメラルダ・マンサーナス ドン・ホセ アルバロ・マドリード 闘牛士 ハイロ・ロドリゲス/ミゲル・ララ(Wキャスト) 夫 ミゲル・アンヘル・ロハス 歌 アセル・ヒメネス/エンリケ・ベルムデス“ピクラベ”/イサベル・ソト/イスラエル・パス ギター バシリオ・ガルシア/ディエゴ・フランコ 芸術監督 ステラ・アラウソ 台本・振付・演出 アントニオ・ガデス/カルロス・サウラ 【アントニオ・ガデス舞踊団】 2004年にアントニオ・ガデスが自身の振付作品の維持管理や普及を目的として設立したアントニオ・ガデス財団が、その数か月後ガデスが亡くなった後に結成したのが、現在の新生アントニオ・ガデス舞踊団である。長年ガデスの相手役を務めていたステラ・アラウソを芸術監督に迎え、世界各地でガデス作品を上演するだけでなく、スペイン舞踊普及のための活動としての教育プログラムやガラ公演への参加など、意欲的な活動を続けている。 (※公演プログラムより一部引用) >>>>>

  • スペイン発☆志風恭子のフラメンコ・ホットライン

    (miércoles,3 de mayo 2023) 文/志風恭子 Texto por Kyoko Shikaze スペインの春はアンダルシアを訪れたい。フラメンコ好きの旅行者にもお勧め。セビージャなど、アンダルシアの街々では街路樹のオレンジの白い花が咲き乱れ、甘い香りに包まれます。毎年日付が変わる聖週間、今年は4月の第1週でした。それから2週間あけて今度はセビージャの春祭り、フェリア・デ・アブリル、4月祭りが始まります。その前の週にはマイレーナ・デル・アルコール、5月になればヘレスのフェリア、馬祭りも行われます。お祭りの時期にはホテルの料金も上がり、予約も取りにくくはなりますが、それでもできれば一生に一度は訪れてほしいのがアンダルシアの春です。 【フラメンコ・シグロXXI】 聖週間の前、3月21日から23日までの3日間、セビージャ大学の文化センターCICUSで、第一回フラメンコ21世紀セミナーが行われました。これは、フラメンコの歴史、記憶、知識の保持と普及を目的として2021年に設立された人類遺産フラメンコ21世紀文化協会が企画し、大学の協力のもと開催したもので、協会設立者の一人であり第一線で活躍する歌い手ホセ・バレンシアを始め、踊り手パストーラ・ガルバン、ギタリストのホセミ・カルモナらアーティストによるマスタークラスや講演会などが行われました。 左からペドロ・ペーニャ、ペペ・アビチュエラ、トマティート、テレ・ペーニャ、ホセ・バレンシア、パストーラ・ガルバン ©Kyoko Shikaze 最終日は、協会の名誉会員であるベテラン・ギタリスト、ぺぺ・アビチュエラ、ペドロ・ペーニャ、トマティートらにお話を聞く会がありました。ペドロ・ペーニャの「フラメンコにはヒターノのフラメンコとそれ以外があり、別の物だ」という主張に対し、トマティートが「ニーニャ・デ・ロス・ペイネス(ヒターナ)がいてアントニオ・チャコン(非ヒターノ)がいる。パコ・デ・ルシア(非ヒターノ)がいて僕(ヒターノ)がいる」と、フラメンコはヒターノだけじゃないよ、とやんわりと返したのが印象的でした。 もともとヒターノのアーティストが立ち上げた協会ですが、現在はセラニートなど非ヒターノの会員も加わっています。いろんな意見を忌憚なく話せる場は貴重だと思います。最後はホセ・バレンシアが協会会長でもあるペドロ・マリア・ペーニャの伴奏でリサイタルを行い閉幕。今後もセミナーなど開催予定のようなので注目していきましょう。 ホセ・バレンシアとペドロ・マリア・ペーニャ ©Kyoko Shikaze 【第一回フェスティバル・ギリホンド】 セビージャ郊外のパロマーレスという町で世界初の、スペイン以外の外国出身者をテーマにしたフラメンコ祭、フェスティバル・ギリホンドが4月12日から4日間にわたって開催されました。ギリとはスペイン人以外の外国人のこと。オランダ人ギタリスト、ティノ・バン・デル・スマンの演奏で、フラメンコ草創期における外国人についての著書もあるビエナル初代監督、ホセ・ルイス・オルティス・ヌエボが開会宣言をし、 開会宣言でのホセ・ルイスとティノ。