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新連載☆ faroles para futuros flamencos 〜未来への道標〜 vol.1

viernes, 22 de diciembre 2023)

 

大阪を拠点に活動し、劇場公演からタブラオライブまで日本各地で活躍する今人気急上昇中の若手フラメンコダンサー、出水宏輝さんのエッセイを今月から2か月毎に全6回、1年間にわたりお届けします。

初回となる今回のテーマは、ご自身の原点でもある「フラメンコとの出会い」について語っていただきました

 

文/出水宏輝

Texto por Kouki Demizu


出水宏輝_FAROLITO フラメンコダンサー
©Shigeto Imura

今回より新エッセイ「faroles para futuros flamencos〜未来への道標〜」を執筆させていただくことなりました出水宏輝(でみずこうき)です!


さて本日は最初の回ということなので、僕の紹介をさせていただければと思います。


僕は大阪を拠点として活動する男性舞踊手です。私がなぜフラメンコに出会ったのか?

それは10歳の時でした。

僕は父親、母親、お姉ちゃん、妹の5人家族の真ん中っ子。姉妹が喧嘩したらどっちかの話を聞いてはなぐさめて。まだ妹が生まれてないときも、父親の仕事について行く姉がいれば、母親と一緒にいる僕がいて。そんな様子を伺って行動する子供でした。

父親、お姉ちゃん、妹はO型で、母と僕はA型。趣味や好みも自然とその組み合わせで行動することも多かったです。(笑)


父親は昔プロボクサーだったとのことで、自宅にはボクシンググローブ、ボクシングミット、サンドバッグなどがあって、時間さえあれば父親には「よし!サンドバッグ叩け!」と日々言われる生活でした。お姉ちゃんはノリノリで叩いていましたが、僕は全く気分が乗らない。父親からすると期待に添えない息子でした。昔から喧嘩や争いごとが嫌いで「人を殴るってなんで?」と思いながら、嫌々ながらもサンドバッグを叩く日々が続きました。どうしてもその流れをやめたい、変えたいと思い、習い事を始めました。サッカー、柔道、ラグビー。でも半年も続かず、スポーツは全くもってダメ。なんなら苦手でした。かといって勉強ができるわけでもない。


…とある、普通の休日。

父親に誘われて「今から出かけるぞ!用意して服着替えなさい!」と言われて、いつも通り公園いってマクドナルド行くんかなーと楽しみに家を出たら劇場。何も分からずに入っていくと「フラメンコの発表会」


僕の頭の上には「???」状態。

父親に「マクドナルド行くんじゃないの?」と聞くと、「今日はお母さんの発表会見に来たんやでー」


「????発表会??なにそれ」

「お母さんな、フラメンコやってんねん今。それの応援に来たから一番前の席とるで!」と言われ、「フラメンコって何?お母さんがフラメンコ?なんの話してんの?」と心中で思っていました。どうも習い始めて8ヶ月で発表会に出ていたようです。


そして下手側の一番前の席に座って発表会を楽しみました。


フラメンコあるあるだと思うのですが、当時の自分には身内を群舞の中から見つけるのは難しかったです。最後まで母親を見つけることはできない発表会でした。(笑)


でも発表会の中で一睡もせずにずっと見ていたのが、田中光夫先生のギターでした。


あんなにも優しい音色、鋭い響きのあるギターを生で聞いたのは初めてでした。フラメンコの印象が踊りからギターに変わった瞬間でした。


発表会が終わり、母親が家に帰ってきて、

「今日はありがとー。フラメンコどうやった?」

と感想を求められ、第一声に

「ギターを習いたい」

そう返答した僕は10歳の時にフラメンコギターを習い始めました。


出水宏輝_FAROLITO フラメンコダンサー 幼少期
(写真)本人提供

石川敬子フラメンコ教室で教えている田中光夫先生のギタークラスは、踊り伴奏を中心に指導していました。

踊りのクラスに併せて開講しているギタークラスで、最初の2〜3年はずっと構えのみ。1弦だけ弾かせてもらえたら良い方。それぐらい基礎を大切にされている教室で構えの基本から教えてもらいました。でも全く苦ではなくて通うことがとっても楽しかったです。


ギターを習い始めて2年ほどが経った12歳のとき、いつも通りパルマクラスを受けていたら舞踊の棚原美和先生に、


「宏輝くん、〇〇のエスコビージャやってみてー。足何センチ?女性ものの靴やけどー。はい、いくよー」


とコンパスが流れ始め、周りは騒然。そらそうです、ギターを習いにきている男の子ですもん。


ところが…、

足を鳴らすことができたのです。


周りは拍手で、

「えーーーすごいーーー!なんでできんのー?!!!」などとたくさん感想を言ってくれて。ギタークラスが踊り伴奏のクラスだったから、足を覚えていたのです。


僕はその喜びと達成感に溢れて

「なぁ、お母さん。踊り習いたい。あの靴が欲しいんやけど」と、懇願してフラメンコ舞踊を習い始めました。


初めは踊りなんて恥ずかしいし、リズム感もないし、運動神経は悪いし。と思っていましたが、そんな自分のできないことよりも、「音のなるフラメンコシューズ(ボタ)を履ける喜び」があり習い始めました。


出水宏輝_FAROLITO フラメンコダンサー 10代
(写真)本人提供

そして踊りを習い始めて2年後の14歳でタブラオデビューさせていただけることになり、フラメンコの舞台に出始めるようになりました。


田中先生に

「宏輝、舞台立つからアーティスト名いるなぁ。何がええやろなぁ」

といわれ、

「それやったらスペイン語の〇〇先生に相談して聞いてみましょうよー」と棚原先生。


そして数日後。

「宏輝の名前、決まったぞ!ファロリートや。」


僕は、ぽっかーんとしていました。

Hola、Graciasをやっと覚えたところなのに、「そんな名前覚えられへん」と心の中で思っていました。(笑)


「ファロリートっていうのはFarolitoって書くんや。『Farol』って街灯って意味。宏輝の漢字は広く輝くで『宏輝』という字やろ?それをスペイン語の〇〇先生が見てくれてなぁ。そうつけてくれたんや。『街灯』って街を照らす灯りで、1個の灯りでも道が明るくなるやろ?フラメンコ界も明るくしていってほしい、そんな思いもあってFarolが使われることになったんや。でも宏輝はまだ14歳で若い。これから大きくもなっていかないとあかん。そんな意味もこめて『Farolito』になったんや」


もう初めて聞いた時は感動でした。そんな名前があるスペイン語にも驚きましたが、そう見てくれている先生方、スペイン人の先生が漢字を理解してつけてくれたことがすごく嬉しかったです。


それから僕は大学に進学して、スペイン留学へ行くことになっていきました。


次号へつづく


【プロフィール】

出水宏輝(Kouki Demizu)/10歳の時に石川敬子フラメンコ教室にてフラメンコを始め、田中光夫氏にギター・カンテを、舞踊・パルマを棚原美和氏に師事。14歳のときにタブラオ ロス・ヒターノスで男性舞踊手としてプロデビュー。2014年、官民協働海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」の1期生として1年間スペイン留学。2018年第1回全日本フラメンココンクールで努力賞、2019年日本フラメンコ協会第28回フラメンコ・ルネサンス21「新人公演」で奨励賞、2021年第10回エルスール財団新人賞(フラメンコ部門)を受賞。

また、2018年摂南大学入学宣誓式にて、在学生300名以上とフラメンコのフラッシュモブを大阪城ホールにて実施。

現在、大阪を拠点としながら全国各地で精力的に活動している。


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