カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.51
- norique
- 8月11日
- 読了時間: 3分
更新日:8月15日
(lunes, 11 de agosto 2025)
文/エンリケ坂井
Texto por Enrique Sakai

Malagueña de La Trini ③
前回書いた1887年の手術の前にトゥリニは同郷の友人であり偉大なカンタオールであるファン・ブレバに経済的な面での助けを求めた事が知られています。
当時ファン・ブレバは首都マドリードで多くのカフェ・カンタンテや劇場に出演して、成功を収めていましたから友人のフトコロをあてにしたのでしょう。
持ってる人が持ってない人を助けるのは宗教上の義務という背景もあってごく当たり前だと思われていた時代です。私がマドリードで活動していた1970年代になってもアーティスト達の金の貸し借りはごく普通の事で、そこでちゃんと返す人は信用を得ていくわけです。
さてブレバはトゥリニの求めに応じてマドリードのビジャ・アサ劇場でトゥリニを援助するためのチャリティコンサートを催し、これが大成功を収めトゥリニは無事手術を受けられたというわけです。この助け合いの精神は今もフラメンコのアーティスト達の中に生き続けています。
トゥリニは国王の前で歌うなどの大きな実績を残し1917年、49才頃に引退しアンテケーラに転居、1930年にこの地か、カディス県のリネアで62才頃亡くなりました。
トゥリニが創唱したマラゲーニャでよく歌われるものは①と②ですが最近の研究で4つのスタイルがある事が知られています。
他のスタイルは何故歌われなかったか…、それはこのスタイルを録音したパカ・アギレーラ(19世紀後半、ロンダ~20世紀前半、マドリード?)のレコードがSP初期の幻のレコードであり多くの人に伝わらなかったのだと思われます。
ちなみにこのマラゲーニャの古い録音はマリア・ラ・クラベジーナとパカの二人のみで、共に1912年の録音、二人共に同じ歌詞を歌っています。歌詞は以下の通り。
【Letra】
(la ilusión del alma mía, )
En el cementerio duerme
la ilusión del alma mía;
mándame, Señor, la muerte,
que yo no encuentro alegría
ni aun hablando con la gente.
【訳】
(私の心の中の夢は…)
私の心の中の夢は
墓地で眠っている、
神よ、私に死を与えてください、
たとえ人と話していても
私には喜びを見い出せない。

パカはトゥリニのカンテを正確にコピーしたとフェルナンドは書いていますが、パカもまたそのマラゲーニャなどのカンテで大きな人気を得てトゥリニの後継者とも言われ、マドリードに出て長く活躍しました。
マドリードというと今の人達は違和感を持つかもしれませんが、マドリードはやはり政治、経済の中心地でありアンダルシアの多くのアーティストが仕事を求め首都に集結するという時代が長く続き、フラメンコの中心地でもあったのです。
※の所はトゥリニのマラゲーニャではSiのフラット音になる事がほとんどですが、ここでは古いタイプのままSol(ソ)の音で止まっていて、それをギターがFaに導いています。この方がマラゲーニャとしては落ち着くわけですね。

【筆者プロフィール】
エンリケ坂井(ギタリスト/カンタオール)
1948年生まれ。1972年スペインに渡り多くの著名カンタオールと共演。帰国後カンテとパルマの会を主宰。チョコラーテらを招聘。著書『フラメンコを歌おう!』、CD『フラメンコの深い炎』、『グラン・クロニカ・デル・カンテ』vol.1~36(以下続刊)。2025年1月Círculo Flamenco de Madridから招かれ、ヘスス・メンデスと共演。
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