パルメーラの女性もコロンビアとエストニア出身 ©Festival Guirijondo Quico Pérez-Ventana 親族がこの町に住んでいるというラファエル・リケーニの短い演奏の後は、中国人のカンタオーラ、シェン・ワンをアルメニア人ギタリストのバハンが伴奏、 シェン・ワン ©Festival Guirijondo Quico Pérez-Ventana フランス人カンタオーラが締めた初日に始まり、徳永兄弟らも学んだクリスティーナ・ヘーレン財団フラメンコ芸術学校のシンガポールやフランス、ボリビア、スペインなどの多国籍の生徒達による公演、 ヘーレン財団公演でのエストニア出身イングリッド・ムグ ©Festival Guirijondo Quico Pérez-Ventana パコ・デ・ルシアのグループで長年活躍したブラジル人パーカッション奏者、ルベン・ダンタスはフラメンコ研究家ファウスティノ・ヌニェスとお話をあれこれ。3日目はウエルバ在住オランダ人ギタリスト、ガスパールやベネズエラ人カンタオーラ“ラ・ニーニャ・デ・ボリバル”が、フランス生まれのアントニオ・モジャとペルー出身オスカル・グスマンと共演。 ルイス・デ・へレスとアリ・デ・トタ、アントニオ・モジャとヘファリン・パラシオス“ニーニャ・デ・ボリバル” ©Festival Guirijondo Quico Pérez-Ventana 最終日は、ニューヨーク生まれのクリスティーナ・ヘーレンへのオマージュと中国人ギタリスト、カン・ワンの公演、そして再びリケーニの公演で閉幕、と充実のプログラム。このほかにもドイツ人フラメンコ・ジャーナリスト、スザンネ・ゼリンガーによるドキュメンタリー映画の上映や、講演会なども行われました。想像するよりも多くの外国出身アーティストがフラメンコ界ですでに活躍しているのです。フラメンコはアンダルシア生まれ。でもアンダルシアの人だけのものではないのです。来年は日本のアーティストもぜひ、と言われています。 アントニオ・ロペスとカン  ©Festival Guirijondo Quico Pérez-Ventana 【舞台芸術の賞】 日本では4月は年度始まりですが、スペインの学校は秋に始まります。ただ、3月末から4月にかけては前年に上演された舞台芸術への各賞の発表シーズンのようです。3月23日にハエンで行われたアンダルシアの舞台芸術の賞、プレミオ・ロルカにはフラメンコ部門があり、作品賞はダニエル・ドーニャ、女性舞踊家賞はラ・ピニョーナ、男性舞踊家賞はマルコ・バルガスがそれぞれ受賞しました。 ロルカ賞の受賞者たち 3月27日にマドリードで行われた舞台芸術アカデミーによる第一回タリア賞では、これはフラメンコに特化したわけではなく舞踊全般の賞なのですが、男性舞踊家賞イスラエル・ガルバン、女性舞踊家賞ロシオ・モリーナ、作品賞マリア・パヘスと、フラメンコが圧倒的な強さを見せました。 4月18日にカディスで行われた著作権協会財団によるこのタイプの賞の中では老舗のMAX賞授賞式では、ハエン出身のフラメンコとコンテンポラリーのダンサー、バネサ・アイバル『ラ・レイナ・デル・メタル』が最優秀舞踊作品賞を受賞しました。 文化スポーツ省の舞踊のナショナル・プライズ、プレミオ・ナショナルでもフラメンコ舞踊家の受賞が圧倒的に多いですし、やはりフラメンコはスペインをリードする舞踊だということなのでしょう。おめでとうございます。 また、先日開催されたへレスのフェスティバルの各賞は、作品賞ラファエラ・カラスコ、観客賞マリア・ホセ・フランコ、新人賞イバン・オレジャーナとラファエル・ラミレス、ギター賞ピノ・ロサーダ、作曲賞マヌエル・バレンシア、伴唱賞ヘスス・コルバチョ、新人賞ベルナルド・ルビチでした。 【筆者プロフィール】 志風恭子/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。 >>>>>

