(miércoles, 20 de septiembre 2023)
スペイン在住30年以上、多数の一流フラメンコ・アーティストらとも親交のあるフラメンコ・ジャーナリスト志風恭子が、歌・踊り・ギターそれぞれの代表的アーティストらのプロフィールをピックアップ。過去の取材で撮影した写真や、チェックしておきたい動画などもご紹介します。
文/志風恭子
Texto por Kyoko Shikaze
Pastora María Pavón Cruz “Niña de los Peines”
Sevilla, 10-2-1890 - Sevilla, 26-11-1969
ニーニャ・デ・ロス・ペイネス
本名パストーラ・パボン・クルス
1890年2月10日セビージャ生、1969年11月26日セビージャ没
あらゆる曲種を歌いこなすカンテの女王。子供の頃からプロとして歌い、櫛の少女という意味の芸名は当時よく歌っていた『私の櫛(ペイネス)で髪を梳いて』という歌詞に由来。20世紀前半を代表する歌い手で、当時の有名画家のモデルとなり、作曲家ファリャとも親交があったという。1910年からの40年間に258曲を録音。その歌声は2004年にアンダルシア州の肝いりで13枚のCD全集にまとめられている。兄アルトゥーロ、弟トマス、1931年に結婚したペペ・ピントも歌い手。
彼女の出生地とも目されるセビージャ県アラアルにあるパストーラの胸像。セビージャのアラメーダ、かつての住居のそばにも銅像がある。
[動画]
歌っている動画はなく、録音とその時代の動画などで構成されているカナルスールの短い番組を。生い立ち、愛、そして彼女の死についてのルポ。娘の話など。
Ramón Montoya Salazar “Ramón Montoya”
Madrid, 2-11-1879 – Madrid, 20-7-1949
ラモン・モントージャ
本名ラモン・モントージャ・サラサール
1879年11月2日マドリード生、1949年7月20日マドリード没
それまで伴奏が主であったフラメンコギターにソロの分野を確立し、また舞踊や歌伴奏でも時代を支えた、フラメンコギターの父とでもいうべき存在。タブラオの前身、カフェ・カンタンテで活躍。踊り手ファイーコ(Faico)とともにファルーカを生み出し、ギターソロのロンデーニャを作ったほか、彼が始めたテクニックは今も使われ続けている。アントニオ・チャコンやニーニャ・デ・ロス・ペイネスなど多くの歌い手への伴奏、またソロで非常に多くの録音を残し、後進のギタリストたちに多大な影響を与えた。
[動画]
歌手で女優のインペリオ・アルヘンティーナ主演の1938年の西独合作映画『カルメン・ラ・デ・トリアーナ』より。現在まで唯一知られるラモン・モントージャの映画出演でその演奏が垣間見られる。
2009年の展覧会Prohibido el canteのポスターより
Antonia Mercé “La Argentina”
Buenos Aires, Argentina 4-9-1890 – Bayona, Francia 18-7-1936
ラ・アルヘンティーナ
本名アントニア・メルセ・イ・ルケ
アルゼンチン、ブエノス・アイレス1890年9月4日生、フランス、バイヨンヌ1936年7月18日没
スペイン舞踊とフラメンコ舞踊を舞台芸術として世界に知らしめた先駆者。舞踊家だった両親のツアー先のアルゼンチンで生まれたため、アルゼンチン女性という意味の芸名がついたが、スペイン育ち。14歳でプロとなり21歳でパリへ。欧州各国を経て南北アメリカでも名声を得た。1929年、スペイン人舞踊家として最初の日本公演を行う。この公演を見て大野一雄は舞踊の世界に進み、後に彼女へのオマージュ作品を発表している。カスタネットを得意とし、ロルカら知識人とも交友があり、カスタネットも聴かせる録音もある。
アルヘンティーナの大阪公演ちらし。書籍«Homenaje en su centenario1890-1990 Antonia Mercé La Argentina» Ministerio de Cultura(文化省)より。
[出所]フランス国立図書館、1930年スタジオ・ドーラ(パリ)制作、パブリックドメイン
[動画]
ピアノ伴奏のタンギージョを、カスタネットを使って踊るアルヘンティーナの非常に貴重な映像。
【筆者プロフィール】
志風恭子(Kyoko Shikaze)/1987年よりスペイン在住。セビージャ大学フラメンコ学博士課程前期修了。パセオ通信員、通訳コーディネーターとして活躍。パコ・デ・ルシアをはじめ、多くのフラメンコ公演に携わる。
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