(martes, 11 de febrero 2025)
文/エンリケ坂井
Texto por Enrique Sakai

Malagueña del Mellizo②
前回取り上げたニーニョ・デ・ラ・イスラ(1877~1915?)が1910年に録音したメジーソ①は今では殆ど、いや全くと言っていい程歌われない珍しいスタイルですが、今回からは現在一般にメジーソのものと言われるスタイルを取り上げます。
前回のマラゲーニャをメジーソの①番とすれば、今回はふたつ目なので便宜上②番としておきます。
メジーソのスタイルを受け継ぐカンタオールのひとりペリコン・デ・カディス(1901~1980)はこの歌をMalagueña chica del Mellizo(メジーソの小さい方のマラゲーニャ)と呼び、レコードにもそう名付けていますが、便宜上とはいえこの深く大きいマラゲーニャを「小さい」と表現するのは私には抵抗があるので②番と数字で表すこととしました。
歌の重い、軽い、深い、浅いは歌う人の想いや力量に左右されるものです。例えばファンダンゴでもフェルナンダが歌ったものはまさしくカンテ・ホンドですが、誰もがそうできるわけではありません。
ですから人によっては、これを軽く歌う人がいますが、しかし歌には持って生まれた格調というものがあり、それは恐らく創唱者の魂が入っているからでしょう。
ペリコンもチカと名付けてはいますが立派に歌っています。ちなみに他にこのスタイルをチカと呼ぶ人はいないようです。
このスタイルには多くの歌詞がありますが、今回はカディスが生んだ天才、アウレリオ・デ・カディス(1887~1974)が歌って不滅の名曲となった歌詞を採用します。
(Letra)
(de la pena ...)
(ay,)Yo vi a mi〈mare〉de ir
en el carrito de la pena.
Se me ocurrió a mí el decir;
“Siendo mi〈mare〉tan buena,
no se debía de morir.”
(Ay, ay, ay.)
(訳)
我が母の柩が
荷車に乗せられて行く
それを見て思わず言った、
「こんな善(よ)い母さんが
死ぬべきではなかった」と。
◎carrito ⇒ carro(荷車)、~de la pena(柩を乗せた~)
◎ocurrirse ⇒考え、思いが浮かぶ
マラゲーニャはファンダンゴ族ですから歌詞は8音節の5行詩。今回のスタイルはウエルバのファンダンゴによくある様に2行目の最後の4音節を最初に持ってきて始めます。
それがde la penaですがこれはcarro de la pena、つまり柩をお墓まで運ぶ荷車のことで、運ばれていくのが自分の母親、という重い歌詞です。例として取り上げたのはグラン・クロニカvol.19、アウレリオ特集の最後に収録した曲です。


【筆者プロフィール】
エンリケ坂井(ギタリスト/カンタオール)
1948年生まれ。1972年スペインに渡り多くの著名カンタオールと共演。帰国後カンテとパルマの会を主宰。チョコラーテらを招聘。著書『フラメンコを歌おう!』、CD『フラメンコの深い炎』、『グラン・クロニカ・デル・カンテ』vol.1~35(以下続刊)。
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