  • 新・フラメンコのあした vol.3

    (lunes, 1 de mayo 2023) インタビュー・文/東 敬子 Entrevista y Texto por Keiko Higashi Fotos y Vídeo por Keiko Higashi 20年以上にわたりスペインで活動するジャーナリスト東敬子が、今気になるスペインフラメンコのあれこれを毎月お届けします。今月は、このたびニューアルバムを発表したギタリスト、ヘロニモ・マジャへのインタビューをお届けします。 ヘロニモ・マジャ インタビュー アルバム『プレサ・イ・ソレラ』(2023) Entrevista con Jerónimo Maya “Pureza y Solera” (2023) 例えば、知る人ぞ知る隠れた名店のような。 伝統の味を守りつつも、誰も経験し得なかった”驚き”を常に提供してくれるその店は、初めての客を一瞬にして馴染みに変え、馴染みの客に初めての感動を蘇らせる。 あるいは、「あの店のギムレットを飲みたい」と、日常の騒音にまみれたふとした瞬間に恋焦がれるような。 フラメンコ・ギターにおいてそんな存在は、ヘロニモ・マジャしか思い当たらない。 1977年マドリードのヒターノ一家に生まれた彼は、親族を遡ればフラメンコ・ギターを確立させた偉大なラモン・モントージャに行き当たる。父フェリペ・マジャ、弟レオ・デ・アウロラは共にギタリスト。大叔父にカンタオールのエル・ジュンケがいる。名実ともにフラメンコ界のサラブレッドであり、幼い頃よりその才能を開花させた天才だった。 1981年14歳のとき、ニューヨークで開催された巨匠サビーカスへのオマージュ公演に、今は亡きギターの神様パコ・デ・ルシア、カンテの革命児エンリケ・モレンテと共に招待された。それを機に彼の認知度はさらに広がり、自身のグループを率いて公演活動を開始。それから30数年の時を経て、未だヘロニモは留まることを知らず、進化し続けている。 ではなぜ、「知る人ぞ知る」なのか。20歳を過ぎた頃、彼は決断を迫られた。スターダムを闊歩するために、流行路線の曲作りに甘んじるか。それとも、自身の音を追求することに人生の線路を敷くか。そして、彼が選んだのは後者であり、それは一筋縄では行かない道のりだった。自分の道を信じることは孤独なことだ。 表面ばかり見る人に、彼は見えない。見ようとする人には、その輝きが当然のように見える。だからこそ「知る人ぞ知る」天才であり、だからこそ、その音は孤高の荒地に咲く一輪の花のように、猛々しく、可憐で、痛々しく、美しい。 ニューアルバム『プレサ・イ・ソレラ』は、彼のこれまでの集大成と言ってもいいだろう。デビュー作『ヘロニモ』(2004)から約20年。25歳の彼の煌びやかで若々しい音は、今作ではグッと落ち着きを帯び、大人の魅力で魅せる。 「これが、今の僕の新しい感じ方なんだ」 そう語る彼の表情には、満足の色が伺える。 「このアルバムは全部一発撮りで録音したんだよ。だから録音にはあんまり日数はかからなかった。7~8日ぐらいかな。僕は現代にあってこそ、ライブ演奏での力強さと可能性を押し出すべきだと思ってるんだ」 全てが完璧になるように、ひとフレーズずつ録音し、テクノロジーを駆使しての切ったり貼ったりの編集作業は、フラメンコも例に漏れない。しかし、その為にフラメンコ特有のエネルギーが無くなってしまうと嘆く人は多い。 「このアルバムには、ライブ演奏が持つ新鮮な感覚を入れたかったんだ。あの魔法のような瞬間をね」 今回の録音を実現するに当たっては、周りのスタッフの後押しが大きかったという。 「僕のプロデューサーたちは音楽を良くわかっているし、僕の音楽を好いていてくれる。だからとても丁寧に作業をしてくれた。アルバムの曲はYouTubeの動画(flamencoguitarsforsale)でも見れるので、ぜひ、それも楽しんでほしいな」 今回のアルバムにはオープニングのブレリアに始まり、アレグリアス、ソレア、ファンダンゴ・デ・ウエルバ、セギリージャ、タンゴ、タランタ等、全9曲が収録されている。特徴的なのは、その多くに彼の家族の名前が付けられていることだ。セギリージャ『マラ』は妻に、ファンダンゴ・デ・ウエルバ『ラ・ルス・デ・アウロラ』は母に、と言うように。 「家族の名前をタイトルに入れるというのは、プロデューサーのアイデアだったけど、これらの曲は、僕の一番深いところで生まれたものだ。だから(彼らの名前をタイトルにつけることは)素敵なことだったと思うよ。僕にとって一番大切なものは家族だから」 近年、自身のギターモデルも発売され、コンサートでもそれを第二ギターに使用していると言う。これは彼が子供の頃、フェリス・デ・ウトレラにプレゼントされたエステソのギターの復刻版と言えるもので、同じくコンデ・エルマノス一家のフェリペ・イホによって制作されている。値段が高いのではと、下世話な質問をすると、彼は「質が良いからね」と笑った。 現在行っている公演には、日本でも人気の高いバイラオーラ、カリメ・アマジャも参加している。彼らが繰り出すフラメンコの魔法に期待が高まる。 ヘロニモ・マジャのこれからは、いつまでも光り続けるだろう。ぜひ一度はその音に触れてみてほしい。その光を、その目で耳で体験してほしい。その瞬間から彼のギターはあなたの永遠の友になるだろうから。 (このインタビューを映像でご覧になりたい方はこちら ) (CD“Pureza y Solera”Jerónimo Maya およびギターのヘロニモ・モデルのご購入はこちら ) 【筆者プロフィール】 東 敬子 (ひがし けいこ) フラメンコ及びスペインカルチャーのジャーナリストとして、1999年よりマドリード(スペイン)に在住し執筆活動を続ける。スペインに特化したサイト thespanishwhiskers.comを主宰。 >>>>>

