(lunes, 13 de noviembre 2023)
文/エンリケ坂井
Texto por Enrique Sakai
ミラブラーの続き
前回でも書いた、かつてサンルーカル周辺で歌われたというこの形式名のもととなったコレティージョ(お囃(はや)し)は以下の通り。
(Coletillo)
¡Ay! que mirabrá
y qué mirabradito viene,
mirabradito va.
(訳)
ああミラブラー!
なんてミラブラーでやって来て
ミラブラーしながら行くんだ!
この詞が「アンダルシアの民謡」という雑誌に掲載されたのが1892年だったのですが、「なんてミラブラーでやって来て ~」という詞から分かるのはミラブラーという言葉が「粋な立ち振る舞い」「生きの良い男ぶり、又は女ぶり」というような意味に使われていたという事だ。
生きの良い物売りたちの姿や振る舞いから生まれたのだろう。そして前回の歌詞(当時の世相を反映したカンシオンから採られたという説もある)や、その他の歌詞をまとめてひとつの形式に作り上げたのです。
次の歌詞は恐らくプレゴン(物売りの触れ声、歌)から来たものですが、売る商品(果物や野菜など)の名前は入っていない。
4行詩プラスコレティージョと形は整っています。人の注目を集めるのが目的だから、商品はその後に来ればいいのかも。
(Letra)
Hasta la cabeza de mi serrana
huele a mosqueta
y yo te quiero
y de vergüenza no te lo peno.
(Coletillo)
Tiran bombitas de la cabaña,
si será el rey de la Gran Bretaña.
(訳)
俺のあの娘は髪にまで
野イバラの良い香りがする、
彼女を愛しているが
恥ずかしくて言えないんだ。
小屋から爆弾を撃ってくる
あれは英国の王様かも。
このメロディーは最初ミの調性(つまりフラメンコのミの旋法)になり、その後は長調に戻るのですが、これによって曲にアクセントを与えアンダルシアの歌らしさを出しています。
カンティーニャス・デ・コルドバや他のカディスのカンティーニャでも時々聞かれるので、恐らく19世紀の後半から20世紀の前半にかけてこの手法が流行したのでしょう。
【筆者プロフィール】
エンリケ坂井(ギタリスト/カンタオール)
1948年生まれ。1972年スペインに渡り多くの著名カンタオールと共演。帰国後カンテとパルマの会を主宰。チョコラーテらを招聘。著書『フラメンコを歌おう!』、CD『フラメンコの深い炎』、『グラン・クロニカ・デル・カンテ』vol.1~33(以下続刊)。
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