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スペイン発☆志風恭子のフラメンコ・ホットライン

 (miércoles,1 de marzo 2023)


 文/志風恭子

 Texto por Kyoko Shikaze


【フラメンコ・フェスティバルが再開】

 2月8日に、公共交通機関でのマスク着用義務が解除され、今やマスク必須なのは医療機関や薬局、老人施設のみ、ということになったスペイン。すっかりパンデミック前の日常が帰ってきたようです。とはいえ、ウクライナのこともあり、物価は上がったし、パンデミックの間になくなってしまったお店なども多く、全く一緒かというとそうではないような。フラメンコで言えば、パンデミック下で閉店したタブラオもあれば、その後に新しく開店したところもあり観光客で賑わっているようです。

 また、ビエナルやヘレスのような大規模フェスティバルなども以前と同じように開催されています。2023年も、1月にはフランスのニームで、そして2月にはオランダのビエナルという、欧州の重要なフェスティバルが開催されています。イスラエル・ガルバン、ロシオ・モリーナ、トレメンディータらコンテンポラリー系中心のニームで閉幕を飾ったのはラファエル・リケーニのギターリサイタル。モダンと伝統が交差するオランダのビエナルでは、マリア・モレーノのコンテンポラリーっぽい新作(昨年セビージャのビエナルで初演)もあれば、ファルキートや歌い手イスラエル・フェルナンデスも登場するという具合。なお、この二つのフェスティバル両方に出演したのはアルフォンソ・ロサとコンチャ・ハレーニョの素晴らしい『フラメンコ。エスパシオ・クレアティーボ』。昨年ヘレスとビエナルでも上演されたものですが、フラメンコの伝統と今を感じさせてくれます。日本で上演されたらうれしいのですが。

 なお、スペイン国内でもカタルーニャのフラメンコ・オン、ムルシアのフェスティバルなどが行われています。かつては、フラメンコ祭というと夏、冬はペーニャというイメージでしたが、今や1年中いつでも行われているように思います。2月24日に始まったヘレスのフェスティバルの様子は、また追ってお知らせできると思います。昨年は欧州からの参加者は戻っていたものの、アメリカや日本、中国からの参加はほとんどなく寂しかったのですが、今年はだいぶ戻ってきているのではないかと期待しています。


(写真:ラファエル・リケーニのギターリサイタル)

© Sandy Korzekwa festival de nimes



【訃報】

 パンデミックの嵐の中でもまたその後も、多くのアルティスタたちが亡くなりました。その流れはまだ続いているようで、2月もフラメンコを支えてきた人たちが惜しまれながら世を去りました。


アントニオ・ソレーラ(1952Madrid-2023.2.5Madrid)

 アントニオ・ガデス舞踊団で長らく活躍したギタリスト、アントニオ・ソレーラが亡くなったのは2月5日。70歳でした。2022年秋の日本公演に同行していなかったのであれ、と思っていた人もいることでしょう。1972年からガデス舞踊団に在籍というから半世紀に渡り、ガデスその人とその後継者たちを支えてきた名手です。生地はマドリードとなっていますが、出身はグラナダ、サクロモンテというヒターノ。ガデスの作品『カルメン』や『フエゴ』の音楽も手掛けています。(『血の婚礼』はエミリオ・デ・ディエゴですが)クリスティーナ・オヨスが退団後、ガデスの相手役に抜擢されたエステラ・アラウソ(現在、ガデス舞踊団芸術監督)と結婚しています。2007年の来日公演の時には、終演後に渋谷で火事に遭遇、避難を助けて表彰されニュースになり、スペインでも伝えられました。あまり表に出たがるタイプではないので、ちょっと困ったような顔をしていたように覚えています。

(撮影)©Lucrecia Díaz Fundación Antonio Gades



カルロス・サウラ(1932.1.4Huesca-2023.2.10Madrid)


 2月10日には映画監督カルロス・サウラが亡くなりました。91歳の誕生日を迎えたばかりでした。カンヌやベルリンの映画祭で受賞した、スペインを代表する映画監督の一人として有名ですが、フラメンコ好きにとってはアントニオ・ガデスとのフラメンコ三部作(『血の婚礼』『カルメン』『恋は魔術師』)、その後の音楽映画(『フラメンコ』『フラメンコ・フラメンコ』『ビヨンド・フラメンコ』)でおなじみでしょう。世界中どんなところでも見ることができる“映画”という形でフラメンコの魅力を世界中に改めて知らしめた功績は偉大です。かくいう私も、二本立てでお目当てじゃなく観た映画『カルメン』でフラメンコを知った一人です。夢中になったのはガデスの公演を観てですが、映画を観ていたから劇場公演に足を伸ばしたので、サウラは恩人の一人です。他にもアイーダ・ゴメスの『サロメ』や『イベリア』なども忘れられませんが、映画『フラメンコ』の撮影現場に毎日のように通い、アーティストのアテンドをしたりエキストラで出演したり、また監督にカメラまで覗かせてもらったのもいい思い出です。

(写真は映画『フラメンコ』撮影時のもの。志風撮影)



パンセキート(1945La Linea de la Concepción-2023.2.17Sevilla)


 2月17日朝、Facebookで訃報を見つけた時のショックは大きかったです。78歳、ベテランの歌い手。でも今年の夏の公演の予定などもあったし、最近も元気な様子をそれこそFacebookの投稿で見かけていたので信じられませんでした。他の誰とも違う響き、歌いっぷり。フラメンコで大切と言われる独自の個性、*セージョ・プロピオを持っている人。洒脱でダンディ。70年代にはスペインのヒットチャートに出るほどのヒットを飛ばしたそう。フアン・ビジャールやランカピーノ、パコ・セペーロなどが活躍していた時代。今頃、天国で子どもの頃から仲が良かったというカマロンとフィエスタ三昧でしょうか。歌い手アウロラ・バルガスとセビージャ郊外に暮らし、一緒に舞台を務めることも多く、その仲の良さはよく知られていました。ご冥福をお祈りします。

(写真:1992年パンセキート、伴奏はモライート。志風撮影)


*セージョ・プロピオ/sello は「切手、スタンプ」の意味もあり、「自身の」という意味の形容詞propioがついて「その人ならではのしるし、独自の個性」ということになる。(筆者解説)


【筆者プロフィール】

志風恭子/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。

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