  • リレー連載:私の新人公演 -2022年の挑戦- 2

    第2回 林 由美子 【バイレソロ部門/奨励賞】 (viernes, 28 de abril 2023) フラメンコを志し、さらに高みを目指すために目標として掲げられる大舞台、新人公演。 昨年の入賞者に、挑戦へのきっかけや本番までの道のり、自身の経験や思い、これから挑戦する人に伝えたいことなどを語ってもらいました。 第2回目は、バイレソロ部門で奨励賞を受賞した林由美子さんです。 編集/金子功子 Edición por Noriko Kaneko 新人公演にエントリーした動機は、ひとつの目標に向けてただ努力したい、何か変えたい、その経験が自信にも繋がるはずという思いと、とりあえず知らないことに挑戦してみたいという考えが混ざり合う、安易な気持ちから始まった気がします。 初めて出させていただいた時の選曲はシギリージャでした。完全に教えていただいた振付で、自分には何が欠けているのか、この構成ではどうだろう、私ならどうだろう、意味、うた、とにかく何も考えずただやりたいという思いで出場したように思います。でも今回は、8拍子で奏でるドラマティックなうたぶりと、タンゴへの展開に魅了され、タラントという曲で挑戦しようと心に決めました。 本番で結果を出すために心掛けたのは、7分間の舞台を踊り切る体力の維持と、集中力のコントロールを養う練習に励みました。 7分は意外に長く、なんなら、1分踊っただけですべて見透かされる感じ。その時、その瞬間のドラマがあるので、体力が切れてしまうと、おいしいところを見逃し、集中力、立て直す精神力が奪われてしまいます。何度も踊り通すことで、自分がどの辺りでバテてるのかを見極めるようにしました。 余談ですが、今枝先生からご紹介いただいた重り付ウエイトジャケットは私にとって最強でした。 新人公演の当日は、ゲネプロから本番まで、とにかく誰かしらに支えられていた、見守られていた時間だったように思います。ゲネプロではなかなか身体が思うように動いてくれず、気持ちばかりが焦って気が急いていたのと、たくさんのプレッシャーを抱えていたので、周りの空気はとても影響しました。今思い出しても熱くなりますが、一緒に戦ってくれたアーティストの方々、友人、先輩方からのたくさんのメッセージやアドバイスに助けてもらい、本当に感謝でいっぱいです。 今は、ここからが出発点、精進しますという気持ちしかありません。身の引き締まる思いでいっぱいです。これからは自分がやりたい事、私だからできるフラメンコ、林由美子のフラメンコをやりたいと思います。この夏に企画しましたソロライブが、私にとっての第一歩となります。 これから新人公演に挑戦する人たちに伝えたいのは、どの瞬間も諦めない事です。絶対に諦めない。やめない、捨てない強い精神が必要だと思います。挑戦する自分をたくさん褒めてあげてほしい。あなた(自分)はすごいんだからって。 心より応援しています。 @Yuki Omori 【プロフィール】 林 由美子(Yumiko Hayashi)/兵庫県西宮出身。大下美登里氏に師事しフラメンコをはじめる。同スタジオのイベント等に多数出演、講師/アシスタントを務める。その後東京に拠点を置き、数々のスペイン人アーティスト、小林理香氏、稲田進氏に師事。現在はアリアーテ東新宿校にて自身で教授活動をはじめる。flamenco2030 第2回webフェスコンクール最優秀賞受賞。 【新人公演とは】 一般社団法人日本フラメンコ協会(ANIF)が主催する、日本フラメンコ界の発展向上のため、次代を担うフラメンコ・アーティストの発掘および育成の場として、1991年から毎年夏に開催されている舞台公演。 プロフェッショナルへの登龍門として社会的に認知される一方、「新人公演は優劣順位をつけるためのものではなく、新人へのエールを送るために存在する」という当初からの理念に基づき、すべての出演者が主役であるとの考えから順位付けは行われません。 バイレソロ、ギター、カンテ、群舞の各部門に分かれ、若干名の出場者に奨励賞、またはその他の賞が与えられます。 (*一部、ANIF公式サイトより引用) >>>>>

