カンテフラメンコ奥の細道 on WEB no.49
- norique
- 6月11日
- 読了時間: 2分
(miércoles, 11 de junio 2025)
文/エンリケ坂井
Texto por Enrique Sakai

Malagueña de La Trini ②
前回にトゥリニは不幸な出来事によって片目の視力を失った、と書きました。
それは偶然の出来事で、ある時彼女の恋人がオリーブの実をナイフで刺して彼女に差し出したのですが、ふざけていたのか、何かのはずみでそのナイフでトゥリニは目を突かれてしまったのです。
この事故によるのでしょうか、その後に受けた麻酔を使った当時としては大変危険な手術をトゥリニは受けたのですが視力は戻らなかったようで、トゥリニは次のような歌詞を残しています。
No se borra de mi mente
el día catorce de abril;
y siempre tendré presente
que en ese día me vi
a las puertas de la muerte
消す事はできないわ
4月14日のあの日の事、
いつまでも忘れる事はない
あの日私は見た、死の扉の
瀬戸際に立つ自分の姿を。
※a las puertas de ⇒~の瀬戸際に
※verse ⇒自分の姿を見る
この続きは次回に。前回のトゥリニ①を歌ったフアン・デ・ラ・ロマという人はマラガのミハス出身(1912~’83)。初期のウニオンのコンクールで優勝した名の通った歌い手でマラゲーニャのスペシャリストです。
さて今回はトゥリニのスタイル②を取り上げます。最もよく知られているのはベルナルドが録音したこの歌。
【Letra】
(ay, alguna vez...)
Siquiera por compasión,
escríbeme alguna vez,
que yo tengo el corazón
marchito de padecer,
(que) ya no siente ni el dolor.
【訳】
(いつかは…)
例え同情でもいいから
いつかは手紙を書いておくれ
私は悩む事に疲れ
心も虚ろになってしまった
もはや痛みすら感じない。
歌は名人ベルナルド・エル・デ・ロビートスの'69年の録音。出典はイスパボックスのマエストロス・デル・カンテのシリーズ「ベルナルド・エル・デ・ロス・ロビートス」より。

この歌詞はトゥリニの定番となっていて今でも多くの歌い手が録音していますが、別のレトラでもパカ・アギレーラ、ニーニャ・デ・ロス・ペイネスといった名カンタオーラ達が古い録音を残しました。

【筆者プロフィール】
エンリケ坂井(ギタリスト/カンタオール)
1948年生まれ。1972年スペインに渡り多くの著名カンタオールと共演。帰国後カンテとパルマの会を主宰。チョコラーテらを招聘。著書『フラメンコを歌おう!』、CD『フラメンコの深い炎』、『グラン・クロニカ・デル・カンテ』vol.1~35(以下続刊)。2025年1月Círculo Flamenco de Madridから招かれ、ヘスス・メンデスと共演。
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