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カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.50

  • norique
  • 7月11日
  • 読了時間: 3分

(viernes, 11 de julio 2025)

 

文/エンリケ坂井

Texto por Enrique Sakai


2507_カンテ奥の細道50_エンリケ・モレンテ

Malagueña de La Trini ①のチャコン版


 前回に書いた目の手術は1897年の事だと言われており、そうするとトゥリニは31才くらいですが、この不幸にもめげずアンダルシア各地で歌い続け「マラゲーニャの女王」と言われるようになります。

 しかし次第に体は病魔に蝕まれて活動はマラガの地元に限られるようになり、舞台に出る代わりにマラガ市内に「カレータの小さな店」と名付けた自身の店を開き、通(つう)向きのフエルガでのみ歌うようになるのですが、フェルナンドはこの頃がトゥリニのカンテは最高の時期を迎えた…と書いています。


 私が感じるのはこの文章は恐らく本当の事で、カンテが熟するためには強いアフィシオンを持って生きた長い人生経験が必要であり、例えばマイレーナやカラコールといった名人達のレコードを若い頃から年代順に聴いていくと、年齢を重ねることによって歌は深まっていくのが感じられるのです。

 パストーラなどは天才ですから10代の最初の録音の時から既に技術もコンパス感の良さも深い味わいも完成しているように思いますが、やはり私が心から感動するのは後期の熟した歌です。

 しかし反対の道を辿る歌い手がいるのも事実で、若い時は良かったのに段々と商業的、受け狙いになって品性を無くし歌が悪くなる…これはまさにアルテに対する姿勢がそういう結果をもたらすのでしょう。


 トゥリニは老いて声も若い時のようには出なかったでしょうし技術も衰えた、しかし歌のクロウト達にとってそんな事は大切ではなく、魂の声を聴く事こそがカンテを聴く醍醐味なのだという事を知っているわけです。

 トゥリニはそんな雰囲気の中で歌い、それが聴く人を感動させた…これぞフエルガの醍醐味!という幸せな瞬間だったのでしょう。

 私にもそんな経験がたくさんあり、そうやってフラメンコ人間に育ったのです。続きは次号に。


 今回取り上げるのは、トゥリニ①のアントニオ・チャコン版です。チャコンはこれを1908年にオデオンからカルタヘネーラNo3の2曲目に録音、それをエンリケ・モレンテが1980年「チャコンへのオメナヘ」と題した2枚組LPレコードに録音しました。チャコンのは入手が難しいのでモレンテ版を例に取りました。

 以下はその歌詞です。

 

【Letra】

(ay, no me había de conocer...)

Si me trataras de nuevo

no me habías de conocer,

porque tengo distinto genio

y otro modo de querer

más cariñoso y más bueno.

 

【訳】

もし再び俺を愛してくれるなら

以前の俺とは気付かぬだろう、

すっかり性格も変わって

お前を愛するのも以前とは違う、

もっと優しく愛情深くなったのだ。

 

2507_カンテ奥の細道50_楽譜図.

 歌詞を読むと人間ってそんなに変わるかなぁ?と思いますが、反省があれば良しとしましょう。


 このシリーズのトゥリニ①の楽譜と比べてみると、大きな形として今回の歌も同じ土台の上に立っている事に気付くと思います。こうした古いスタイルを掘り起こして再び蘇らせたモレンテのアフィシオンは素晴らしいと言えるでしょう。

 

共通ロゴ_エンリケ坂井

【筆者プロフィール】

エンリケ坂井(ギタリスト/カンタオール)

1948年生まれ。1972年スペインに渡り多くの著名カンタオールと共演。帰国後カンテとパルマの会を主宰。チョコラーテらを招聘。著書『フラメンコを歌おう!』、CD『フラメンコの深い炎』、『グラン・クロニカ・デル・カンテ』vol.1~35(以下続刊)。2025年1月Círculo Flamenco de Madridから招かれ、ヘスス・メンデスと共演。

 

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