  • リレー連載:私の新人公演 -2022年の挑戦- 1

    第1回 鈴木旗江 【バイレソロ部門/奨励賞】 (viernes, 21 de abril 2023) フラメンコを志し、さらに高みを目指すために目標として掲げられる大舞台、新人公演。 昨年の入賞者に、挑戦へのきっかけや本番までの道のり、自身の経験や思いを振り返ってもらいました。 第1回目は、バイレソロ部門で奨励賞を受賞した鈴木旗江さんです。 編集/金子功子 Edición por Noriko Kaneko あれは2018年初頭か2017年末だったか、生徒さんの一言。 「先生は新人公演には出ないのですか?」 そうだ…新人公演。それまで2回出ていたのだがチャレンジの火が消えていた。 長く教室もプロ活動もしていての新人公演再チャレンジ。これはもう覚悟を決めて取り掛かるしかない。自分の弱点を曝け出して踊りを変えていこう。 新人公演といえば、稲田進さんという指導者が有名…かつみんさん(通称)とエスペランサで話した時に、絶対上手くなるから習った方がいいよと言っていたことを思い出し、2018年2月に門を叩く。前日から緊張でフラフラで、初めての個人レッスンを迎える。 最初のレッスンで怒られるかと思ったが、つとめて冷静なアドバイス。データに基づいた指導に納得。もうこの指導についていく覚悟を決めた。 ついていくと決めたら、とにかく稲田先生の言う通りにできることを常に課題にした。 内圧と間のメソッドが最初の頃は全然わからず、とにかくお腹に力を入れて踊っていたらみるみる痩せていき(内圧ブートキャンプと私は呼んでいた)、会う人ごとに大丈夫かと心配されて、いや充実っぷりすごいんですけど緊張しすぎてレッスン前とレッスン後は食べられないんです、と答えていた。 レッスン中は必ず動画を撮り後で観る。アドバイスを帰りの電車でメモに書く。ダメ出しは次回レッスンには潰していく。その繰り返し。 すると、エスペランサに出た時に故田代さんから、旗江ちゃん踊り変わったね!すごく良くなったよと言われた。本当に嬉しかった。 2018年、19年と自分が踊ってきた振付に稲田先生の指導演出で新人公演には出たのだが、次は稲田先生の振付で出て賞を取ることを目標にしたくなってきた。それはますます自分を追い込むことで、それが趣味だと思うしかない状況になってきた。 そこにまさかのパンデミック…2020年に世界が大混乱になるとは。新人公演は中止になり、社会活動も危うくなってきた。そんな中、練習場所を提供してくださった管理人さん…ありがたくて涙が出た。生徒さんたちも動画でレッスン継続してくれて、本当に感謝だった。 日々練習していても、昨日より今日の自分が伸びているのか?疑問だった。そのさなか、次回の新人公演は稲田先生の振付で出ると決心した。 2021年、練習しても練習しても振付は自分から遠くなっていくばかり。できることもできなくなり悶々としたまま本番を迎え撃沈…。帰り道ビールを1缶奢ってくれて、良かったですよ…とマスク越しの小さな声で励ましてくれた先生。 そこから奮起。2022年は猛烈チャレンジの年にしようと、別のコンクールへの出演も決心。レッスンが佳境に入るのとほぼ同時期に、母の具合が悪くなり…、まさにシギリージャだった。稲田先生も、シギリージャを身体に染み込ませ、滲み出させるための指導をトップギアに。この時期に心掛けたのは、自主練は時間を長く取ることがいいのではなく、体力とメンタルのバランスを考えてやること。いい感触の時に終わらせて、マイナスな感情を残さないようにした。 全日本コンクールは予選から本選まで2週間しかなく別の曲を踊る。そのスーパーハードな時期をオンライン飲みで支えてくれた(古屋)美枝ちんに感謝。 本番直前1週間は、自主練はひたすら踊って撮って観てダメ出し。本番の照明どおり真っ暗な中に自分だけ明るくして踊る。あとはメンタル。自信を持てる状態にすること。私はもし振りを間違えても納得した踊りができる自信があった。身体の真ん中に炎が灯った感覚があった。炎が燃え続けた。 自分に合った指導と演出が大事。それは自分自身でもいいとは思うし、私には稲田進師匠の指導がすごく合っているのだと思う。 (写真)本番後の1枚 【プロフィール】 鈴木旗江(Hatae Suzuki)/学生演劇から唐十郎の劇中フラメンコに感銘を受け鈴木眞澄氏に師事。2018年より稲田進氏に師事。第2回Webフェス三冠、第3回全日本フラメンココンクールファイナリスト、第31回新人公演奨励賞&ANIF会員賞W受賞。 【新人公演とは】 一般社団法人日本フラメンコ協会(ANIF)が主催する、日本フラメンコ界の発展向上のため、次代を担うフラメンコ・アーティストの発掘および育成の場として、1991年から毎年夏に開催されている舞台公演。 プロフェッショナルへの登龍門として社会的に認知される一方、「新人公演は優劣順位をつけるためのものではなく、新人へのエールを送るために存在する」という当初からの理念に基づき、すべての出演者が主役であるとの考えから順位付けは行われません。 バイレソロ、ギター、カンテ、群舞の各部門に分かれ、若干名の出場者に奨励賞、またはその他の賞が与えられます。 (*一部、ANIF公式サイトより引用) >>>>>

  • ★フラメンコnews☆

    GWは立川フラメンコで楽しもう! 今年で20回目となる立川フラメンコが、5月2〜3日の2日間にわたり開催されます。 1日目は前夜祭としてフラメンコステージが行われ、2日目はJR立川駅南口から続くすずらん通りでのストリート・セビジャーナスパレードや、特設ステージやライブハウス会場でもフラメンコライブが楽しめます。 今年も感染防止対策を徹底しての開催のため、飲食を伴うことは控えていますが、このイベントの発起人の1人でフラメンコダンサーの堀江朋子さんからは、「今年も『立川フラメンコ2023』が近づいて来ました!メインイベントの約300人によるセビジャーナスを初め、各会場でのフラメンコライブなど、フラメンコ盛り沢山の一日を楽しみにぜひお越しください!」とのコメントを頂きました。 お近くの人はぶらりと、そうでない人はわくわく遠足気分で、GWは立川へGO! 【第20回立川フラメンコ】 2023年5月2日(火)1日目 17時~20時50分/JRAウインズ立川A館 5月3日(水祝)2日目 11時~16時/ ●フラメンコライブ(すずらん通り特設ステージ、JRAウインズ立川A館、ライブハウスBABEL、ライブハウス立川HeartBeat) ●すずらん通り路上セビジャーナスパレード(予定:12時~13時20分) [URL] https://flamenco-tachikawa.tokyo/

  • LOS TUDOR

    ~チューダー・ローズたちの叶わなかった恋の行方~ 森山みえフラメンコ舞踊団公演 (viernes,14 de abril 2023) 2022年10月26日(水) 東京・日本橋公会堂 文/金子功子 Texto por Noriko Kaneko 写真/荻久保次郎 Foto por Jiro Ogikubo 歴史的史実や文学作品など様々なテーマを題材に、2016年より劇場公演を創作してきたフラメンコ舞踊家、森山みえの第6弾となる舞踊団公演が昨年10月に上演された。 今作品の舞台は、16世紀のイングランドを統治していたチューダー王朝。女王エリザベス1世を中心に、その両親である前国王ヘンリー8世とアン・ブーリン、異母姉のメアリー1世や王位の座を狙うメアリー・スチュアートなど、それぞれの人物の愛や苦悩に焦点を当て、バリエーションに富んだストーリーに仕立てられている。富と美貌に恵まれながらも政治と権力に翻弄された女たちのドラマをフラメンコの音楽で彩り、踊りや演奏とともに物語の展開も楽しめる作品だ。 登場人物のキャスティングは、女性の役には出演経験が豊富な舞踊団員が配され、それぞれの役の場面でソロやパレハ、または群舞と組み合わせて人物の心情や情景を表現した。 エリザベスの実母アン・ブーリン(冨田英子)が処刑を受け入れる場面では、ティエントの曲でアンの絶望と覚悟を深い悲しみに満ちた表情で好演。また、「ブラッディ・メアリー」として悪名高いメアリー1世(永井祐里)のシーンでは、赤のドレス姿のメアリーに対し黒の衣装でそろえた群舞はフラメンコ感に満ち迫力があった。 エリザベスが自身のはとこであるスコットランド女王メアリー・スチュアート(富松真佑子)と対峙するシギリージャのシーンでは、互いの青と赤の衣装に合わせて照明でも美しいコントラストを演出。バタ・デ・コーラの衣装とパリージョの音色もまた、フラメンコ舞踊の醍醐味を楽しませてくれた。 男性の役では、エリザベス1世の実父であるヘンリー8世役にコンテンポラリーダンサーであり俳優の神睦高を起用。アストゥリアスの曲に乗せソロの舞踊を披露し、高い身体能力と柔らかい身のこなしで権力者の苦悩や激しさを表現した。 また、エリザベス1世を支える寵臣にして恋人とされるロバート・ダドリー(レスター伯爵)役は三枝が務め、エリザベスと同じ時期にロンドン塔に投獄されていた場面の二人きりのシーンでは、カルタヘネラとタラントの素晴らしいカンテを聴かせ、また最後の場面のソレアでは、エリザベス1世を演じる森山とのパレハで印象的なシーンを演出した。 音楽面でも、定番のフラメンコの曲種の随所にピアノを採用したことで、音色に厚みが増し多彩な表現が楽しめた。普段はフラメンコに触れることが無い観客にとっても、自然と楽しみながら鑑賞できたに違いない。観客には男性客も多く、実際にこの公演を毎回楽しみにしているお客様も多数いるというのもうなずける。 ストーリーも楽しめ、曲種も多く展開にメリハリがあり、バラエティーに富んだ舞台作品となった今回の公演。様々な題材から毎回適したテーマを選び、ソロや群舞のそれぞれの長所を生かしながら構成を組み立て演出し、1つの劇場作品に仕立て上げる森山の構成力や演出力は相当なものである。 次の作品でもまた、多くのお客様を楽しませてくれることであろう。 【出演】 ギター:エミリオ・マジャ カンテ:マヌエル・デ・ラ・マレーナ パーカッション:橋本容昌 ピアノ:野口杏梨 コンテンポラリーダンサー/俳優:神睦高 バイレ/カンテ:三枝雄輔、 バイレ:山本海、ドミンゴ、森山みえフラメンコ舞踊団、森山みえ 声優:Wakana Doy >>>>>

  • 新連載:カンテフラメンコ 奥の細道 on WEB No.23

    (lunes, 10 de abril 2023) 文/エンリケ坂井 Texto por Enrique Sakai 昨年12月号で休刊した月刊パセオに連載した「カンテフラメンコ奥の細道」をWEBで続ける事になった。No.23からの再出発となるが、新たな気持ちで続けてみようと思う。 CD『グラン・クロニカ・デル・カンテ』vol.4より ㉓ Niña de los Peines(ニーニャ・デ・ロス・ペイネス) の Rumba(ルンバ) 前回ミロンガを取り上げたが、中南米から逆輸入されてフラメンコ化したカンテス・デ・イダ・イ・ブエルタ(往って帰ってきたカンテ)の続きでルンバを取り上げよう。 厳密に言えば、ルンバはアフリカから中南米へ、そしてスペインに入った音楽だが、17世紀の終わりから18世紀の初頭にフラメンコ化して歌われるようになった。 残された古い録音は非常に少ないが、その中でも1918年のパストーラ(*編集部注/ニーニャ・デ・ロス・ペイネスの本名)の録音は初期のルンバ・フラメンカの姿を再現していて非常に興味深い。 大きな特徴は、現在のようにカンシオンをルンバのリズムに乗せて歌うのではなく、アレグリアスやソレアーのように短い歌詞をいくつか歌う事によってルンバスという形式のアイレ、グラシアなどを表現している事だ。最初のレトラを書き出してみる。 (歌詞) Cuando yo miro, cuando yo veo los ojitos negros, lo mismito que mi suerte, yo no sé por qué me mareo, y creo yo que me dan la muerte; creo que me dan la muerte, yo creo que me darán la muerte, cuando yo miro los ojitos negros lo mismito que mi suerte. 私が見ると…、 あんたの黒い瞳を見ると、 私の運命と同じ黒い瞳、 なぜか知らぬが目眩がする。 きっと私を殺してしまう、 きっと私の心を殺すでしょう、 きっと私を殺すふたつの眼、 私の運命と同じの あんたの黒い瞳を見ると。 さて、歌った通りに書いたこの歌詞の繰り返しや、強調のための余分な単語や縮少辞を取ると、以下の通りの詩の原型が見えてくる。 Cuando miro los ojos negros lo mismito que mi suerte, no sé por qué me mareo y creo que me dan la muerte. つまり4行詩+4行目+4行目+1行目+2行目という構成になっている。このルンバでパストーラは5つのコプラ(短い詩)を歌っているが、基本的な構成は変わらない。 パストーラという天才がこの録音を残した事によって、初期のルンバがフラメンコ的な形式であった事や、その雰囲気を伝えてくれる素晴らしい手本となっている。 明るいながらも重量感を持ち、その中にグラシアや渋みを持ったこの曲は聴けば聴く程味わいが増してくる。 例によって直訳を付けたが、この詞の死は「私の心を殺す→私を参らせる、とりこにする」と考えれば良いと思う。日本語にも「悩殺」という言葉があるが、今や死語かも知れない。 相手の黒い瞳を見ると私の運命と同じ、という事は二人が恋をして同じ運命の道を歩む、という事なのだろう。伴奏のギターがもう少し中南米のルンバの感じを出すとよりルンバらしくなると思うのだが、何せ100年以上も前の録音だから奏法も確立していなかったのだろう。現在の奏法になるのは、1960年くらいからだ。 【筆者プロフィール】 エンリケ坂井(ギタリスト/カンタオール) 1948年生まれ。1972年スペインに渡り多くの著名カンタオールと共演。帰国後カンテとパルマの会を主宰。チョコラーテらを招聘。著書『フラメンコを歌おう!』、CD『フラメンコの深い炎』、『グラン・クロニカ・デル・カンテ』vol.1~32(以下続刊)。 >>>>>

  • ★フラメンコnews☆

    日本各地で舞踊・教授活動を展開するフラメンコ舞踊家、鈴木眞澄さんの活動50周年を記念するソロライブが開催されます。踊りはもちろん、これまでの様々なエピソードを交えたトークも楽しめるとのこと。こちらは配信視聴も受付中です。 また、フラメンコと共に歩んだ自身の足跡をつづったエッセイ集も、このたび発売されることになりました。かつて月刊パセオフラメンコで連載したエッセイや思い出深いスペイン旅行記、さらには60歳から始めた俳句や, お料理のことなど、盛りだくさんな内容になっています。 ●鈴木眞澄フラメンコ50年記念ソロライブ [日時]2023年4月23日(日) 13時開場/14時開演 [会場]高円寺タブラオ・エスペランサ(東京) [料金]7,000円(ワンドリンク+タパス付) [出演] 鈴木眞澄 (ギター)鈴木英夫/山﨑まさし (カンテ)永潟三貴生/ダニエル・リコ ●エッセイ集「よかったさがし」 -フラメンコと歩んだ人生- 鈴木眞澄 著 2023年4月22日発売 税込3,850円 [予約・問] 鈴木眞澄 mamimayor0115@gmail.com

  • スペイン発☆志風恭子のフラメンコ・ホットライン

    (miércoles,5 de abril 2023) 文/志風恭子 Texto por Kyoko Shikaze 恒例、ヘレスのフェスティバルも無事開催。詳細は特集でご覧いただけると幸いです。日本人参加者もだいぶ戻ってきたようです。全部のクルシージョが世界38ヵ国からの参加者で満員。最も多かったのはフランスからの参加だそうですが、コロナ前までは毎回首位だった日本からの参加も、米国に次いで3位になる程、戻ってきたそうです。国立バレエなど3公演が満席になり、劇場公演も小劇場も含め8割の入りで、期間中は市内のホテルも7割方埋まっていたそうです。もう、コロナ前にほぼ戻ってきたと言っていいでしょう。劇場でも街中でも、「3年ぶりにヘレスに帰ってこられた」と喜ぶ声を何度も聞きました。 【セビージャのフラメンコ】 なお、フラメンコ公演があるのは何もヘレスばかりではありません。マドリードの王立劇場では3 月14日にホアキン・コルテスの公演が行われたそうですし、セビージャでも多くのフラメンコ公演が行われています。老舗ペーニャ、トーレス・マカレーナでは毎週複数の舞踊公演が行われていますし、セビージャのオペラ・ハウスであるマエストランサ劇場でも複数のフラメンコ関連公演が行われました。3月17日にはアルカンヘルがクラシックギタリスト、ホセ・マリア・ガジャルドらとの共演でサルスエラやオペラの名曲などを歌うリサイタルが開催されました。 ©︎Teatro de la Maestranza /アルカンヘルとホセ・マリア・ガジャルド 翌日からの二日間はマヌエル・デ・ファリャのオペラ『はかなき人生』公演があり、カンタオールのセバスティアン・クルスとギタリスト、マヌエル・エレーラまた、スペイン国立バレエ団やアントニオ・ガデス舞踊団で活躍したフアン・ペドロ・デルガードらも出演していました。 ©︎Teatro de la Maestranza /『はかなき人生』モダンな外人目線な演出はマリオ・デル・モナコの息子のジャンカルロ・デル・モナコ なお、23日、24日にはアントニオ・ガデス舞踊団版『恋は魔術師』である『炎』の公演が行われました。 【カルメン・リナーレスに名誉博士号】 3月15日、セビージャ大学より、ベテランのカンタオーラ、カルメン・リナーレスに名誉博士号が贈られました。大医学講堂で行われた式典では、トーガと呼ばれるガウンをまとったカルメンがスピーチの中で一節、歌う一コマも。 「これは偉大な音楽、アートであるフラメンコ全体を認めてくださったということだと思います。フラメンコの偉大さを、その価値を認めてくださったということで本当に嬉しく思います」とコメント。 セビージャ大学はフラメンコとの関係で言えば、61年にフラメンコを取り上げたカディス大学に次いで、古くから関係がある大学で、1963年にフラメンコ週間を開催しニーニャ・デ・ロス・ペイネスを招き、72年には医学部ペペ・マルチェーナが講演したそうです。そういえば、カディス大学も2007年、パコ・デ・ルシアに名誉博士号を贈っていますね。昨年秋には、これもパコ・デ・ルシアについでフラメンコのアーティストとしては二人目のアストゥリアス皇女賞を舞踊家マリア・パヘスとともに受賞したカルメン。アルカンヘルやミゲル・ポベーダや彼女の伴奏ギタリストの一人でもあるサルバドール・グティエレスらも授賞式に駆けつけ、受賞を祝っていました。 ©︎Universidad de Sevilla 【訃報】 今月も悲しいお知らせです。3月10日、ヘレスでこの街出身のギタリスト、ニーニョ・ヘロが亡くなりました。まだ68歳の若さでした。 本名ペドロ・カラスコ・ロメーロは1954年、ヘレスのサンティアゴ街の生まれ。父マノリートは伝説のフラメンコ番組『フラメンコの祭儀と地理』にも出演したフェステーロで、母は歌い手ロメリートの姉妹というフラメンコの血筋。ラファエル・デル・アギラにギターを学び、プロに。地元ヘレスの歌い手たちだけでなく、セビージャのローレ・イ・マヌエルやファミリア、モントージャのアルバムにも参加するなど長年、第一線で活躍してきました。近年もカディスのベテラン、フアン・ビジャールの伴奏でフラメンコらしさ溢れる演奏を聴かせていました。 4人の子供たちも、長男マヌエルが父と同じギタリストで、カプージョの伴奏を引き継いでいるほか、次男アントニオは歌とギター、長女マヌエラは歌、三男ルイスはパーカッション奏者でプロデューサーと、子供たち、またその子供たち、つまり孫も舞台に立っています。90年代の初めには子供たちとバンドを組んでビエナルに出演したりもしました。 いつもニコニコしていて幸せを周囲にお裾分けするような感じの人でしたが、時に、どす黒く深い、人間の手によるものとは思えないような、ある意味悪魔的とも言える音をも聴かせてくれることがありました。真の意味で、大向こうを唸らせる、そんなアーティスト。昨年のフェスティバルの時には夜、劇場近くのバルにドミンゴ・ルビチと一緒に現れて歌い弾き踊り、と最高のフラメンコな瞬間を見せてくれました。 ©︎KYOKO SHIKAZE/左は2007年。右は昨年のフェスティバル時の、夜中のフィエスタ。 【筆者プロフィール】 志風恭子/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。 >>>>>

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